「あ?」
最近nis.と仲良くしてるみたいなじゃないか、という意味か。それとも。
「あのね、これ、おれ。」
「は?」
ぽかんと開いた口が塞がらなくなる。聞こえてきた言葉を理解するのに時間がかかる。読み込み終わらずに硬直した昭の目の前で眞は手をパタパタと振る。
「信用できない? あ~じゃあさ」
頭が真っ白になっている昭の耳に、眞はイヤホンを捻じ込んでくる。何をするんだ、とハッとして眞に目をやった昭に聞こえてきたのは、ミックス前の音源と思しきものだった。
「声、聞き覚えない?」
「……ある」
「これ、今度出す動画の元音源ね。本人だって信じてくれる?」
この歌はまだnis.は歌っていない。動画はアップされていない。そもそも、ミックス前の音源を持っているのなら、本人かミックス師か、ごく近しい人物ということだ。
声、彼の歌声は、しかしnis.のものとは少し違っていたように思える。でも、彼がまだ世の中に出回ってないnis.のオリ曲の一節を歌っていたのを聞いたことはある。あの時にも、彼らが近い距離にいるのかもしれないと疑ったではないか。
「nis.……?」
「うん」
「え、でも」
以前弾き語り配信で首や腕なら見たことがあるが、その肌はどちらかといえば色白といわれる部類だった。しかし目の前の彼の肌はこんがりと焼けた色をしていて、この差はライティングでどうこうできるものではないのではないだろうか。
疑問をぶつければ、眞はもっと近くに、と手招いた。耳を彼に寄せると小さな声で耳打ちしてくる。
「この肌、実はセルフタンニングって日焼け肌に見せる化粧品つけてるの」
「……あァ?」
「メイクなんだ。一日二日で落ちるものじゃないけど、塗り続けてないと白くなっちゃうんだよねぇ」
あの配信も長期休みの時だったでしょ、と言われれば確かにそうだった。でも、化粧品だって安いものではないと女子が話しているのをよく聞く。わざわざメイクなどしなくても日焼けすればいいのではないだろうか。新たに浮かんだ疑問は「日焼けしようと思っても、赤くなるだけで黒くなってくれないんだ」という眞の言葉であっけなく解消する。
「なんでそんなことしてるんだ? 色白なら色白でもいいだろ」
「遊んでる風に見せるため?」
「別に色白でも遊んでるやつはいるだろうが」
「そうなんだけど。ほらぁ、イメージってものがあるじゃない?」
彼の保ちたいイメージがわからない。ひとまず、言いふらされることはないようだ、と気が抜けて大きく息を吐き、うなだれた昭の顔を覗き込んできた眞の目がキラキラしている。どうしてそんな顔をするんだ、と怪訝そうな表情になった昭の手を握って、彼は満面の笑みを浮かべた。
「聞いたから同年代だってわかってたし、なんか話す内容もウチの学校のことに似てるなぁって思ってたけど、まさか本人がこんなに近くにいただなんて思ってなかった。会ってみたいじゃなくて毎日会ってたんだねぇ、嘘みたい、信じられない」
「早口だな、お前」
一息に言い切った眞のテンションの高さに、昭は呆れ顔を隠せない。
「あははっ、それ、SakiAと話してる時みたいだぁ。いつもよりずっといいよ。いつもはもっと、距離感じるもん」
嬉しそうな眞に対して、昭は複雑な心境だった。
会いたいと思っていた人。憧れの人。大好きな、推し、と言ってもいい人。が、クラスメイトだった。この状況、確かに喜んでもいいのかもしれないが、眞のチャラついたイメージは、落ち着いていてなにより真面目なnis.とは違いすぎた。
しかしそれは、自分自身にも言えることではある。ネット上ではそれなりに評価してもらえることもあるけれど、それが普段の自分自身に繋がってはいない。現実の自分の冴えない具合に嫌気がさすこともある。バレてしまったのは正直予定外で嬉しくない出来事だが、SakiAの正体がこんなド陰キャでも眞が幻滅していないようなのだけが救いだ。
かといって、あっちの姿が本当のオレ、だなんてことを言うつもりもない。SakiAと昭が乖離している段階で、あれは正しく自分ではないのだ。現実の昭は地味で、控えめといえば聞こえのいいただの陰キャだ。学校で人前に出たり目立ったりしたら、と想像すると鳥肌が立つ。
どれが本当の自分なのかと問われたら、どっちも嘘ではない。でも、どちらかが本当でもない。このギャップを埋めるのは困難に思えた。
「あ~どうしよ。興奮して午後授業どころじゃないかも」
「いや、授業サボるようなキャラじゃないだろ、眞は」
「うわぁ、よく見られてる」
にこにこしている眞の言葉に嫌がる気配はない。会話を続けたそうに見えるが、残念ながら昼休み終了のチャイムが鳴ってしまっていた。
「先、教室戻って」
「なんでぇ? 一緒に戻ろ」
「そんなの無理だろ」
無邪気に誘ってくる眞を昭は突っぱねる。一緒に教室に戻ったら眞の仲間たちから何か言われる。悪目立ちはしたくない。
拒否した昭をしばらく見ていた眞は、黙ってスマホの画面に映ったQRコードを差し出してきた。メッセンジャーアプリの友達登録用のそれを無言で読み込めば、あちらにも昭のIDが通知される。また満足そうに頷いた彼はマスクの口元にスマホを当てて「あとで連絡するねぇ」と微笑んで軽やかに去っていく。
「あとで、っていつだよ」
面倒臭いことになった、と思いながら髪をかきあげた昭の口元が緩んでいたのに、彼自身は気付いてはいなかった。
最近nis.と仲良くしてるみたいなじゃないか、という意味か。それとも。
「あのね、これ、おれ。」
「は?」
ぽかんと開いた口が塞がらなくなる。聞こえてきた言葉を理解するのに時間がかかる。読み込み終わらずに硬直した昭の目の前で眞は手をパタパタと振る。
「信用できない? あ~じゃあさ」
頭が真っ白になっている昭の耳に、眞はイヤホンを捻じ込んでくる。何をするんだ、とハッとして眞に目をやった昭に聞こえてきたのは、ミックス前の音源と思しきものだった。
「声、聞き覚えない?」
「……ある」
「これ、今度出す動画の元音源ね。本人だって信じてくれる?」
この歌はまだnis.は歌っていない。動画はアップされていない。そもそも、ミックス前の音源を持っているのなら、本人かミックス師か、ごく近しい人物ということだ。
声、彼の歌声は、しかしnis.のものとは少し違っていたように思える。でも、彼がまだ世の中に出回ってないnis.のオリ曲の一節を歌っていたのを聞いたことはある。あの時にも、彼らが近い距離にいるのかもしれないと疑ったではないか。
「nis.……?」
「うん」
「え、でも」
以前弾き語り配信で首や腕なら見たことがあるが、その肌はどちらかといえば色白といわれる部類だった。しかし目の前の彼の肌はこんがりと焼けた色をしていて、この差はライティングでどうこうできるものではないのではないだろうか。
疑問をぶつければ、眞はもっと近くに、と手招いた。耳を彼に寄せると小さな声で耳打ちしてくる。
「この肌、実はセルフタンニングって日焼け肌に見せる化粧品つけてるの」
「……あァ?」
「メイクなんだ。一日二日で落ちるものじゃないけど、塗り続けてないと白くなっちゃうんだよねぇ」
あの配信も長期休みの時だったでしょ、と言われれば確かにそうだった。でも、化粧品だって安いものではないと女子が話しているのをよく聞く。わざわざメイクなどしなくても日焼けすればいいのではないだろうか。新たに浮かんだ疑問は「日焼けしようと思っても、赤くなるだけで黒くなってくれないんだ」という眞の言葉であっけなく解消する。
「なんでそんなことしてるんだ? 色白なら色白でもいいだろ」
「遊んでる風に見せるため?」
「別に色白でも遊んでるやつはいるだろうが」
「そうなんだけど。ほらぁ、イメージってものがあるじゃない?」
彼の保ちたいイメージがわからない。ひとまず、言いふらされることはないようだ、と気が抜けて大きく息を吐き、うなだれた昭の顔を覗き込んできた眞の目がキラキラしている。どうしてそんな顔をするんだ、と怪訝そうな表情になった昭の手を握って、彼は満面の笑みを浮かべた。
「聞いたから同年代だってわかってたし、なんか話す内容もウチの学校のことに似てるなぁって思ってたけど、まさか本人がこんなに近くにいただなんて思ってなかった。会ってみたいじゃなくて毎日会ってたんだねぇ、嘘みたい、信じられない」
「早口だな、お前」
一息に言い切った眞のテンションの高さに、昭は呆れ顔を隠せない。
「あははっ、それ、SakiAと話してる時みたいだぁ。いつもよりずっといいよ。いつもはもっと、距離感じるもん」
嬉しそうな眞に対して、昭は複雑な心境だった。
会いたいと思っていた人。憧れの人。大好きな、推し、と言ってもいい人。が、クラスメイトだった。この状況、確かに喜んでもいいのかもしれないが、眞のチャラついたイメージは、落ち着いていてなにより真面目なnis.とは違いすぎた。
しかしそれは、自分自身にも言えることではある。ネット上ではそれなりに評価してもらえることもあるけれど、それが普段の自分自身に繋がってはいない。現実の自分の冴えない具合に嫌気がさすこともある。バレてしまったのは正直予定外で嬉しくない出来事だが、SakiAの正体がこんなド陰キャでも眞が幻滅していないようなのだけが救いだ。
かといって、あっちの姿が本当のオレ、だなんてことを言うつもりもない。SakiAと昭が乖離している段階で、あれは正しく自分ではないのだ。現実の昭は地味で、控えめといえば聞こえのいいただの陰キャだ。学校で人前に出たり目立ったりしたら、と想像すると鳥肌が立つ。
どれが本当の自分なのかと問われたら、どっちも嘘ではない。でも、どちらかが本当でもない。このギャップを埋めるのは困難に思えた。
「あ~どうしよ。興奮して午後授業どころじゃないかも」
「いや、授業サボるようなキャラじゃないだろ、眞は」
「うわぁ、よく見られてる」
にこにこしている眞の言葉に嫌がる気配はない。会話を続けたそうに見えるが、残念ながら昼休み終了のチャイムが鳴ってしまっていた。
「先、教室戻って」
「なんでぇ? 一緒に戻ろ」
「そんなの無理だろ」
無邪気に誘ってくる眞を昭は突っぱねる。一緒に教室に戻ったら眞の仲間たちから何か言われる。悪目立ちはしたくない。
拒否した昭をしばらく見ていた眞は、黙ってスマホの画面に映ったQRコードを差し出してきた。メッセンジャーアプリの友達登録用のそれを無言で読み込めば、あちらにも昭のIDが通知される。また満足そうに頷いた彼はマスクの口元にスマホを当てて「あとで連絡するねぇ」と微笑んで軽やかに去っていく。
「あとで、っていつだよ」
面倒臭いことになった、と思いながら髪をかきあげた昭の口元が緩んでいたのに、彼自身は気付いてはいなかった。