学校なんてつまらない、などと言うつもりはない。そう言い切れるほどに学校生活に身を入れてもいないし、キラキラした青春群像劇みたいなのの登場人物になれるだなんて期待などもしていない。
いや、本当に期待してないのはきっと、自分自身に対してだ。
「あーもー、ダルっ」
暑いと騒いだところで涼しくはならない。そうやって教室で大声を出される方がよっぽど鬱陶しい。昭はちらりと賑やかな集団を見る。
何の気なく視線を向けただけだったのに、タイミング悪くその中の一人と目が合ってしまった。
――うわっ。
ガン飛ばしてるって思われたかも。
慌てて視線を逸らす。けれど、しばらく経っても何も言われない。ウゼェなんていう声も聞こえない。
助かった、と思いながら机に両腕を置いて、それを枕にしたポーズで突っ伏す。
――クラスメイト相手になにビビってんのオレ。
クソダセェ、と耳たぶを触れば、指先にいくつか穴が開いているのを感じた。
――クラスでも地味目で目立たない陰の者がこんなバチクソにピアス穴開けてるとか知られたら、すげぇ絡まれそう。
面倒事は避けたい。伸ばしている髪でそれを隠す。
ボーッとしてると動き出しそうになる手足を意識的に抑え込む。ただリズムを刻むだけでも、貧乏揺すりだとケチつけられては堪らない。
――早く放課後にならねぇかな。
昭は、溢れそうになった小さな溜息もそっと飲み込んだ。
そして放課後。想像通り教室に残されたのは昭一人だった。今週一緒に掃除当番になっている陽キャ連中は「俺ら、外せない用事あるんだよね。手伝えなくてごめーん」なんて言いながら申し訳なさそうな素振りもなく帰っていった。
――そもそも、手伝うじゃねぇだろ。お前たちの仕事なんだよコレは。
外せない用事というのがただのファミレス合コンだというのは、連中が昼休みに大声で話していたからバレている。そんなに重要か? 重要なんだろうな、あの手のヤツらにとっては。昭はぶつくさ言いつつ掃き掃除を済ませ、ゴミ箱をゴミ捨て場に運んでいく。
「ぅあー、早く帰りてぇ」
休み時間にチェックしたSNSのSoLiLoNで、お気に入りの歌い手が今日新曲をアップすると予告していた。公開時刻は夜だから焦る必要はない。けど、あと何分、とスマホを握りしめて待っているあの時間が楽しいのだ。
「オリ曲、久し振りだよな」
どんな曲調で来るのかと想像してニヤニヤが止まらない。カバー曲も彼の声に合っているものばかりだから嫌いではない。でも、昭には、nis.という名前の彼が作るオリジナル曲がとても刺さるのだった。例えカバー曲よりも再生数が多くなかったとしても好きだった。
空っぽになったゴミ箱を抱え教室に戻る。今日の夜の楽しみを思い出して機嫌も直り軽やかに歩いてきた昭だったが、ドアに手をかけたところで教室の中からなにかが聞こえた気がして立ち止まった。
耳を澄ます。
――歌だ。
澄んだ綺麗な声が聞こえる。誰かが歌っている。
聞いた覚えのないメロディは、今の流行りの曲ではないようだ。
鼻歌のようで歌詞は聞こえない。だが、その切ない旋律に心が震えた。
――もうちょっとハッキリ……
耳をドアにつけようとして、うっかりゴミ箱をぶつけてしまった。人気のない廊下と教室内に、ゴツッという音が響く。途端に歌声は聞こえなくなる。
やっちまった、と冷や汗をかきながらも声の主を見たかった昭は、逃げられる前に勢いよくドアを引いた。
「あ……」
窓にもたれるように立ってきたのは、さっき目があった陽キャ軍団の中心人物だった。
教室内を見回してみるが、彼以外誰もいないように見える。ということは、あの歌声は彼のものだったのだろうか。あまりにも意外で、昭は数度瞬きをして彼を見つめた。
「あ~れ、まだ人いたんだぁ。全員帰ったかと思ってた。あ~……え~っと……?」
こちらの名前など覚えていないのだろう。ほぼ金髪のような明るい茶色の髪をさらりと耳にかけた黒いマスクの男――峯田眞|《みねた しん》は昭を見て小首を傾げる。
「掃除当番、だったんで」
「あ~ね。お疲れ様ぁ。ひとりでやってたんだ。エライなぁ」
「うす」
ぺこ、とあごを出すように礼をすると峯田は笑い声をあげる。きゅぅっと細くなった目で、笑っているのがわかった。
ちょっと間延びしたような独特のテンポで話しながら、彼は耳からワイヤレスイヤホンを外してケースに入れる。さっきの曲は、あれで聞きながら歌っていたのだろうか。そう思うと、ついつい視線が彼の動きを追ってしまう。
「なに?」
「えっ、あっいや、別に、なんでも……っ」
「そんなキョドらなくても大丈夫だってぇ」
「キョドってる、つもりは……な、なくて」
言い方がキツいわけではない。今だって、峯田はどちらかといえば穏やかな声で昭に話しかけてきている。威圧感があるわけでもない彼に対して挙動不審になってしまうのは、単純に昭自身が人付き合いをあまり得意としていないのが原因だった。彼が悪いわけではない。これは、クラスのカースト上位であるのが明らかな男に対する、妙な劣等感からくる態度だ。
「おれ、怖い?」
「いや、そんなことは、全然」
「って言いながら、それ怖がってるぅ」
ははっ、と明るい声を出した彼に、昭をからかう意図はなさそうだ。多分、嫌な奴ではないのだろうと感じる。
金髪のような明るい髪色に日に焼けた肌とほうじ茶のような赤茶色の瞳。耳にはいくつもピアスをつけて、ネックレスもブレスレットもしている。さらにはネイルもほぼ連日塗っているのだから、見た目は非常にチャラい。服装自由な学校だから、教員からも特に何か言われることはないようだが、少し着崩したようなそのファッションも生真面目な学生には見えない。黒マスクをほぼ外さないのに学校の中でもイケメンとして通っているのも理解できる雰囲気を持っているのが、昭の知っている峯田眞という男だった。
高校二年生になってから同じクラスになったのでまだよく知らない人物ではあったが、第一印象からして仲良くなれるような人種とも思っていなかった。いつも複数名と一緒にいて、彼がつるんでいるのはちょっとやんちゃしてそうにも見えるキャラばかり。いつもぼっちな昭とはむしろ対極。なるべくお近付きになりたくない部類だ。やたら積極的に話しかけてくる峯田に戸惑いつつも、昭はゴミ箱を所定の場所に置く。
「あ、オレ、帰る……」
「ねえ。え~と……」
峯田が少し眉を下げたのを見て
「花咲――花咲、昭」
昭は名前を告げる。
「はなさきあかり、ね。覚えた。いい名前じゃん」
「……ん」
音だけ聞けばキラキラしていて、アイドル――しかも女子のような響きの名前が昭はあまり好きではない。こんな根暗な自分には似合わないと思う。じゃぁ、と口の中でもごもごと言って荷物を手に教室を後にしようとした昭の背中に「じゃ、アカリ。また明日ね」明るい声がかかる。
――は?!
いきなり名前を呼び捨てで呼ばれ、ぎょっとして振り返る。名前呼びなど小学校の低学年までしかされたことがない。しかも、言葉を交わしたのは今日がほぼ初めての相手だ。
目が合えば、ひらっと手を振った峯田は目を細めて笑う。
――陽の者怖ぇ……
引きつった曖昧な笑みを返した昭に、峯田はまた「あはは! アカリって面白いなぁ」なんて言いながら自分もリュックを手に取る。
このままでは峯田と帰らなきゃいけないことになるのではないか。どっち方面に帰るのかは知らないが、少なくとも校門までは一緒ということになる。いや、どこかで彼の仲間たちが待っていたりしたら、なんで一緒にいるんだ、とか絡まれるかもしれない。そんな面倒事はまっぴらごめんだ。
「また明日!」
昭はそれだけ言うと、足早に学校を飛び出した。
いや、本当に期待してないのはきっと、自分自身に対してだ。
「あーもー、ダルっ」
暑いと騒いだところで涼しくはならない。そうやって教室で大声を出される方がよっぽど鬱陶しい。昭はちらりと賑やかな集団を見る。
何の気なく視線を向けただけだったのに、タイミング悪くその中の一人と目が合ってしまった。
――うわっ。
ガン飛ばしてるって思われたかも。
慌てて視線を逸らす。けれど、しばらく経っても何も言われない。ウゼェなんていう声も聞こえない。
助かった、と思いながら机に両腕を置いて、それを枕にしたポーズで突っ伏す。
――クラスメイト相手になにビビってんのオレ。
クソダセェ、と耳たぶを触れば、指先にいくつか穴が開いているのを感じた。
――クラスでも地味目で目立たない陰の者がこんなバチクソにピアス穴開けてるとか知られたら、すげぇ絡まれそう。
面倒事は避けたい。伸ばしている髪でそれを隠す。
ボーッとしてると動き出しそうになる手足を意識的に抑え込む。ただリズムを刻むだけでも、貧乏揺すりだとケチつけられては堪らない。
――早く放課後にならねぇかな。
昭は、溢れそうになった小さな溜息もそっと飲み込んだ。
そして放課後。想像通り教室に残されたのは昭一人だった。今週一緒に掃除当番になっている陽キャ連中は「俺ら、外せない用事あるんだよね。手伝えなくてごめーん」なんて言いながら申し訳なさそうな素振りもなく帰っていった。
――そもそも、手伝うじゃねぇだろ。お前たちの仕事なんだよコレは。
外せない用事というのがただのファミレス合コンだというのは、連中が昼休みに大声で話していたからバレている。そんなに重要か? 重要なんだろうな、あの手のヤツらにとっては。昭はぶつくさ言いつつ掃き掃除を済ませ、ゴミ箱をゴミ捨て場に運んでいく。
「ぅあー、早く帰りてぇ」
休み時間にチェックしたSNSのSoLiLoNで、お気に入りの歌い手が今日新曲をアップすると予告していた。公開時刻は夜だから焦る必要はない。けど、あと何分、とスマホを握りしめて待っているあの時間が楽しいのだ。
「オリ曲、久し振りだよな」
どんな曲調で来るのかと想像してニヤニヤが止まらない。カバー曲も彼の声に合っているものばかりだから嫌いではない。でも、昭には、nis.という名前の彼が作るオリジナル曲がとても刺さるのだった。例えカバー曲よりも再生数が多くなかったとしても好きだった。
空っぽになったゴミ箱を抱え教室に戻る。今日の夜の楽しみを思い出して機嫌も直り軽やかに歩いてきた昭だったが、ドアに手をかけたところで教室の中からなにかが聞こえた気がして立ち止まった。
耳を澄ます。
――歌だ。
澄んだ綺麗な声が聞こえる。誰かが歌っている。
聞いた覚えのないメロディは、今の流行りの曲ではないようだ。
鼻歌のようで歌詞は聞こえない。だが、その切ない旋律に心が震えた。
――もうちょっとハッキリ……
耳をドアにつけようとして、うっかりゴミ箱をぶつけてしまった。人気のない廊下と教室内に、ゴツッという音が響く。途端に歌声は聞こえなくなる。
やっちまった、と冷や汗をかきながらも声の主を見たかった昭は、逃げられる前に勢いよくドアを引いた。
「あ……」
窓にもたれるように立ってきたのは、さっき目があった陽キャ軍団の中心人物だった。
教室内を見回してみるが、彼以外誰もいないように見える。ということは、あの歌声は彼のものだったのだろうか。あまりにも意外で、昭は数度瞬きをして彼を見つめた。
「あ~れ、まだ人いたんだぁ。全員帰ったかと思ってた。あ~……え~っと……?」
こちらの名前など覚えていないのだろう。ほぼ金髪のような明るい茶色の髪をさらりと耳にかけた黒いマスクの男――峯田眞|《みねた しん》は昭を見て小首を傾げる。
「掃除当番、だったんで」
「あ~ね。お疲れ様ぁ。ひとりでやってたんだ。エライなぁ」
「うす」
ぺこ、とあごを出すように礼をすると峯田は笑い声をあげる。きゅぅっと細くなった目で、笑っているのがわかった。
ちょっと間延びしたような独特のテンポで話しながら、彼は耳からワイヤレスイヤホンを外してケースに入れる。さっきの曲は、あれで聞きながら歌っていたのだろうか。そう思うと、ついつい視線が彼の動きを追ってしまう。
「なに?」
「えっ、あっいや、別に、なんでも……っ」
「そんなキョドらなくても大丈夫だってぇ」
「キョドってる、つもりは……な、なくて」
言い方がキツいわけではない。今だって、峯田はどちらかといえば穏やかな声で昭に話しかけてきている。威圧感があるわけでもない彼に対して挙動不審になってしまうのは、単純に昭自身が人付き合いをあまり得意としていないのが原因だった。彼が悪いわけではない。これは、クラスのカースト上位であるのが明らかな男に対する、妙な劣等感からくる態度だ。
「おれ、怖い?」
「いや、そんなことは、全然」
「って言いながら、それ怖がってるぅ」
ははっ、と明るい声を出した彼に、昭をからかう意図はなさそうだ。多分、嫌な奴ではないのだろうと感じる。
金髪のような明るい髪色に日に焼けた肌とほうじ茶のような赤茶色の瞳。耳にはいくつもピアスをつけて、ネックレスもブレスレットもしている。さらにはネイルもほぼ連日塗っているのだから、見た目は非常にチャラい。服装自由な学校だから、教員からも特に何か言われることはないようだが、少し着崩したようなそのファッションも生真面目な学生には見えない。黒マスクをほぼ外さないのに学校の中でもイケメンとして通っているのも理解できる雰囲気を持っているのが、昭の知っている峯田眞という男だった。
高校二年生になってから同じクラスになったのでまだよく知らない人物ではあったが、第一印象からして仲良くなれるような人種とも思っていなかった。いつも複数名と一緒にいて、彼がつるんでいるのはちょっとやんちゃしてそうにも見えるキャラばかり。いつもぼっちな昭とはむしろ対極。なるべくお近付きになりたくない部類だ。やたら積極的に話しかけてくる峯田に戸惑いつつも、昭はゴミ箱を所定の場所に置く。
「あ、オレ、帰る……」
「ねえ。え~と……」
峯田が少し眉を下げたのを見て
「花咲――花咲、昭」
昭は名前を告げる。
「はなさきあかり、ね。覚えた。いい名前じゃん」
「……ん」
音だけ聞けばキラキラしていて、アイドル――しかも女子のような響きの名前が昭はあまり好きではない。こんな根暗な自分には似合わないと思う。じゃぁ、と口の中でもごもごと言って荷物を手に教室を後にしようとした昭の背中に「じゃ、アカリ。また明日ね」明るい声がかかる。
――は?!
いきなり名前を呼び捨てで呼ばれ、ぎょっとして振り返る。名前呼びなど小学校の低学年までしかされたことがない。しかも、言葉を交わしたのは今日がほぼ初めての相手だ。
目が合えば、ひらっと手を振った峯田は目を細めて笑う。
――陽の者怖ぇ……
引きつった曖昧な笑みを返した昭に、峯田はまた「あはは! アカリって面白いなぁ」なんて言いながら自分もリュックを手に取る。
このままでは峯田と帰らなきゃいけないことになるのではないか。どっち方面に帰るのかは知らないが、少なくとも校門までは一緒ということになる。いや、どこかで彼の仲間たちが待っていたりしたら、なんで一緒にいるんだ、とか絡まれるかもしれない。そんな面倒事はまっぴらごめんだ。
「また明日!」
昭はそれだけ言うと、足早に学校を飛び出した。