激動の日々を終えて、数ヶ月ぶりに自宅に帰った。嵐が病気で倒れてからはろくに寝ていなかった。嵐が夜うっかり目を覚ましたときに怖がらないようにと、病室のベッド脇の椅子で仮眠を取る程度だった。最後にベッドで寝たのはいつか思い出せない。それでなくとも、撮影の調整や宇宙葬の手続き、果てはメディア対応に追われて何日も徹夜することも珍しくなかった。
 しかし、まだ気は抜けない。嵐のことだから、もう1本の動画にもとんでもない爆弾を仕込んでいるかもしれないので油断ならないと身構えて、動画を再生した。
「ピーン、ポーン、ラッ、シー! どうも、ラッシーです! さーて、本日はー?俺の戦友・タキオンに遺書を残そうと思いまーす。って書いてないから「書」じゃないやーん! 正式には遺動画だね!」
 窓を背にして、俺が計算し尽くして考えた挨拶に始まり、いつもと同じテンションでラッシーはしゃべっている。
「まず、生中継お疲れ様! 俺の夢叶えてくれてありがとな! 同時接続の世界記録塗り替えた前提で話すよ、やったね! 本当にお疲れ様!」
 最後の最後まで嵐は楽観主義者だった。リスクヘッジを常に考える俺と、夢見る少年の嵐は絶妙なバランスをとりながら二人三脚でこの高みに辿り着いた。
「俺のことMyTVに誘ってくれてありがとな! タキオンが宇宙一のマネージャーだったから、俺たち、宇宙一になれたんだと思う。タキオンは優秀だから、MyTVerみんなタキオンのこと欲しがるんじゃ無いかな? 再就職は安泰だね! だから、あんまりタキオンの将来のことは心配してないよ。どこででもやっていけると思う。俺が保証する。タキオンと組めば絶対成功すると思うから、いっそ若手の子を育成して2代目ラッシーと、登録者数10億目指すのもありだとおも」
 最後の「う」の音が不自然に途切れて、病室の窓の外でいきなり大雨が降り始め、雷まで鳴っている。季節外れのゲリラ豪雨があったことが分かった。窓から顔を出してそのゲリラ豪雨にでも打たれたのかと言うくらい嵐の前髪が濡れている。
「まあ、とにかく俺がいなくなっても、ちゃんと笑って生きろよ。ラッシーチャンネルで稼いだ金は好きなように使って良いからさ。今まで忙しかった分、思いっきり遊ぶのもいいんじゃん? でもさ、ちゃんと宇宙葬代は残しといてくれよ。でさ、タキオンも宇宙葬で金星来いよ。あの世でも一緒に動画撮ろうぜ! あ、その時はもちろんチョコも忘れんなよ! 板チョコASMR対決、今度こそ俺が勝つかんな! 寂しいけど、あんまり早く来るなよ。元気でな、相棒! ばいなラッシー!」
 俺がプロデュースした独自の別れの挨拶で動画はしめられていた。しかし、世界トップMyTVerにあるまじき下手な編集に疑問を持った。編集は全部俺がしていたから編集が下手なのは当然なのだが、不自然にカットされた空白のシーンがあるはずなのだ。
 パソコンをくまなく調べるつもりだったが、ドキュメントフォルダを見るだけで不自然に長い動画ファイルがすぐに見つかった。ここ数日以内にゲリラ豪雨が起こった日は1日しかない。動画はその日に撮られていた。
 ファイルを最初から再生すると、問題の2代目ラッシーの話のあと、嵐は泣き始めた。
「やっぱり嫌だ……俺以外のヤツとなんて組まないで。俺以外のヤツにあだ名なんてつけないで。寂しいよぉ、死にたくないよぉ。怖いよ、助けてタキオン。もうワガママ言わないから、一生のお願い、もう動画撮らないで……世界中の人に忘れられても、記録抜かれても、タキオンが覚えてくれてたらそれでいいから……俺のこと忘れないで……」
 嗚咽混じりだった声は本格的な泣き声に変わり、ついには泣き崩れた。画面の中の嵐は壊れた人形のように、弱々しい声で俺を泣きながら呼び続けていた。
「バカじゃねえの! お前の代わりなんて宇宙の外まで探したっているわけねえだろ! そんなことも分かんねえのかこのバカ! 死んでもバカは治んねえのかよ……俺がどんだけお前のこと大事に思ってたかくらい分かれよバカ!」
 俺は叫ばずにはいられなかった。この動画は一方通行のメッセージだ。決して届かないと知りながら、叫んだ。目からは涙が溢れていた。泣きながら叫び続けた。
「俺だってずっとお前と一緒にいたかったよ! 絶対死なないって約束しただろ! 何でお前が死んでんだよ! 置き去りにするなっていったくせに、俺のこと置いていくなよ! 何で俺のこと連れて行ってくれなかったんだよ……俺も金星に連れて行ってくれよぉ……」
 涙が止まらなかった。顔をぐしゃぐしゃに歪めて号泣した。嵐が病気になった時も、嵐を助けられない無力さに襲われた夜も、嵐が死んだ時も、感動的なサプライズを仕掛けられた日も泣かなかったのに、大声を上げて泣き続けた。泣きながら何度も嵐を呼んだ。返事はない。声が枯れても泣き続けた。俺と画面の中の嵐の嗚咽だけが部屋に響いていた。

「やっべ、録画止めてなかった」
 重苦しい空気に似つかわしくない嵐の間の抜けた声が突然パソコンから聞こえた。画面に視線を移す。
「まあいいや、編集でカットしよ……うえっ、俺の顔やばすぎ。洗わなきゃじゃん」
 カメラを止めることなく病室をあわただしく出て行ったかと思うと、タオルで顔を拭きながら戻ってくる。その後、少しばかりの声の調整をした後、何事もなかったかのように撮影を続けていた。
「本当は俺だけのタキオンでいてっていいたいよ。でもさ、そしたらタキオンが1人ぼっちになっちゃうから。俺が寂しい分には夢の中でタキオンに会えば泣けるけど、タキオンは泣けないだろ。そしたら、俺が我慢するしかないじゃん。だけどさ、俺は8年しかタキオンと組めなかったのに、次のヤツは80年も一緒なんてずるいじゃん。マジで寂しくてあの世でもう1回死ぬレベルだから、向こうで会ったらよく頑張ったって死ぬほど褒めて……キモいって引かれそうだから今のもカットだな……まあ、とにかく」
 その後、カットされる前のシーンへと繋がっていた。
「引かねえよ、バカ。俺に気なんて遣うな、バカ」
 下手な編集に、隠すことすら忘れていた元データ。バカのくせに俺を欺くなんてやっぱり100年早い。
「ちょっとは悲しむ暇くらい寄越せよ。どこまで世話が焼けるんだよ。しょうがねえヤツだな」
 涙を拭った。泣いている場合ではない。誰よりも寂しがり屋でバカな親友のために、自分がこれから何をすべきか、はっきり分かっていた。