嵐の病名を聞いて愕然とした。嵐の父親が死んだのとまったく同じ病気だ。数年前まで原因不明とされていたそれは遺伝性疾患であることが発見されたが、治療法は未だにない。
「俺、死ぬの?」
 目を覚ました嵐が蚊の鳴くような声で呟いた。医師が難しい顔をしている。
「先生、お願いします! 嵐を助けてください、お願いします!」
 体が勝手に動いていた。俺は地面に頭をこすりつけて懇願した。
「金ならいくらでも払います! 足りなければ借金だってします! 俺の臓器も全部使っていいから嵐を助けてください! お願いします!」
 今まで何百回とラッシーチャンネルのために頭を下げてきた。表面上のプライドを捨てるだけで要求を通し、それがラッシーチャンネルの発展になるのなら安いものだと心の中で舌を出していた。
 しかし初めて、MyTVerラッシーではなく友人・鈴川嵐のために誠心誠意土下座をした。
「タキオン、もういいよ」
 嵐に言われても頭をあげなかった。
「やめろよ、顔上げろって言ってんだろ」
 嵐の声は震えているが、口調が強くなる。
「金あるってなんだよ、NASAに金払ったから今ラッシーチャンネル貧乏なんだろ」
「まだ払ってないし、中止にする」
「それは、俺が死ぬから?」
「違う……」
 そう答えたが、嵐の顔が直視できなかった。
「何が違うんだよ。金星に連れてってくれるんじゃなかったのかよ! 間に合わなかったじゃん! MyTVerになったら絶対金星行けるって言った! タキオンについていけば絶対に行けるって信じてた! 全部タキオンの言われたとおりにやったのに! なのに、なんだよこの結末! 全部無駄だったじゃん! 俺の人生返せよ!」
 嵐に枕を投げつけられる。
「嘘つき……」
 嵐が大粒の涙を零しながらしゃくりあげている。震える肩に手を伸ばすと、振り払われた。
「帰れよ」
 嵐が冷たく言い放つ。
「頼むから、一人にして」
 俺はどうすべきだったのだろうか。

 答えが見つからないまま、病室を後にした。徹夜で事務的な手続きを済ませ、再び病院に向かう。しかし、病室に入ることを拒否された。それでも、毎日病院に通った。
 3日目に、病室から出てきた嵐の主治医と鉢合わせた。
「嵐はどうなんですか」
「残念ながら、現在の医学では手の施しようが……」
「ふざけんなよ! 助けろよ! 俺の親友なんだよ!」
 俺は主治医の胸倉を掴んだ。
「あんたが治せないなら、他の医者連れて来いよ!」
 知っている。彼が世界で一番嵐の病気に詳しい名医だと言うことも。
「俺の臓器全部使っていいって言ってんだろ! 心臓でも肝臓でも何でもくれてやるよ! 嵐のこと治せよ、あんた医者だろーが!」
 俺が拳を振り上げた瞬間、後ろから腕を掴まれた。
「タキオン、暴力はダメだよ! ラッシーチャンネルがなくなっちゃうだろ!」
 手を掴んでいたのは嵐だった。熱くなりすぎて、病室のドアが開いたことにも嵐が出てきたことにも気づかなかったようだ。
「スキャンダル起こすなって、いつも言ってたのはタキオンだろ。タキオンがスキャンダル起こしてどうすんだよ」
 嵐に後ろから抱き着かれる。
「タキオン、ごめん……」
 小さな声で嵐が呟いた。
「今までで一番うまく行ってたライブが中断になっちゃったのも、宇宙に行く夢がかなったと思ったのにナシになっちゃったことも、俺がもうすぐ死ぬことも、全部嘘だったらいいのにって思った。信じたくなかったのにさ、いつも冷静なタキオンがさ、すっげー取り乱して真剣に頭下げてんの見てさ、あ、これ全部本当なんだって気付いちゃった。もう今までとは違うんだって。もうどうしようもないんだって。それで、全部タキオンのせいにして八つ当たりした」
 背中から、嵐の震えと涙の感触が伝わる。
「タキオンの言いなりになってたなんて嘘。全部無駄だったなんて嘘。ラッシーチャンネルは俺の青春の全部だった。ハッピーエンドにはならなかったかもしれないけど、俺、本当にずっと楽しかったんだ。それ全部否定するようなこと言ってごめんなさい。俺、言った後すっげー後悔したんだけど、怒られるの怖くて、ずっと面会謝絶にしてた。それもごめんなさい」
 嵐は絞り出すように続ける。
「お願いタキオン、俺のこと嫌いになんないで」
 俺は体の向きを変え、嵐を抱きしめて背中をさする。
「今更こんなことくらいで嫌いになるわけないだろ、バーカ」
 嵐は馬鹿だ。病気で弱気になっている時の言葉を真に受けて嫌いになるわけがない。
「大体嫌いな奴に臓器全部捧げるなんて言い出す奴がいると思ってんのか。お前は本当に馬鹿だな」
 俺が取り乱せば、嵐が不安になるのなら、俺はいつも通りでいよう。いつも冷静沈着だが毒舌な凄腕マネージャー。それこそが、嵐が元気だった頃の日常を生きる俺だ。
「いいか、嵐。お前は絶対に治る。元気になったらもう1回宇宙旅行の手続きしてやるよ」
 嵐が涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。俺は嵐に笑顔を向けた。大丈夫。嵐に俺の虚勢が見破れるわけがない。夢なら何度でも見せてやる。どんな嘘も、つき続ければいつか本当になることを願って。

 それから俺は嵐を一人にしないために、大学を休学して病室に泊まり込んだ。
「タキオン、助けて」
 死の恐怖という怪物は夜になると、世界中の人々を魅了した嵐の笑顔を飲み込んだ。夜中に目を覚ましては泣きじゃくった。「怖いからそばにいて」
「大丈夫、俺はどこにもいかねえよ」
 嵐の背中をさすりながら、自分の無力を呪った。無神論者の俺がこんなことを祈るのは虫のいい話かもしれないが、祈らずにはいられない。神様、俺の命と引き換えでもいいから嵐を助けてください。
 そんな嵐もカメラの前では天真爛漫なラッシーとして振る舞える。そんなプロの矜持があったからこそ世界一になれたのだ。
 病室でも動画を撮影し、世界中のファンを楽しませた。自らも余命宣告を受けながらも、同じ病院に入院する難病の子供達を励ます姿を、どこかの国のキャスターが「全米どころか全宇宙が涙した」と表現した。
 入院中も体調と相談しながら、無理の無い範囲での撮影をしたいと言ったのは嵐の方だった。
「みんなに忘れられちゃうのが1番怖いから」
 三つ子の魂百まで。寂しがり屋な性格は大人になっても変わらない。ならばとことん付き合おうと覚悟を決めた。嵐が笑ってくれるならどんなワガママでも叶えてやる。
 生配信中に発作が起こっては大変なので、生配信はさすがに嵐も自重していた。
「あーあ、結局同時接続数のギネスはとれなかったかー」
「治ってからとりにいけばいいだろ」
 嵐は少しずつ死を受容しているように見えた。