世の中は退屈だ。なぜなら馬鹿ばかりだからだ。馬鹿な教師の元に馬鹿な生徒が集まって無駄な時間を過ごすのが学校だ。それは日本もアメリカも変わらない。
 特に部活動なんて時間の無駄の極みだ。偶然同じ土地に生まれただけの無能で集まったところで何ができるというのか。足を引っ張り合うだけだろう。
 馴れ合いはしない。放課後はさっさと帰り、自習をするかMyTVで勝者の姿を見るか。世の中には社会の歯車にすぎない敗者と華やかな世界を生きる勝者の二通りの人間がいる。俺は勝者になるべき人間だ。だから、他人と慣れ合っている暇などない。
 そう思っていた。鈴川嵐と出会うまでは。

 中学一年生、六月。休み時間にMyTVを見ていたら、隣の席から談笑する声が聞こえた。不幸なことに今日はイヤフォンを忘れた。耳障りなことこの上ない。わざわざ他所のクラスからやって来て人の席の後ろで騒ぐなんて迷惑極まりない。
 しかし、その中の一際よく通る声が発する言葉はいちいちユーモアのセンスがあった。気づけば俺は再生を一時停止していた。
「ぶはっ」
 ついに俺は噴き出した。
「清水くんが笑ってるところ初めて見た」
 隣の席の主がぼそりと呟いた。確か、名前は鈴川嵐。忘れ物や遅刻を理由に教師によく怒られているので悪目立ちしているが、不良には見えずむしろ大人しい生徒だ。そこらのMyTVer(マイテイーヴァー)より遥かに面白いことを言っていた声の主が彼であることに初めて気づく。
 教室内で誰かと話しているところはほとんど見たことが無いが、こんなに面白いやつだったなんて。いや、こんなに面白いやつが存在するなんて。
「こいつ、面白いだろ?」
 鈴川の友人の一人が鈴川の頭を撫でまわしながら、馴れ馴れしく話しかけてきた。
「人見知りのコミュ障だけど、すっげー面白くていいやつだから仲良くしてやってよ」
「そうそう、よろしく。あとさー、教科書めっちゃ忘れるし授業全然ついていけてないみたいだから面倒見てやって」
 俺にお願いする彼らはまるで保護者のようだ。先輩に目を付けられそうな派手なやつも地味でひょろっとしたやつもみな一様に鈴川を大切に思っているのが分かった。鈴川は愛されているのだ。
「ああ、いいよ」
 生まれて初めて、他人に興味を持った瞬間だった。

「林間学校のレクで漫才やらないかって、ボム太に誘われてるんだよね」
 親しくなってしばらくして、嵐に打ち明けられた。隣のクラスの幼馴染で、ボム太というあだ名は嵐がつけたらしい。
「やったことあんの?」
「小学校の時はお楽しみ会では俺がいつもなんかやってた。ただ、俺らの学区、人少なくてクラス替えなかったから……」
「周りがみんな友達ならうまくやれるけど、今は知らない奴が多すぎて緊張する。そういうことだろ?」
 学区割の関係で、嵐と同じ小学校出身の人間はこの学校にほとんどいない。そのため、人見知りを発揮した嵐はしばらくクラスに友達を作れずにいた。
「そうそう。あとさ、俺、馬鹿だから台詞とか覚えられないんだよね。小学校の時はピンでやってたから、アドリブで何とかなったけど」
 どう考えてもそっちの方が難しい。やはり嵐は天才だ。
「じゃあ、なんでそいつはいきなり漫才なんて言い出したんだよ」
「嵐の面白さをみんなが分かれば人気者になれるぞーって言ってくれて、でも一人だと緊張するだろうからボム太が手伝ってくれるって」
 凡人に嵐の相方が務まるわけがないだろう。少し話しただけでも、その才に気づいた。嵐の才が教室のムードメーカーや仲間内の人気者にとどまるものではなく世界に羽ばたくべきものだと、数年間一緒にいて気づかない嵐の友人達は馬鹿だとさえ思った。
「じゃあさ、緊張しない練習、俺としようぜ」
「どうやって?」
「動画、一緒に撮ろう。MyTVくらい見たことあるだろ?」
 一世一代のチャンスだと思った。この機会に嵐を口説き落とす。元々の人生設計では、起業して財を成して生きていくつもりだったが、嵐と出会って学生時代にMyTVで名をあげるというルートも視野に入った。
 初めて会ったときから、嵐と二人でならば世界をとれるかもしれないと思っていた。こちとらMyTVの本拠地アメリカ生まれのアメリカ育ちだ。MyTVでやっていける人材を見分ける嗅覚は並みの日本人よりはあると自負している。
「え、でも個人情報とか色々あるし、俺たちまだ中学生だし」
 嵐は動画を投稿するということには戸惑っているが、何か企画をして動画を撮ることそのものを嫌がっているわけではなさそうだ。ならばもう一押し。
「とりあえず、撮るだけ撮ろうぜ。実際にネット投稿するかどうかは後で考えるとしてさ」
 そう言うと、嵐はこくりと頷いた。
「決まり! じゃあ、明日学校休みだし俺の家で撮るか」
「えっ、明日?」
「ああ、悪い。予定ある感じ?」
「いや、そうじゃなくて。俺、待ち合わせとか苦手で」
 嵐は困った様子だ。
「俺、方向音痴だからちゃんと早く家出ないといけないのに、朝起きられなくて遅刻ばっかりしてさ、あと日にち間違えて約束すっぽかしちゃったこともあって、何でそんなにだらしないんだよって去年ボム太たちにすっごい怒られたんだよね。俺が100%悪いし、俺がこんなんでもボム太たちは友達でいてくれることには感謝してるけどさ」
 容易に想像がついた。嵐は不真面目どころか真面目寄りの性格のわりに遅刻と忘れ物の常習犯だ。
「俺、ちゃんとしたいのに目覚まし10回かけても、他の子みたいにちゃんとできなくて申し訳ないんだよね。母さん土日休みの仕事じゃないから起こしてって頼むわけにもいかないしさ。ただ、清水くんに嫌われたら寂しいなって思って」
「バーカ。嫌わねえよ」
 きちんとした生活を送ることが苦手なのを差し引いても余りある魅力が嵐にはあるのだろう。結局みんな嵐のことが好きだから俺に嵐を任せるなんて言ってくるのだ。かくいう俺も、嵐に魅了された一人だ。
「お前んち集合でいいよ。起こしに行ってやる。何時間だって待ってやるし、これから何度だって誘うからな」
 俺がそう言うと、嵐の張りつめた表情がほぐれた。
「ありがと。清水くん、優しいね」

 翌日、早速嵐の家に行くとパジャマ姿で髪がぼさぼさのままの嵐が出てきた。
「ごめん、今準備する」
「あー、ゆっくりでいいよ。それよりさ……」
「うん、書き出してみたよ! えっと、どこやったっけ」
 嵐の部屋は大分散らかっている。少し部屋を見渡した後、ベッドの脇に落ちていた紙を渡された。
 いつも楽しそうなところが嵐のいいところだ。だから、それを最大限に生かすために嵐が楽しめるような企画をやろうと好きなものをリストアップしてもらった。汚い字で少し読みづらかったが、好きな芸人やMyTVerの他に「宇宙」「板チョコ」と書いてある。
 板チョコはお腹が空いた時に授業中に食べて教師に怒られていたのを見たことがあるので、とても好きなのは知っていた。しかし、宇宙が好きだと言うのは初めて知った。
「宇宙、好きなんだ」
 嵐は目をキラキラさせながら語り始める。
「うん! 5歳の時に父さんとアメリカ行ってね、アストライオスの打ち上げ見たんだ!」
 宇宙船アストライオス。NASAの技術の集大成ともいえるそれは人類史上初となる火星着陸を成し遂げた。それをリアルタイムで見た衝撃を嵐はくるくると表情豊かに話す。しまった、カメラを回しておけばよかったと後悔した。
「その後すぐに父さん病気になっちゃって、俺が小学校上がる前に死んじゃったんだけど、すっげー大事な思い出!」
 こういう重大なことを打ち明けられた時、ビジネス上の正しい振る舞い、大人ならどうすべきかは知識として知っている。しかし、友人としてどう返答したらいいか俺は分からなかった。
「だからね、俺、将来宇宙飛行士になって火星行きたいんだ。俺、馬鹿だから無理かもしれないけどさ。父さんも俺が生まれる前は宇宙飛行士目指してたんだって」
 でかい。スケールがただただでかい。マシンガントークに俺が気圧されていると、突然嵐がハッとした。
「ごめん! 喋りすぎちゃった。清水くんすげー話しやすいからさ、なんか止まらなくなっちゃった。さっさと着替えるね」
「おう。その間に企画考えとくわ」
 嵐にとって宇宙とは大切なものなのだろう。ならば、嵐が着替えている間にサクッと考える即席企画で消費するのはよくない気がした。そんなことをすれば、もう動画は一緒に撮ってくれないだろう。
 結局、企画は「板チョコASMR対決」に決まった。板チョコを大量に積んだ絵面は映えるし、インパクトも大きい。板チョコを買えるだけ買い込んで俺の家に帰る。その枚数60枚、納得のいくサムネイルが作れるだろう。
 俺が友達を家に連れて来るのは初めてのことで、母は大変嵐を歓迎した。これから大量に甘いものを食べるというのに、水やお茶ではなく母の母国では定番の甘い飲み物、ラッシーを振る舞った。きちんと今日の趣旨を説明しておけばよかった。
「お母さんアメリカ人なのに日本語上手だねー」
「アメリカ人じゃねえよ、インド人。俺は生まれたのがニューヨークだから米国籍持ってっけど」
 そう言えば自分のことはほとんど話したことがなかった気がする。よく素性の分からない奴の家に来られたものだ。純粋さに感動する。
「本名出るの嫌なんだっけ。動画用の名前決めっか」
「え、あだ名つけてくれんの?」
「そうそう、ラッシーってどうよ?」
「えー、単純。絶対、今これ見て思いついたっしょ」
 グラスに入ったラッシーを飲みながら嵐が笑う。
「失敬だな。昨日からじっくり考えてたっつーの。食べ物飲み物の名前は覚えてもらいやすいし、英語でも発音しやすいしな」
「スケールでかっ! じゃあ、俺も清水くんのあだ名考えるね。ていうかさ、動画だけじゃなくて普段からあだ名で呼んでもいい? 友達なのにいつまでも苗字くん付けは寂しいもんね。名前呼びに変えるタイミング失っちゃっててさー」
 別に俺は海外でやっていくうえでもファーストネームそのままで問題ないのだが、嵐のセンスに任せるのもまた一興だろう。
「いいけど、人前で呼んでも恥ずかしくない名前にしてくれよ」
「俺、信用なさすぎない? じゃあ、清水っていえば、京都の清水寺とおんなじ字だよな。俺、去年修学旅行で行ったんだけどさ。清水寺のあの滝なんて言ったかな。あっ、思い出した! 音羽の滝! 音羽の音を音読みしてタキオン!」
 思考時間僅か数秒。やはりこいつは頭の回転が速い。しかも常人の発想じゃない。俺は即答した。
「採用」
 これならば動画も期待できそうだ。俺はカメラを回した。

「ピーン、ポーン、ラッ、シー! どうも、ラッシーです!」
 学校のチャイムの音程に乗せて、小さな子供にも真似できるジェスチャーを交えた挨拶を考案して提案した。俺が一度見せた見本より遥かに楽しそうに嵐は挨拶する。
 人が目の前にいなければ緊張することもないようで、のびのびと企画を楽しんでくれている。使う言葉のチョイス、細かい仕草、その全てにセンスを感じる。行ける。こいつとならとれる、世界を。

 その後も毎日のように動画を撮り続けた。結果、嵐のあがり症は少し解消されたようだ。国語や英語の授業の音読でどもることがなくなり、声が大きくなった。漢字や英語の読み間違いはだいぶひどいが、これは緊張とは無関係なものだろう。
 林間学校の漫才の相方は俺になった。正確には、そうなるように俺が交渉した。大分文句を言われたが、強引に説得した。俺なら嵐のアドリブにも全部対応できる。俺なら嵐の魅力を100%活かせる。

 本番当日、いい位置に三脚とカメラを設置して舞台に上がる。
「ピーン、ポーン、ラッ、シー! どうも、ラッシーです!」
 その挨拶を合図に、嵐に演者ラッシーとしてのスイッチが入った。生き生きとした表情で嵐が喋り出す。間合いの取り方、見せ方、全部研究してきた。どっと笑いが起きる。教師たちまで爆笑している。
 案の定練習したネタからは脱線し始めたが、アドリブパートでも次々に笑いが起こる。それを最大限生かすツッコミをすれば、さらに盛り上がる。客席のボム太と目が合った。笑いをこらえられないと言った様子で口を押えていた。
 終わった後、嵐は大勢のクラスメイトに囲まれていた。
「面白かったよ」
「嵐最高! 文化祭のステージでもなんかやったら盛り上がるんじゃね?」
 嵐はニコニコと対応していた。俺は嵐と話がしたかったが、新しい友達と盛り上がっているところに水を差すのも野暮だ。大人しくタブレットで動画編集に励んだ。

 出席番号の関係で俺と嵐は同室だ。深夜になってみんなが寝静まった後も嵐は起きていた。
「寝ないのか?」
「うん、昂っちゃって眠れなくて。タキオンのおかげでいっぱい友達できたし、すっごい楽しかった! ありがとな」
「楽しかったならよかった。今日の俺らがどんな感じだったか動画見るか?」
「うん、見たい!」
 嵐にイヤフォンを片方渡して、動画を再生する。
「林間学校で漫才したら大爆笑かっさらった」
 今日撮ったばかりの映像に簡易的な編集を施したそれを見て、嵐の表情が綻んだ。すげー、と何度も言葉を漏らしている。
「どうせ眠れないなら今まで撮ったやつも見ろよ」
 板チョコASMR対決に始まる今まで撮ってきた動画は本気で編集した。カットもエフェクトもこだわり抜いた。英語とヒンディー語に翻訳した字幕と副音声の設定もつけて、海外でも通用するようにしている。それらを最初から見せていく。
「ASMR対決だー! これ負けちゃったけどすっごい楽しかったんだよね。次は負けないかんな!」
 次を期待してもいいのだろうか。そんな俺の思いをよそに、嵐は夢中になって動画を見ている。
 一息ついたところで切り出した。
「俺と本気でMyTVやろうぜ」
 これを断られてしまえば、作った動画はお蔵入り。全部無駄になる。しかし、俺の本気を嵐に見せたかったのだ。
「MyTVerになれば、世界中の人と友達になれる」
 視聴者にとってMyTVerは画面を隔てた友達のようなものだ。友達になりたいと思ってもらえるような雰囲気は必須条件。その点も申し分ない。 
「一攫千金だってできるし、他の人が出来ないような経験だってできる」
 嵐の目をまっすぐ見つめる。
「企画で宇宙に行くことだって出来る。火星にだって、いつかは金星にだって行けるんだ。MyTVerになれば」
「ほんとに? 俺、馬鹿だけど、宇宙に行けるの?」
「ああ」
 窓の外の明け始めた空に、金星がきらりと光る。その星を指差した。
「俺が金星に連れてってやるよ」
 嵐が星のように目を輝かせて俺の手をガシッと握り締めた。
「タキオン、俺、MyTVerになるよ! だから、俺を金星に連れてって」
「ああ、約束だ」
 嵐の手を強く握り返した。
「見せてやるよ、MyTVドリームをな」