あれから60年。嵐が一人きりで眠る金星の地表に人類が到達可能となるのは200年先だと言われていたが、金星の地表面の温度である500度以上の環境下での長時間の活動に耐えることができる宇宙服が開発された。宇宙船アフロディーテ号の耐熱性能は、従来のそれを遥かに凌駕する。船内を非常に快適な状態に保ったまま、宇宙船は着陸した。まさに、宇宙開発の歴史が変わろうとしていた。巨額の投資と若者の熱心な研究の賜物だとメディアは報じた。
「着いたら、テニスをしようと思ってんだ。アラン・シェパードが大昔に月面でゴルフをしたのに倣ってさ。これが俺のアメリカ人宇宙飛行士としての誇りだ。っていっても、宇宙飛行士になったきっかけはMyTVだけどな。なあ、1つ頼まれてくれよ、相棒」
「テニスくらいなら付き合ってやるよ。ただな……」
「サンキュー、相棒。これで俺もレジェンドになれるぜ! 伝説のMyTVer・Lassieみたいにな! 俺の名前、Lassieをリアルタイムで見てたじいちゃんが付けたんだ。俺のチャンネルの登録者はほとんど伸びなかったけど、LassieChannelの宇宙動画を見たことが転機になるなんて本当に人生分からないよな」
 ラッシー・ブラウンは笑いながら、耐熱性ラケットを肩に担ぎ、耐熱ボールを掴んだ。
「ついでと言っちゃなんだけど、外に出る前に教えてくれよ。この60年で急に宇宙開発が進んだのって、大富豪が金星探査プロジェクトに投資したからなんだろ? その富豪の名前がラフル・シミズだって知った時、俺がどんだけ驚いたか分かるか? なあ、相棒。どうしてそこまでして金星に行きたいと思ったんだ?」
「相棒呼びはやめてくれ。嫉妬深い友人を泣かせたくないからな」
 あの日、嵐の遺した動画を見て21歳の俺は思った。誰よりも寂しがり屋の嵐を遠い星で1人ぼっちにしてはおけないと。一秒でも早く、嵐に会いたかった。
 あの後すぐにアメリカの大学に留学し、宇宙開発の研究のための勉強を始めた。法的には22歳になるまで米国籍と日本国籍どちらかを選ばなければいけない。嵐が生きていた頃は、俺がどちらの国籍を持っている方が今後役に立つかだいぶ迷っていたが、米国籍に決めた。NASAに入るために。
 超耐熱宇宙船や宇宙服の研究するかたわら、資産家として有人金星探査プロジェクトに投資した。実現の目処がたったところで宇宙飛行士に立候補し、訓練を始めた。
 宇宙飛行士には英語力やコミュニケーション能力が求められるが、朝飯前だった。たびたび宇宙に行き、数々の任務をこなしてきた。
 高齢を理由に同世代の人間が前線を次々と退いたが、俺は絶対に金星に行かなくてはいけなかった。白髪が増え、初期にラッシーと動画に出演していた少年タキオンの面影はおろか、伝説のライブ動画に出演した頃の面影すらなくなった。ラッシーをリアルタイムで知らない世代が次々と宇宙飛行士になり始めたが、俺たちが打ち立てた数々の記録は60年間破られていない。

「なあ、ラフルはいったい金星で何をしたいんだよ」
 宇宙船のドアが開き、耐熱性のリュックサックをひっつかんで灼熱の金星の大地へと人類の歴史に残る第1歩をまさに踏み出そうとした時、再度問いかけられる。
 いったん足を止めたが、息を整えて地表に着地する。金星の大気を宇宙服越しに感じながら宇宙船を振り返り、はっきりと答えた。
「墓参りだよ。生涯唯一の相棒のな」
 嵐は俺の青春の全てだった。つまらなかったモノクロの人生に嵐と出会って色がついた。
 何かに一生懸命になることを知った。自分一人ではできないことも二人ならばできると知った。誰かを愛すことを知った。
 俺たちの物語が、MyTVの歴史を変えた。俺たちの人生が、人類の宇宙開発の歴史を変えた。
 バッグの中には60枚の板チョコがぎっしり詰まっている。これを嵐に届けるために俺の人生はあった。

 嵐、お前が俺を金星に連れて来てくれたんだ。