大して高くもない山では、スイの声は木霊しない。スイの声が消えていく中、最初の空の魚が夜を泳ぎ始めた。俺たちの都合になんて構わずにトビウオのようなスピードで弧を描く。
「こーちゃんと離れたくない、こーちゃんと離れたくない、こーちゃんと離れたくない」
 舌を噛みそうなほどの早口でスイが唱え始める。気まぐれな魚たちは捕まらない。声は低くなったのに、転校前のあの日の女子みたいな高い声と同じことをスイは繰り返す。あの時俺は何て言ったっけ。



 空の魚を捕まえようとして、子供から見れば崖みたいな斜面を滑り落ちそうになったスイを引き上げた。
「お前何やってんだよ!本当に危なっかしいな!」
 俺が怒鳴ると、我に返ったスイが泣きだした。
「落ち着けって、男が泣くなって言っただろ!」
「それはいじめられた時の話じゃん。こーちゃんと会えなくなるのは嫌だよ」
「俺だって、お前が東京行くの嫌だよ!でも、一生サヨナラじゃないんだよ。兄貴がケータイ買ってもらったのと同じ中2になったらウザい母さんにバレないで電話できるし、船は常に東京とここを行き来してるんだよ。生きてりゃまた会えるしまた遊べるよ」
 11歳の俺の答えは「また会える」だった。スイは俺の勢いに押されて、涙も引っ込んで頷いた。

「ねえ、こーちゃん、約束しようよ」



 俺は、夜空の写真を1枚撮った。撮れた写真のデータを確認すると、光の筋がまるで本当に魚が泳いでいるように見えた。なんて自由に泳ぐのだろうと思った。
「一生サヨナラじゃないんだよ」
 17歳の俺は11歳の時と同じことを繰り返す。
「あの頃ってさ、2人でカラオケにすらいけないのに、俺は簡単にスイに会いに行けると思ってたんだよ。バカみたいに未来を信じてた」
 東京に泳いでいけると信じていたのは何歳までだっただろうか。俺たちは親から、学校から少しずつ自由になってできることが増えているはずなのに、昔よりできないことが増えている気がする。そんなのクソくらえだ。
「大人になったら乗りたいときに船に乗れるんだよ。俺たちは魚よりも本当は自由なはずなんだ。どこにだって行けるんだよ。卒業してすぐとは言わないけど、いつか東京に行けるかもしれないんだよ。東京に遊びに行くくらいだったら簡単にできるんだよ」
 俺はまくし立てた。
「約束だ!今度はスイが辛いときは見つけ出して助けに行くから、お互い頑張ろうぜ?でも、そうそう辛いことなんて起こらねえって。だって世界は平等なんだから」
「うん、がんばる」
「あ、でももう一つ……やっぱりさスイのこと心配になるからちゃんと年に1度くらいは帰って来いよ」
「分かった。絶対お盆には帰ってくる。約束」
 あの頃より大きくなった手で俺たちは空の魚たちの下で2度目の約束をした。