「死体を埋めたいんだ。手伝ってくれないか?」
 午後十一時五十九分、功一に電話をかけた。一瞬間をおいて、功一が返事をする。
「いいよ。どこに行けばいい?」
「校門前」
「分かった。すぐ行く」
 通話が切られた。白い息を吐いて、三年間一日も休まず通い続けた学び舎を見上げた。警備員も帰宅して、完全に消灯している。窓からの光に視線を持っていかれることが無かったせいか、屋上のフェンスをつい見つめて昔を思い出してしまった。
校門前には「第八十九回 日輪高等学校卒業式」の看板が立っている。明日は卒業式だ。看板のすぐそばに黒いボストンバッグを地面に下ろし、カイロで手を温める。
 一時間もしないうちに、功一もまた大きな黒いボストンバッグを抱えて、息を切らせながら校門前へやってきた。街灯に照らされた整った顔の両頬が腫れている。
「ごめん、志月。遅くなった。大丈夫?」
「俺は平気。お前こそ、顔大丈夫なのかよ」
「大丈夫。慣れてるから」
 功一は力なく笑った。無理して笑うなよ、慣れてるとか言うなよ、謝るなよ、俺の心配なんてしなくていいから。数々の言葉を全部飲みこんで、目を逸らした。もう一度確認するようにあたりを見回す。当然、こんな時間に誰もいない。再び目が合うと、数秒前よりは少しだけ目に光が戻った功一が口を開いた。
「行こうか」
「待て。スマホ、置いていかないとGPSで追跡される」
「ああ、そうだった」
 功一がポケットからスマートフォンを取り出して電源を切る。俺も電源を切った。
 俺のスマホカバーにはゴッホの「サント=マリーの海」、功一のスマホケースにはゴッホの「サント=マリーの小舟」が描かれている。それらを外して裸になったスマホを、「せーの」の合図で校門の柵から敷地内に投げ入れた。二つの弧を描いて落下したスマホが柵の向こうで同時に鈍い音を立てた。
「これもスマホ持ち込みにあたるのかな。最後の最後で初めて校則違反しちゃったよ」
「俺は初めてじゃないけど」
「あはは、不良だ」
 この場に似つかわしくない明るい声で功一が俺をからかった。
「これくらいで不良ならお前以外全員不良だよ、バーカ」
 やたらと校則の厳しい高校だった。今時スマートフォンの持ち込みが禁止されているなんて、少なくとも近隣では俺たちの高校だけだ。
 時代錯誤の校則にはみんなうんざりしていた。俺を含めてほとんどの生徒が休み時間にこっそりスマートフォンをいじっていた。生活必需品のスマートフォンどころか、勉強に必要のないゲームや漫画を持ち込む生徒も少なくない。教師の目を盗んでの貸し借りも日常的に行われていた。窮屈なルールを全部律儀に守っていたのは功一くらいだ。
「で、どこに埋めるの?」
 俺の反論を躱すように、功一は話題を変えた。
「海、あの海」
 誰にも聞かれていないと頭では分かっているけれども、固有名詞を口にするのは憚られた。万が一、億が一が怖くて声が自然と小さくなる。
「そうだね、今年は合宿行く暇なかったし」
 海と言うだけで、一年時の臨海学校で行った海ではなく、合宿で行った海のことだと察してくれて助かった。
「じゃあ、見つからないうちに行くか」
 俺たちは歩き出した。
 電車もバスもろくに通っていないような真夜中の田舎道は、星も月も明るい。あと数日で新月になりそうな細い月は、俺たちを見守ってくれているのだろうか。それとも、「逃げられると思うな」と見張っているのだろうか。

「『星月夜』だね」
 ゴッホの絵のタイトルにもなっているフレーズを、功一は呟いた。
「じゃあ、あれは『夜のカフェテラス』か?」
 ゴッホの絵になぞらえて、外壁が黄ばんだ空き家の軒下に無造作に置かれた錆びた二つの椅子とテーブルを指さす。こんな田舎におしゃれなカフェなぞ存在しないが、それらを南フランスの街の賑やかなカフェに見立てた。それらしく椅子とテーブルを並べて、勝手に腰かける。これから夜通し歩き続ける前に最後の晩餐をと、ペットボトルのお茶で乾杯をした。
「呼び出しておいてアレだけど、高校生活最後の日にお前と二人でこんなことしてるなんて、初めて会った時からは想像できないな」
「僕も。そもそも友達できるだなんて思ってなかったけどさ」
「確かに。お前コミュ障だし、ぼっちルート歩みそうだもんな。過去の自分に教えたらショック死しそう」
「志月は相変わらずナチュラルに失礼だよね。本来1番苦手なタイプ。デリカシーないと大学で女の子にモテないよ」
「言うようになったな」
 初めて出会ったあの日に比べると、俺も功一も俺達の関係もだいぶ変わったのは間違いが無い。俺達は立ち上がって、遠い日を振り返りながら歩き出す。