「一ノ瀬真昼といいます。よろしくお願いします」

 そして真昼は、憧れの柊シノアの前、それも、手が届くほど近くに立っていた。

「……よろしく。 柊シノアよ」
「僕の名前は夕立時雨、よろしくね」

 真昼の前に立つのは、命の恩人にして憧れの女性、柊シノアと夕立時雨。陶器のように白い肌に美しい顔立ち。凛々しい立ち姿はまさに理想の衛士の姿であった。

「は、はい! 時雨様……それに、シノア様! 今後とも、どうぞお見知りおきを」

  横浜衛士訓練校においては、生徒同士は基本的に姓ではなく名前で呼び合う。その理由には諸説あるが、最も有力な説は、「家柄や生まれに縛られず、個人としての交流を深めるため」というものであった。 だが、その理由がなんであれ、憧れの二人を名前で呼ぶことができる。
 真昼はそれだけで嬉しかった。

「それじゃあ訓練を始めよう。大丈夫。怖がることはない。誰だって始めては緊張するものだ。しかしそれを理由に怯えるのはよろしく無い。失敗さえも糧とする気概を胸に、練習に励んで欲しい」

 ぽんと優しく真昼の背中を叩いてくる時雨。

「はい! よろしくお願いします、時雨様!」

(練習も大切だけど······でも、その前に、まず)

 つかつかと柊シノアに歩み寄る真昼。そして、彼女に会ったら最初に言おうと心に決めていた言葉を口にした。

「あの、シノア様! 時雨様! わたし、一ノ瀬真昼です!えと、あの······そ、その節はありがとうございましたっ!」

 念願だったシノアとの再会を果たし、命を救われた礼を言う真昼。しかし、対する二人は、怪訝な表情で真昼を見下ろすだけだった。

(……あれ?)

 シノアの薄い反応に戸惑う真昼。

「………今は、私語を楽しむ時間ではなくてよ。演習用の戦術機を持ってきなさい」
「ふむ、その節がどんな内容だったか僕は覚えていないな……ごめんね」
「あ……そうですよね! は、はいっ! 持ってきます!」

 盛り上がっていたところに冷水を浴びせられたような気持ちになる真昼。

(でも、シノア様のおっしゃる通りだよね。今は訓練中なんだから......それに、シノア様と時雨様と言えば、何度も実戦で戦果を挙げている衛士の中の衛士だもの。いちいち救っ てあげた子の顔なんて覚えてないよね)

 シノアと時雨は、あの夜の衝撃的な出会いを覚えていない。その事実は真昼にとって悲しいものだったが、一方で当然のことだとも思う。

(お二人がわたしのことを覚えてるかも、だなんて、ちょっと高望みしすぎだったよ ね。でも、それでもいい! こうして同じ班になれたんだし、少しでもわたしのことを知ってもらえるようにがんばろう!)

 演習用の戦術機を持ってくると、それを見た史房が言う。

「ではまず、経験者の方に、腕前を見せていただきましょうか。新入生の中で、すで に実戦経験がある方······風間さんと、藤堂さん。前に出てください」
「承知しましたわ」
「......了解」

新入生の代表として選ばれたのは風間ともう一人、同じクラスの藤堂聖という生徒だった。

(わあ……風間ちゃん、やっぱりすごいんだ・・・・・・それに、藤堂ちゃんっていう子も、同 じくらいすごいのかな?)

 まだ戦術機初心者である真昼は、尊敬のまなざしで同い年の少女たちを見つめる。
 訓練場の射座に立つ風間と藤堂の前には、ラージ級デストロイヤーが描かれた的。やや人間 型に近い形状だが、首や頭部と思われる部位がなく、腕もまた異様に太く長い。

「う······なんだか、絵だけでも強そう」

 ラージ級と呼ばれるデストロイヤーは、少なくとも六~七メートル以上はある。通常兵器で勝てる相手ではない。

(わたしがシノア様と時雨様に命を救われた時、襲ってきていたデストロイヤーはミドル級だった。でも、ラージ級はその上……」

 もちろん、的に描かれたラージは実物ではない。だが、それでも、真昼に恐怖を与えるには十分だった。

「では、準備ができ次第、撃って......」

 キュイン……ドン!

 ブリュンヒルデの指示が下りたか下りないかというタイミングで、とうの手にする戦術機ストライクイーグルが火を噴いた。

 ストライクイーグルは、横浜衛士訓練校において使用されている二大主戦術機のひとつである。剣とレーザーランチャーという二つのモードを使い分けることが可能となっており、一撃の威力接近戦を重視する衛士たちに広く愛用されている。 そして、その威力にふさわしく、藤堂が放った一撃は正確に的の中心を射貫いて、風穴を開けていた。

「命中」

 そうつぶやくと、手慣れた動作でストライクイーグルの安全装置をかけ、休止状態へとそうつぶやくと、手慣れた動作でストライクイーグルの安全装置をかけ、休止状態へと移行させる。

「わぁ、すごい」

 居並ぶ先輩たちを前にしても緊張した様子すら見せず、見事に標的を破壊した。そんな彼女に、思わず喝采を送ってしまう真昼。だが、真昼のような反応を見せる生徒はごく僅かであった。

「横浜衛士訓練校の生徒だったら、このくらいは当たり前ってことなのかなあ......」

  思わずつぶやく真昼の独り言に、「いいや」と夕立が優しく否定する。

「そんなことない。あの藤堂聖って子はすごいよ」
「まあ……素晴らしい腕前ですね、藤堂聖さん。 ですが、少し逸りすぎではありま せんでしたか? もう少し落ち着いて撃ってもよかったように思いますが」
「…………ちゃんと、命令後に撃ちました。 無駄な時間を取ってはかえって失礼かと思い まして」

 ブリュンヒルデのアドバイスにも動じた様子を見せず、むしろ歯向かうようなことを言い返す藤堂聖。

「えっ、ちょっと……」
「なんなのあの子」
「ブリュンヒルデが直々に助言をくださっているというのに」

藤堂の不遜な態度を見て、周囲の生徒たちがざわめき始める。

「さあて、ここで主役の出番ですわね」

その緊迫した緊張感を打ち砕いたのは、風間の呑気な声であった。
 風間は、ストライクイーグルと並ぶもうひとつの主流武器、陽炎を手にしていた。

「わたくし、戦術機でしたらひととおり扱えるのですけれど……藤堂さんがストライクイーグルを使用されたので、今度は陽炎の試射をご覧に入れますわ」

 まるで、自らが主役のショーであるとでも言うかのように優雅に一礼する風間。

「すでに皆様ご存知かと思いますけれど、陽炎もまた射撃と近接、二つのモードを使い分けられますの」

 風間が陽炎を一振りすると、がじゃん、という小気味いい音と共に片刃のブレードへと変形する。

「これがブレードモード。威力の面ではストライクイーグルに一歩譲りますが、扱いやすく汎用性に富んでいますの。そして」

 陽炎を両手で持ち、素早く折り畳む。すると今度は、風間の腕よりもやや長い くらいの銃へと形を変える。

「これがレーザーマシンガンモード。射撃の際は、セミオートとフルオートの使い分けが可能ですわ。総じて言えば、一撃の威力を重んじるならストライクイーグル、機動力を活かしたいなら陽炎、ということになりますかしら」
「ほぇ」
「流石は風間さん。知識面や周囲への配慮も欠かさない。些か自信過剰のきらいがあるようだけど、それに見合う度胸と実績があるね」

 感心して間抜けな声をあげる真昼と、やや呆れたような感想を口にする時雨。どちらにしても、風間が規格外の新入生であることに変わりはないようだ。

「風間さん。ご高説は痛み入りますが、戦術機の講義はもう結構です。そろそ腕前を見せてもらえますか?」
「お許しを、ブリュンヒルデ。 あなたをお待たせするつもりはございませんでした。では」

ダン、ダン、ダン、ダン、ダン!

 風間はグングニルを腰だめに構えると、単発の銃声を五回、鳴り響かせた。すると、ラージ級を模した標的の胴体、両腕、両足にひとつずつ、綺麗に穴が開く。

「本物のラージ級は、この程度の攻撃では止まりませんが… 腕前の披露としては、この程度でしょうか」
「まあ······さすがは首席入学者ですね」

 ブリュンヒルデからも認められ、風間は豊かな胸を張ってみせる。

「では、お礼として、私たち上級生からも柊シノアさん、射座へ」

 ブリュンヒルデの命に応じて、シノアが風間と隣り合った射座に立つ。

「申し訳ありませんが、あなたからもお手本を見せてあげてください」

「承知しました」

 丁寧ではありながらも、あまり熱を感じさせない声で返事をする柊シノア。彼女は風間が手にしていた陽炎を借り受けると、同じように腰だめに構えた。

 タタタタタタタタタタタ!

 銃声が鳴り響く。すると、やはり同様に、ラージ級の的に風穴が開いた。きれいな二重丸のマーク付きだ。

「わぁ……さすがはシノア様」

 素直に感心する真昼と同じように、周囲からも同様の反応があった。

「これが横浜衛士訓練校が誇る天才の実力」
「すごい」
「寸分の狂いなく射撃するなんて」
「ふう……さすがですね、シノア様。でも、それでこそ、ですわ。こうでなくては、百合ヶ丘に入学した意味がなくてよ」

 風間もまたシノアの腕前を認めたようで、さばさばとした表情で髪をかき上げた。

「……ええ、その意気です。あらためて、横浜衛士訓練校にようこそ、風間さん。そして、新入生のみなさん。あなたたちのさらなる成長に期待します」

 ブリュンヒルデからの締めの言葉が入り、真昼たちはふたたび班ごとの訓練へと戻った。各々、自らの愛用戦術機を用意する上級生たち。

「僕の戦術機は陽炎、夢結のは不知火だ」

 二人の戦術機、陽炎と不知火はよく手入れされているが、ところどころに消し切れない傷 が見える。しかし、それがまた二人の経験してきた実戦を想像させ、実用的な美しさを強調していた。

「……何をぼうっとしているの。早く、演習用の戦術機を手に取りなさい」
「は、はいっ!」

 シノアからの鋭い言葉。真昼は急いで戦術機を手にし、マニュアル通りに安全装置などを確かめる。

「じゃあ、まずは真昼の実力を見せてもらおうかな。僕たちが見てるから、あの的を撃って欲しい」
「わかりました!」

(お二人の前での、初めての射撃訓練少しでもいいところを見せなくちゃ)

 ….....しかし、結果は散々であった。すでに研修などで何度か戦術機を触ったことのある梨璃だったが、いざ一人で 扱うとなると、まったく勝手が違った。
 撃つことはできても的に当たらず、当てよう当てようと意識すると、逆に体が強 張ってあらぬ方向に照準が向く。 これが訓練ではなく実戦だったら、どこに弾が飛んで行ったかわかったものではない。
 一言で言えば下手だった。

「ふふ、真昼に後衛を任せたら、一人で小隊を壊滅させることができるだろうね」
「笑い事ではありません、時雨お姉様」

 時雨のストレートな物言いが、真昼の心にグサグサと突き刺さる。そして何より、真昼とは一言も話さず、冷淡に真昼の醜態を見つめるシノアの視線が痛かった。

「まずはどこから手を付けたものかな。完璧な初心者なら的に当てるのは後で、反動に慣れて、衝撃に耐える姿勢を体に叩き込むことから始めよう」
「はい!」

 そう言って、真昼はシノアに一つ一つ基礎から教えていく。教本通り、力の入れるべき場所と、どこで衝撃を受けるかを解説しつつ真昼に『的に当てる』よりも『撃つことに慣れる』ことを重視させて訓練時間を使った。

「……………そろそろ時間です。 時雨お姉様」
「うん、そうだね。終わろうか」

 ようやくシノアが口を開いた時、出てきたのは終了を告げる言葉であった。

「うぅ·····結局、ほとんどシノア様とお話しできなかった。しかも、かっこ悪いところを見られちゃったし……」

 落ち込みながらも戦術機を停止させる真昼。一方、多くの生徒たちは訓練が上手くいったらしく、周囲からは楽しげな会話が聞こえてくる。

「初めてにしては、なかなかよかったわよ。期待しているわ」
「あなた、よかったら、私たちのレギオンに入らない? 有望な新人を探していたの」
「あなたとはまたお話ししたいわ。あとでお茶でもどう?」
(うぅ…みんな楽しそう……)

 ほとんど口もきいてくれないシノアとは違い、先輩たちの多くは新入生を優しく導いている。真昼も優しいが、プライベートと訓練はしっかりと分けるタイプのようで、訓練が終わると粛々と片付けをしている。

 もちろんそれでも、シノアと同じ班に入れたのは幸運だと思っている。今後も努力を 続ければ、いつかシノアだって自分を認めてくれるだろう。
 そうと決まれば、即行動である。真昼は、立ち去ろうとするシノアへと追いすがり、大声で呼びとめた。

「あ、あの、時雨様、シノア様、本日は、ご指導ありがとうございました!」
「……ご指導? 私、あなたに何か指導したかしら? いい加減なことを言わないてちょうだい。時雨お姉様に失礼よ」
「ご、ごめんなさい」

 ゆっくりと振り返り、辛辣な言葉を浴びせてくるシノア。真昼としては適切な挨拶を選んだつもりだったが、正確なところは、まさに夢結の言う通りであった。だが、このくらいでへこたれるわけにはいかない。

(必ず、姉妹契約を結んで見せる)

 姉妹契約というのは横浜衛士訓練校に伝わる上級生と下級生が結ぶ姉妹の契りのことだ。上級生が姉となって、下級生を導く。

「シノア、少し先に行って欲しい。僕は少し真昼と話がある」
「はい……時雨お姉様」

 時雨がいなくなったのをみて、真昼は語り始める。

「今のシノアは少し複雑な状況にあるんだ。過去の自分を信じられない、周囲の人間を信じられない……そんな苦しい状況にある。僕は失敗した。シノアを助けるどころか、更に過酷な状況に追いやってしまった。僕の過失だ。僕では……シノアを救えない」
「……」
「だから真昼。君がもし本当にシノアと姉妹になりたい、力になりたいと願うなら、あきらめないで欲しい。君には僕と似て非なるものがある。君なら、シノアの凍りついた心を溶かせるかもしれない」

 時雨は、視線をそらしながら、呟く。

「僕ではないのは辛いけれど、シノアが苦しんでいる姿も見たくない。真昼……君は命を僕たちに救われた。それにつけ込むようで気分は悪いけど、シノアを見限らないで欲しい。味方でいて欲しい。僕と同じ力がある、君しか、いない」
「同じ……力?」
「大丈夫さ、正しい努力は裏切らない。誠実に、真面目に、一つ一つ積み上げていけばそれは強固な翼となって君を天に押し上げるだろう。期待している」

 そう言って真昼は背を見せる。
 その背中に真昼は声をかける。

「頑張ります! 私、頑張ります!」