横浜衛士訓練校には『特別棟』というものが存在する。
 この『特別棟』というのは、特殊な理由があって、一般衛士とは同室にできない衛士が暮らす場所である。

 夕立時雨と柊シノアは、ここで暮らしている。何故なら、『夜の、突発的なエネルギー暴走と、その停止できるのが夕立時雨のみ』という危険極まる状況がそうさせていた。
 エネルギー暴走というのは、狂気と紙一暴走の状態だ。精神を保ちながら、心拍機能や腕力、重力を無視したバーサーク状態で戦うことを可能とする。
 自身の力を暴走させ、デストロイヤーに近しいエネルギーを人の身に宿しながら戦うという、非常に危険な能力である。
 この能力の持ち主は基本、精神的に不安定であり強く依存する相手を必要とする。効果は絶大でアタッカーとしては非常に頼りになる。どのような戦術でも活きる為、徐々に重要性が認められるようになっている。
 完全暴走状態になると髪色が変わる状態になることがある。能力を制御できていないので非常に危険な状態である。
 体内に負の魔力を作り出し暴走させた結果と、魔力が増幅され非常に危険な状態だだ。

 過去に起きた『柊シノア魔力暴走事故』により、多数の負傷者と建築物への被害を出した。しかしその本人の責任能力の有無と、柊シノアと夕立時雨のコンビのデストロイヤーの殲滅能力の高さから、『特別棟での監視の上、夕立時雨のコントロールが可能な範囲でデストロイヤー殲滅へ採用』される事になった。
 二人の立場は横浜衛士訓練校では非常に危ういバランスの上に成り立っていた。

 戦術機を抱きしめて寝る真昼。目覚めると、大きくカーテンを開けて朝日を浴びる。後ろからゆったりと、同室の衛士が顔を出す。

「ごきげんよう」
「あっ、起こしちゃいましたか? すみせまん」
「いえ、それは良いけど、貴方一晩中戦術機を抱き枕にして寝ていたの?」
「うん、支給された際にいつでも側に置いておくように言われたから。それに戦術機はほんのとり暖かくて気持ちよくて」
「湯たんぽか」

 そのツッコミに真昼は首を傾げる。

「いえ、なんでも無いわ。貴方、変な子ね」

 着替えを済ませると、真昼と同室の衛士は出ていこうとする。

「それじゃあ先に……あー」

 しかし真昼が着替えに戸惑っているのを見て、手伝いに戻る。

「最初は難しいわよね。手伝うわ、向こう向いてて」
「ありがとう」

 着替えを終えて、二人は部屋を出た。
 その途中の廊下でピンク色の髪の衛士と出会う。強気な雰囲気と態度を持つ人だ。

「ごきげんよう、真昼さん」
「おは……じゃなくて、ごきげんよう」
「そんなありきたりなのじゃなくてもっと本質的な挨拶をしない?」
「本質的?」

 するり、と近寄るとそのピンク色の衛士は麻痺?を壁に追い詰めて、顎に触れて視線を逸らさせない。
 彼女は伊佐湖。
 入学式の時に、羽川と一緒に時雨とシノアに勝負を挑んでいた衛士だ。彼女の女性への気の多さは有名だった。中等部時代には複数の彼女がいたという噂もある。

「悪いけど、私には心に決めた人がいるの」

 そっと、優しく、しかし力強く伊佐湖の手を取り外す。

「だから、貴方の想いには答えられません。本質的な挨拶が、そういう意味なら、ごめんなさい。私は、あのお二人に対して真摯でありたい」

 その言葉に、伊佐湖の瞳はギラリ、と輝いた。

「良い……凄くッ!! でも、そうね、なら貴方はゆっくりと交流を深めていきましょう。まずはお友達から、どうかしら?」
「それなら、これからよろしく。伊佐湖ちゃん」
「ええ、よろしく。真昼さん」
「真昼で良いよ」
「そう? なら真昼、と。時間を取らせてごめんなさいね、授業には遅れないように。それじゃあごきげんよう」
「ごきげんよう」

 まるでは昨日のお礼を言うために柊シノアと夕立時雨を探していた。しかし見つからなかった。
 二人を探しているのに夢中になっていると、時計塔上部にあるから、授業開始の鐘の音が鳴り響いたのであった。

 真昼は全速力で自分の教室へ向かった。

「はぁ、はぁ、はぁ…… す、すみません! 遅刻しました!」

 真昼が慌てて教室に入ると、全員の視線に集中した。 教壇にはすでに女性教師が立っており、黒板に名前を書いていた。
  ちょうど、担任が自己紹介をしていたところだったらしい。

「…………初日から遅刻とは、ずいぶん大物なのね。それとも、さっそく退学希望かしら」
「違います」
「だったら、遅刻しちゃダメ。もし、実戦の場であなたが遅れたら、その分、他の命も危なくなるんだから。それを自覚しなさい」

 担任教師は柔らかい笑みを浮かべてはいるが、その言葉は辛であった。

「はい。すみませんでした」
「………あなたも、風間さん」
「え?」
「あら、いやですわ、先生。遠慮なくとお呼びになって」

 いつの間にか真昼の背後には風間が立っていた。特に取り乱した風間もなく先生の眼光を受け流した。まるで、自らが主役であるかのような堂々とした態度だ
「それより、真昼さん。あなたも同じですのね。これは、運命を感じてしまいますわ」
「え? なんで?」
「のんびりしているわね、一ノ瀬さん。そろそろ退学届は書き終えた?」
「と、とんでもありません! 一ノ瀬真昼着席します!」
「ええと、わたくしの席はどちらかしら?」

 慌てて空席に駆け込む真昼と、あくまで優雅に教室を横切る風間。

「……待って」
「なんでしょうかっ!?」

 ようやく自らの席へとたどり着いた真昼だったが、担任教師からの制止にふたたび身を竦ませる。

「そう構えないで。ただ、遅刻へのささやかなペナルティとして、貴方たたちには皆の前で自己紹介してもらうわ」
「え」


 突然の宣告に戸惑う真昼。

(じ、自己紹介? ええと……やっぱり百合ヶ丘なんだし、「ごきげんよう」からだよね? でも、その後、どんな風に話せば……)

 などと考えながらフリーズしていると、風間が真昼を庇うかのように進み出た。

「では、わたくしから……風間優衣と申します。 これから、この横浜衛士訓練校でご一緒させていただきます。 どうぞお見知りおきを」
そう言って、くるりと一回転すると、スカートの裾をつまんで優雅にお辞儀をする。すると、周囲の生徒たちが、にわかにざわめき始める。

「風間さん? それって、まさか......」
「あの、外部試験トップ合格の?」
「あの方と同じクラスだなんて。光栄だわ」

 何を言っているのか真昼にはよく聞こえなかったが、少なくとも、悪意は感じられない。むしろ、に向けられる視線には、ある種のようなものが感じられる。

(よくわからないけど、風間ちゃんって、すごい人なのかも)

 精鋭揃いの横浜衛士訓練校において、皆からの尊敬のまなざしを集める。そんな彼女に真昼が見とれていると

「こちらは私の親友となる予定の一ノ瀬真昼さんですわ」
「え?」

 突然の宣言によって、今度はクラス中の視線が真昼に集められた。真昼も首を傾げた。

(私って風間ちゃんと話したことってあったっけ?)

「まあ風間さんの親友?」
「入学前からのお知り合いなのかしら……羨ましいわ」
「楓さんから特別と認められるだなんて、きっと、優秀な方なのでしょうね」

 口々に寄せられる、真昼への好意的な意見。 そんな、最高にハードルが上がった状態ではポンと風間は真昼の背中を押してきた。

「さぁ、真昼さん。前座は済ませておきましたわ。どうぞ自己紹介を」

 後ろに下がりつつウインクをして見せる。そんな彼女を見ながら真昼は、幼い頃に飼っていた猫を思い出していた。真昼の部屋に虫やトカゲを持ちこんでは、「褒めて褒めて!」という表情を見せる猫の姿をいわゆるひとつの、ありがた迷惑というやつである。

「……あー」

 教室が静まり返る。 風間に匹敵する優等生である(という空気になっている)の言葉に期待が集まる。

(な、なんて言えばいいんだろう。なんだかみんな、わたしのこと誤解してるみたいだし……あんまり期待させちゃいけないから、正直に、ありのままのわたしを伝えなくちゃ.......)

 そうは言っても、何を言えばいいのかわからない。沈黙が重い。 なんでもいいから喋らなくては、とますます脳が熱る。

「わ、わたし、その、ほ」
「ほ」

 クラスの人が、真昼のつぶやきを復唱する。

「補欠合格、一ノ瀬真昼です」

ありのままの自分を伝えなくてはそう考えた真昼の口から出た言葉。 それは、わざわざ言う必要のない受験結果の内情であった······ こうして、真昼の横浜衛士訓練校への登校初日は、マイナスからのスタートとなったのである。