月鈴の言葉に、花妃は困ったように袖を口元で押さえ、空燕を見て、そして侍女の静芳を見た。
 彼女からしてみれば戸惑いに悲しみ、焦りが胸中を入り乱れて、息をするのすらひと苦労していることだろう。
 それは仕方がない。彼女の愛する陛下は未だに昏睡状態で目が覚めない。おまけに、元凶を捕らえなければ二度と会えないと言われているのだが。
 それを言い切るのが信用できるかどうかがわからない方士であり、愛する陛下も影武者を立てているのだ。
 信じていいか迷うのは、誰だってわかる。

(お願いだから、頷いて欲しい……さすがに私たちだって、助かる可能性のある人間を見殺しにするのは気が引ける……だから)

 月鈴は祈る気持ちだったが、やがて花妃は口を開いた。

「……あなた方の言葉に嘘はないとお見受けします。静芳も助けてくださいましたしね。わかりました。わたくしでよろしければ、協力致しましょう」
「ご厚意に感謝する」
「ただし、わたくしは陛下を愛しております。その陛下の魂が尽きて二度と目が覚めないとおっしゃるのでしたら、わたくしはあなた方を許しませんことを、ゆめゆめ忘れないでくださいまし」

 暗に「失敗したら実家の権力を総動員して叩き潰す」と言われたことに、肝が冷えたが。とりあえず右も左もわからない後宮内で、後ろ盾ができたことだけはたしかだった。

「わかった。さすがに我々も国が傾くような真似は、致したくないので」

 月鈴はそこで一旦口を結ぶと、空燕に交替した。

「それでだが……兄上が倒れた日の予定は、文官たちから確認したが、不審な点が見当たらなかった。兄上が倒れるまでの間の、兄上と妃たちの一日の生活を教えてはいただけないだろうか?」
「わたくしも、全員分までは把握はしておりませんが……静芳。後宮内の妃のお話をしてくださる?」
「かしこまりました」

 静芳は袖の下に用意していた筆と紙で、さらさらと書きはじめた。

「現状、妃様方は、花妃様も含めて五人おられます。まだ陛下が即位されてから時間があまり経っておりませんので、どの妃様も懐妊はしておられません」
「五人か……兄上が倒れる前に会ったのは?」

 渡りのことは、警備の問題で必ず後宮に報告が入る。お忍びでの渡りは、よっぽどのことがない限り行わない。それに静芳に替わって花妃が答える。

「わたくし……ですね。わたくしの目の前で、陛下が倒れました。陛下は、七日に三回、必ず妃の館に入りひと晩過ごされていました。その日の順番はわたくしだったんです」
「なるほど……」

 秋華も「泰然陛下は人ができている」と太鼓判を押していた。彼は特定の妃を寵愛することなく、順番と節度を守って妃たちと付き合っていたがために、妃同士もそれぞれ連絡を取り合っていたのだろう。

「順番が違えることは?」
「……ときおり月のものが異常を来せば、ずらすことがございますが。それでも七日に三回の頻度は変わりませんでしたし、半月に一度は必ずどの妃も陛下と館で生活を送っておりました」
「なるほど。すまんな、聞きづらい話をしてしまって」
「いえ……」
「他の妃たちのことを教えてはもらえないだろうか?」

 花妃と静芳が淡々と妃たちの話を語る中、月鈴は考え込んでいた。

(半月に一度は必ず妃たちと会っていた……つまり、妃たちの中に方士がいた場合、その人にも必ず半月に一度会っていて、そのときに外法を仕込まれた可能性もあると……しかし、思っている以上に泰然様は後宮に通い詰めだったようだな……)

 そこでふと、思いついたことを尋ねてみた。

「陛下はたびたび山茶花館に出かけ、療養中の方々を見舞っていたとお伺いしておりますが、どこで出かけてらっしゃったんですか?」
「ええ……これも半月に一度……つまり五人の妃たちの渡りが一周回ったあとに、出かけてらっしゃっていました」
「ありがとうございます」

 そのときは、護衛を伴って山茶花館で兄たちを見舞って、嘆いている秋華や侍女たちを慰めていたのだろう。彼の性格上、ここで浮気をしていたとは考えにくい。
 全てを聞き終えてから、最後に月鈴は「静芳」と声をかけた。

「なんでしょうか?」
「もし花妃様がお許しくださるのだったら、昼食までの間だけでかまわないから、後宮内の案内をしてくれないだろうか?」

 途端に静芳が顔を赤く染めた。それに月鈴はキョトンとした。

「静芳?」
「い、いえ。なんでもありません。とにかく、後宮内の案内ですね? わかりました。ただ、先日も申しましたが、時間により妃様方の侍女が中心になって行動する時間が決まっております。その時間を遵守してくださるのでしたら」
「それでかまわない。あなたにはここに来てからずっと助けてもらっているな。ありがとう」

 そう言って月鈴がにこりと笑ったら、またも静芳はそっぽを向いてしまった。
 花妃たちが帰って行ったあと、月鈴は困った顔で空燕を見上げた。

「私はなにか、静芳に対して失礼なことをしただろうか? 彼女には手伝ってもらって本当に感謝しているんだが」
「俺はなあ……月鈴。お前さんが人に対して本当に親切なところは気に入っているが、人をたらし過ぎるところは好かんなあ」

 そうチクリと言われて、思わず月鈴は目を細めた。

「人に親切にしたら勝手に好かれて困ると言うなら、誰にも親切にはできないだろうが」
「まあ、そうなるな。それじゃ方士失格だ。仙人を目指す以上は徳を積まにゃどうにもならんからな。それはさておいて、俺もいい加減影武者稼業に戻らないといけないが」
「ああ……そうだな、すまない」

 残っている食事を平らげに戻りながら、空燕は告げる。

「少なくとも、敵はどこにいるかはわからんが、方士だということだけは間違いない。あまり油断するなよ。俺よりも方術に長けているとはいえど、そんなお前さんでさえも尻尾を掴ませないということは、相手はそろそろいつ仙人になってもおかしくない方士である可能性もあるんだからな」
「……わかっている。私もだが、ここで暮らす宮女たちがこれ以上魂を食らわれてはたまらないからな」

 まだ若い身空で生きた屍に替えられた挙げ句、方術で操られて屍兵として使役されるのは、外道にも程がある。
 これ以上宮女たちの魂を抜かれる訳にも、屍兵を増やされる訳にもいくまい。
 ふたりは解散してから、一旦月鈴は宮女の姿になり、静芳と約束の場所へと向かったのだ。

****

 静芳と約束の場所……医局で落ち合うと、そのままふたりで歩きはじめる。

「それにしても……それぞれの妃様たちを監視するのではなく、花の観察、ですか?」

 花を愛でてはんなりと笑う性分には思えない月鈴を、半眼で静芳は眺める。それに対して月鈴は大きく頷いた。

「ああ、花にもいろいろあるからな。屍の腐敗を防ぐ花、屍兵が逃げる花、どちらでもなく美しく咲き誇るだけの花などなど……」
「要は今まで行方不明になった宮女たちが、その花壇に隠されている可能性もあると?」
「もちろん」

 実際、月鈴は桃の木を館内に焚き込めることにより、屍兵避けを施した。そして花妃にも桃の香油をあげたが、彼女はそれに対してなんの反応も示さなかった。あれは破邪の力の強いものであり、屍兵がいたら簡単に祓われてしまい、方士であったとしても操れなくなるというのに。
 だとしたら残る四人の妃の館を囲む庭を見て回り、それで屍兵の出所と方士の特定をしようと試みているのだ。

(もっとも……相手が空燕が指摘するような、既に仙人になりかけているような大物方士であった場合……私でも対処できるかどうかは怪しいが。だが放置していても、雲仙国のためにもならないからな)

 既に三人の皇帝陛下の魂が抜かれているが、方術修行に明け暮れ、なおかつ破邪を施した館で過ごした空燕は、確認したが三魂七魄どれをとっても削られた形跡がなかった。だから守る方法は月鈴のもので合っているのだろう。
 だが、敵が屍兵をつくるのに手段を選んでいないとしたら? 後宮であったら、宮女以外だと宦官以外は身動きがなかなか取れない。ここで屍兵をつくれば、捜査が大幅に遅れるのである。
 だからひとまず、花壇を見極めることにする。
 だんだんと、白と紅で色が霞んできた。

「おお……」
「このあたりは梅園ですね。先代の妃様がつくるのを命令し、これがあまりに美しいものなため、妃様が後宮を離れたあとでも残してらっしゃるんです。あの……この梅園はなにかしら怪しいことは……」
「梅もまた、破邪の花だな」

 そう月鈴が言う。

「縁起物として使われる花は、基本的に破邪の花と思ってくれてかまわない。方術でもそう学んでいる」
「はあ……私はてっきり、もっと難しい謂われがあるのかと思っていましたが」
「方術も民間に浸透しているからな。民間信仰で縁起物としてありがたがっているものは、大概は方術でも破邪のものだから尊ばれているものだ」

 梅の澄んだ匂いを嗅ぎながら、しばし静芳と月鈴は、梅見を楽しんでいた。
 それからしばらく歩く。
 もうしばらくすれば、他の妃たちの侍女が往来を歩くようになるため、花妃付きの侍女である静芳が歩き回るには難が出てくる。そのため急がねばならなかった。