深い森。木々の影は月明かりを遮り、辺り一面を闇色の染め上げている。
 その中、ザッザッと落ち葉を踏みしめる人形のような足音が響いていた。木々の隙間から、手を真っ直ぐに伸ばし、跳ぶ足音……屍兵は、こんな場所にも潜んでいた。

「はあ…………!!」

 棒が勢いを付けて跳ぶ。屍兵はあり得ない方向に首を曲げて避け、ギョロリと目を剥いて棒を構える者を射抜く。

「これ以上民家には入らせない……!!」
「グギャギャギャギャギャギャギャギャ」

 人の声と思えない咆哮を上げ、屍兵は群れをなして向かってきた。が。
 その勢いはドォーンという音と共に遮られた。
 森にそびえる何百年ものの木の幹が折れたのである。いや、違う。男の太い腕と青竜刀により、切られたのである。その木は屍兵を巻き込んでいき、押し潰していく。木が数本折れたことにより、屍兵と戦っている者たちの姿が月明かりの下に現れた。
 方服を着た凜とした佇まいの娘に、同じく方服を着た背の高い青年である。

「それじゃあ、俺は屍兵の動きを封じる。封じた隙に、無効化してくれ」
「わかっている」

 勢いを付けて跳んできた屍兵の膝、腕、首……さまざまな箇所を男は青竜刀で切って動きを止め、その隙に屍兵に貼られた札に書かれた術式を娘は書き足していく。書き足すたびに屍兵は動きを止め、そのまま崩れ落ちていく。
 本来なら多勢に無勢になるはずの戦いであったが、たったふたりの方士の活躍により、見事屍兵たちは封印を施されて、そのまま物言わぬ屍に戻っていった。最後のひとりの術式を書き終えたところで、ようやく娘は「ふう……」と息を吐いた。

「お疲れ様。今晩はずいぶんと骨が折れたもんだ」
「お疲れ様。本当に……この辺りの墓地が荒らされたのだろうな。墓地にも桃の灰を撒いておかないと」
「そうだな……」

 かつて雲仙国の後宮に入り、連続皇帝昏睡事件を解決した皇帝の影武者と、その愛妾を演じた空燕と月鈴。
 本来ならふたりは後宮に住まう妃たちの別荘兼療養所に当たる山茶花館預かりとなり、有事の際には皇帝の影武者とその愛妾として、各地を飛び回らないといけないと、そう時の皇帝……泰然陛下の命を受けていたが。
 今は霊山の麓で、屍兵退治をしていた。
 方士が民草を守るために、屍兵や妖怪と戦うのはよくあることなのだが、今回はいささか事情が変わっていた。

****

 泰然が政治に戻り、雲仙国はどんどんと豊かになり、泰然陛下の人気も高まりつつあった。彼が各地に遊園に出かけ、民草に顔を合わせる。そして民草の悩みをひとつひとつ吸い上げて、新しい法律をつくる。
 税が厳しいという地域では、税を免除する代わりに労働で返せるよう働きかけ、豊作が過ぎて売る場所がないと困っている地域の豊作物は国で一括で買い上げ、逆に不作で喘いでいる地域に振る舞った。
 その話を聞いてからの行動の速さは目を見張るものがあり、泰然陛下は巷では「千里眼の明君」と呼ばれるまでに広がりつつあった。

「……まあ、実際は俺たちが出かけたからなんだがなあ」
「陛下もよく考えつくものだな。法案制定中でも、私たちが外に出ていればそのまま情報を抜けると」

 実際のところ、遊園を行っていたのは泰然ではない。そもそも先日の連続皇帝昏睡事件のせいで、側近たちが過保護に陥り、せいぜい方士ふたりを抱えて結界を張られ、武力でも物を言う山茶花館くらいまでしか、外に出ることができなくなってしまっている。
 遊園に向かっているのは専ら泰然に変装した空燕であり、愛妾として月鈴がその隣を侍っていた。
 雨桐はもちろんのこと、辺境の地に皇帝が現れたとなったら、それだけで人々は活気づく。彼らから聞いた困った話、嘆願を手紙に書いて鳥に括り付けて送り、こうして法案施行をしてもらっている。
 泰然や一般の兵だけではなかなか辿り着けないような場所でも、方士であり鍛錬を積んでいる空燕と月鈴ならばたとえ派手な服装をしていても出かけることができ、その上、自分で身を守れるものだから兵力を最低限でかまわず、雨桐の兵力を割くこともない。いいこと尽くめだったのである。
 雲仙国をぐるりと一周し、久々に帰ってきた山茶花館では、秋華や侍女たちが待っていた。

「お帰りなさいませ。遊園はどうでしたか?」
「ただいま戻った秋華殿。あちこち見られて面白いものだった」
「それはよろしかったです」

 秋華の淹れてくれたお茶を飲んでいる中「そういえば」と彼女が告げる。

「どうかしたかい」
「陛下から伝言を預かっております」
「兄上……このところ側近が過保護なのに、抜けてこられたのですか?」
「それは側近の方々の気持ちを汲んでくださいませ。皆さん不安なんですよ、また陛下が目を離した隙に昏睡状態に陥ったらどうしようと」

 任務帰りで腹を減らした空燕と月鈴がお茶を飲んでいる間に、ごま団子を温めて差し出す
。それをふたりが一生懸命食べている間、秋華は手紙を差し出した。
 空燕は行儀悪くもごま団子を頬張りながら、手紙を広げて目を通した。

「ふうむ……四像国の穏健派と会合を持つべく、俺たちに出かけてほしいらしい」
「隣国に亡命政権を立てたというところが、穏健派でしたか?」
「ああ……」

 空燕が顎を撫で上げて手紙に何度も目を通している中、月鈴はごま団子を食べる。

「かつて山茶花館を襲撃し、後宮に侵入をしていたのが強硬派だと聞くが……強硬派は出家して現在方士となっている者たちで間違いないか?」
「ああ……方士になれば、方術、体術、丹術……ありとあらゆる知識を得られる上に、方士という肩書きはどこにでも入れる免罪符になる訳だからな」
「……陛下はよく、あなたに還俗を勧めなかったな?」
「俺を皇族に戻したら、最悪俺がなんらかの理由で神輿として担がれるかもわからないからな。兄上もそれを防ぎたかった上、後宮内に仙女の侵入を許したのだから、現在方士に対する信頼が薄い。俺が還俗するのも方士のままでいるのもまずいなら、せめて神輿にされないほうを選んだんだろう」
「ややこしい……」
「要は政治に使えるか使えないかって話だな。続き。強硬派のせいで穏健派がたびたび使者を送っているものの、使者が雨桐に到達できないらしい。俺たちで強硬派を抑えて穏健派との会談に進ませるか、強硬派を倒すか選んでほしい、らしい」

 その言葉に月鈴は難色を示した。
 四像国も、このまま雲仙国に取り上げられた山の奪還を諦めていないらしいが、強硬派と穏健派では雲仙国に対する取り扱いも違うらしい。

「……ここは私たちでするべきではなく、軍を派遣してもらったほうがいいのでは?」
「おそらくは、それができないんだろうな。先日の一件で、軍も人を集めるのに時間がかかるようになったから」
「ああ……」

 浩宇のような例があったため、身元検めが厳しくなり、その結果軍に人を集めるのも時間がかかるようになった。軍を少し動かす場合でも妖怪や方士を相手取る危険が伴うため、自然とそれの対策が既にできているふたりにお鉢が回ってきたのである。
 秋華は月鈴に「あまり泰然陛下を責めないであげてくださいませ」と口を挟んだ。

「なにも四像国をないがしろにしている訳ではないんです。後宮で、そろそろ世継ぎが誕生しそうですので」
「え……それはつまり」
「ええ……先日、花妃様が懐妊なされましたから」

 あれだけ泰然のことを愛していると言って憚らなかった彼女が懐妊したとあっては、たしかに雨桐を離れる訳にはいくまい。警備が厳重になるのも頷ける。
 そうなったら、やはりふたりは出かけなければいけなくなるが。
 最後のごま団子をごろりと口の中に転がしてから、空燕が口を開けた。

「そうなったら、俺たちは強硬派を足止めするよりも、むしろ倒したほうが早いか」
「そうだな……秋華、おいしかった。ごちそうさま」
「いえ。帰ってきたばかりだというのに。お気を付けください」
「ああ……」

 こうして、ふたりで四像国の穏健派を招けるよう、強硬派の住む寺院まで向かったのであった。

****

 本来ならば、四像国で一生を終えるはずだった人々は、山を奪われ、怨嗟を撒き散らして死んでしまった。そんな怒りの形相の彼らの遺体を使い、屍兵と化していた。
 彼らの怒りや恨みを受けながら、空燕と月鈴は屍兵の札の術式を書き換え、封印して回っていたのだった。

「ふう……これで隣国からの街道も開いたはずだが」
「彼らの怒りは、凄まじいものだな」
「そりゃそうだ。故郷を追われ、聖地を奪われ、挙げ句の果てに出家を迫られたんだからな。俺のように自主的にではなく、ほとんど強制的に」
「ああ……」

 ふたりは最後の一体の屍兵の封印を施してから、彼らを墓地に埋葬しなおした。最後に桃の灰を大量に撒く。桃の灰が消え失せない限りは、彼らの遺体が再び屍兵のして利用されることもないだろう。
 ようやくひと息ついたふたりは、宿へと戻っていった。
 宿はこの数日屍兵のせいで隣国に渡ることも、雲仙国内に戻ることもできずに立ち往生していた人々で埋め尽くされていた。
 気の毒なのは宿の主人であり、命を賭けて立ち往生している人々の食事のための食材を調達せねばならなかった。

「往来、だいぶ安全になった。日が昇るころには往来は再会できるだろう」
「なんと……! ありがとうございます、方士様たち!」

 宿はどっと歓声が沸いたが、ふたりとも一旦宿に取った部屋へと戻っていった。

「皆、喜んでいたな。これで穏健派も雨桐へ向かえるはずだな」
「ああ……」

 ふたりはごろんと寝台に寝そべる。宿屋の主人が気を遣ったため、ふたりの取った部屋は新婚用であり、寝台も大きいとはいえどひとつしかなかった。

「これで兄上からの命は達成できた訳だが」
「まあ……そうだな」
「これで暇ができたのだから、一日潰していかないか?」
「……はあ?」

 月鈴は変な声を上げたのに、からからと空燕は笑う。

「一応俺たち、皇帝陛下公認の内縁の夫婦だぞ? おまけに主人も気を遣って新婚用の寝台を提供してくれた訳だ」
「あれは……そうしないとここで立ち往生している宿客が全員入らないからだろうが!?」
「あんまり恥ずかしがってくれるな」

 そう言いながら、空燕は月鈴のまとめた髪を解く。枕元にばさりと彼女の艶のある髪が広がった。方服の襟ぐりを寛げ、空燕は胸板をさらけ出す。それを見上げていて、ようやっと月鈴は観念したように目を閉じた。

「……動けなくなるまで抱いたら殺す」
「善処する。が、一日は休むぞ? お前さんの体が持たんだろうしな」
「殺す」
「すぐそういうことを言うなよ。寂しいだろうが」

 そうからから笑う空燕の髪を抜けるほどにグイッと月鈴は掴むと、そのまま彼の唇に齧り付いた。はっきり言って痛い。

「痛い痛い痛い痛い……おい、いい加減にしろ。雰囲気を考えろ」

 たまりかねて月鈴をくすぐり続けて口の力を緩めた空燕に向けて、月鈴は普段滅多にしないにんまりとした勝ち誇った笑みを浮かべた。

「あなたは普段から大人ぶって余裕ぶっているから、私だってあなたの調子を崩したかったんだ……ざまあみろ」
「……ほーう、お前さんが初だから抑えていたが、もう大丈夫のようだなあ」
「……はい?」

 そのまま組み敷かれた。体重をかけられる。
 口付けは鼻先、頬、そして唇に降りかかる。

「じゃあ……いただこうか」

 そう低い唸り声を持って、空燕は微笑んだ。

****

 雲仙国にて、千里眼の明君、泰然という者がいた。
 悪逆非道な方士によって荒れた大地を鎮め、困り果てた者たちを慰め、妖怪や魑魅魍魎を鎮めた皇帝陛下の名は、明君として広く雲仙国の歴史に名を残すことになった。
 後の歴史に、彼の手足となった方士がいたとされている。
 その方士は皇帝にとってなんだったのかはよく知られていない。ただ男女一組であり、仲睦まじい夫婦だったとされている。
 方士は婚姻を結んでいいのか。それについては歴史研究の中でも大きく議論を呼んだが、ひとつだけわかっているのは。
 雲仙国において、彼らの存在は必要不可欠だったということだ。

<了>