月鈴は明玉を家まで送り届けるため、灰を撒きながら彼女と手を繋いで歩き、時に屍兵と戦っていた。
 そして明玉から薬屋のことについて聞いていた。さすがに政治のことまでは月鈴でもわからない以上、聞いた話は空燕と合流してから彼に流すことにする。

「薬屋はいったい、どこから噂になったんだ?」
「流行り病が出回って、人がぽつぽつ出なくなってきたの……」

 あの人気のない物騒な雨桐の町並を思う。人気がなければ不安になり、不安になれば余計に流行り病にかかりやすくなる。病は気からという言葉は、ただの慣用句ではなく本当の話だとは誰もが知っている。
 月鈴が続きを促すと、明玉はつっかえつっかえ教えてくれた。

「そんな中、誰かが外の薬屋ではなんでも治る薬を売ってるって言いはじめたの」
「誰かって……誰が?」
「わかんない。半信半疑で出かけた人たちが手に入れた仙丹で、次から次へと流行り病が効いて、起き上がれる人が増えたの。でも……」

 明玉は包みをぎゅっと抱き締める。

「それから起きられない人が増えたの。仙丹を使った人じゃない誰かが、ちっとも起きなくなってしまうの。それが怖くって、皆家に閉じこもりっきりになってしまった」
「そうか……」

 月鈴は軽く唇を噛んだ。
 大方、わざわざ都の外に出るように言った人間は四像国のものだろう。彼らにしてみれば、雲仙国の民がどれだけ死んでも困らないし、生きて外に出てくるのならば、魂を抜くための羅羅鳥を誘き寄せるための人々が集まれば万々歳だったのだろう。
 誰かを救いたいという気持ちが、雲仙国を食い荒らしていく。あまりにもやるせない思いだ。
 そんな中、ようやく路地を進んで、小さな家が見えてきた。

「あそこ! 私のおうち!」
「そうか。気を付けて買えるように。あと」
「うん?」

 月鈴は明玉に桃の枝をあげた。振りやすい小枝に、明玉は首を傾げる。それをふりふりする様を見ながら、月鈴は双眸を細めた。

「これはお守りだ。家に帰り次第、玄関にでも飾っているといい」
「お守り?」
「そうだ。気を付けて」
「うん! ありがとう!」

 明玉は嬉しそうに手を振って、家に帰っていった。きちんと戸締まりしたのを確認してから、月鈴は手早く手を噛み切り、血を流しながら玄関に文字を書いた。
 結界を張り終えたら徒労に終わるだろうが、まだ空燕と合流できていない。最後に月鈴は血文字に自身の力を込めるように指を突き立ててから、ようやく手を離した。
 屍兵も、今晩はこの家に近付くことはかなわない。それを確認してから、月鈴は屋根に跳んだ。棒を取り出し、ゆらゆらと襲ってくる屍兵を迎える。

「私があの子を守るのを待っていたとは思えないがな」

 明玉のような家族を愛する善意が、羅羅鳥の好む冬虫夏草の匂いを散らした。家族を守る好意が、屍兵を産み出した。
 そんなこと、雨桐に住まう人々たちが知らなくていいことだ。月鈴は棒を構えた。

「……人の好意を笑うな。人の善意を嘲笑うな」

 パシンパシンと音が響き渡る。既に月鈴は先程の一戦で、大多数の屍兵の相手の仕方を覚えていた。
 膝、腕、関節という関節を棒で殴り飛ばして壊した。痛覚のない屍兵は、これで動きが止まるという寸法だった。
 しかし、それでも数が多い。月鈴は棒で大きく屍兵を突き刺し、次から次へと屋根から落として回る。
 ふと屋根の上から見上げられる月を見た。既に月の傾きが大きくなり、あと数刻で夜明けがやってくることに気付き、自然と月鈴は唇を噛んだ。

「今日中に決着を付けるのだから、邪魔をするな……邪魔をするなぁぁぁぁぁぁ!!」

 月鈴が吠える。それでもゆらゆらと揺らめく屍兵が現れる。
 本当にキリがなくて苛立ってくるが。その中で血を流しながら倒れる屍兵が目に飛び込んできた。

「ずいぶんとまあ……お前さんのほうには屍兵がたくさん集まったな?」
「……っ、空燕!!」

 先程別れた空燕だった。つまりは、城壁沿いに一周するという約束は達成させられたのだ。月鈴は灰を撒きながら、再び屋根に登る。

「灰は撒き終えたのか!?」
「ははは、お前さんとの約束を違える俺じゃあるまいよ。しかし、この中で術式は発動させられるのかい?」
「させられるのではなくて、させるんだ。私はしばらく術式を発動させるために血文字を書き連ねるから、その間は空燕が私を守ってくれるか?」
「了解了解。お前さんを守らなかったこと、俺にはあったかい?」

 ふたりは軽口を叩き合いながら、月鈴は一旦棒を畳んで袖にねじ込むと、手から血を垂れ流しながら文字を書きはじめた。
 その間も、わらわらと屍兵は寄ってくるが、青竜刀を構えた空燕はニヤリと笑ったのだ。

「俺たちをあまり舐めてくれるなよ?」

 片や女方士。片や放ったらかしにされていた皇族。
 それらが屍兵退治をしたところで、大したことはないと思われてもしょうがなかったが。
 それでも空燕は、あれだけ月鈴が苦戦していた屍兵の群れを、難なく力業でねじ伏せていったのだ。大きく屍兵を斬れば、それを青竜刀を振る勢いで遠くにいる屍兵の群れに投げ込み、そのまま積み木倒しで倒れていくのを台にして、さらなる屍兵と戦う。
 月鈴のように再封印ができないため、力業で殴ることしかできなかったが、現状結界を張ろうとしている月鈴には、これくらいの荒技のほうが楽だった。
 月鈴が手首を切って流した血が今まで撒いた桃の灰に染み込み、月鈴の力が宿る。灰を通って月鈴の力が流れ込み、それは雨桐の城壁を伝って大きく一周した。

「いいから終われ……いいから、終われ…………!!」

 月鈴の手印が決まり、だんだん灰が彼女の力を受け継いで発光してくる。その発光が城壁沿いに大きく周り、やがて雨桐全体が真昼のように明るくなってきた。
 変化はあっという間だった。

「ギギッ」
 「グキュ……グキュウウウウ……!!」
   「ボワァァァァァァッ………………!!」

 魂を抜いていた羅羅鳥が次から次へと絶命しはじめたのである。更に力が抜けたかのように、屍兵はバタバタと倒れていく。
 雨桐全域に結界を張り終えたのだ。

「ふう……」

 月鈴は心底疲れたように息を吐いたあと、そのまま腰が砕けて倒れそうになったが、それを「おっと」と空燕が彼女よりも太い腕で抱き留めた。

「月鈴、お前さん大丈夫かい?」
「疲れた……こんな大勢を相手に格闘したことも、疲れを引き摺って術式を発動させたことも、今回がなければ一生無縁だったと思う」
「ハハハハハ……お疲れ様。これで、兄上は目が覚めるのだろうか」
「おそらくは。この辺りは羅羅鳥が飛んで、それが魂を食らっていた。おかげで雨桐全域に生きた屍が大量発生だ。全然シャレにならない」
「なるほどなあ……俺も、羅羅鳥を操っている連中を見たよ」
「……なに?」

 月鈴が心底疲れ果てているのを見かねて、ふたりで屋根に一旦腰を落ち着けてから干し果物を食べつつ情報交換を済ませる。
 案の定というべきか、四像国の人間が暗躍し、四像国側の方士が動いたことが、連続皇帝昏睡事件の真相と見て取るべきだろうという見解で一致した。
 青蝶は愉快犯ではあるが、彼女を犯人としてみるには、あまりにもわかり安過ぎるというのが一点、限りなく仙女に近い方士が動いているにしては雑な部分が目立つことが一点で、彼女は黒幕に雇われたと考えるべきだろうという点でも、ふたりは意見が一致していた。

「だが……四像国の人間だろうというところまではわかったが、後宮で皇帝が倒れたことについては、誰かが白妃を招き入れなければできないはずだ。私だと犯人の目星は付かなかったのだが……」
「いや? 俺はひとり心当たりがある」

 それに驚いて月鈴は目を見張った。

「あれを早くなんとかしないことには……さて、白妃はあれの味方を続けるか、そろそろ退散するか、どちらになるやら」

****

 初めて彼を見たとき、これだけ美しい人はこの世にいるのかと息を飲んだ。
 三代前の皇帝は、あまりに戦好きで、傍若無人な人間だった。その血が入っているとなったら相当の食わせ物だろうと思っていたが、その人は美徳という言葉が服を着ているような人だった。
 妃の名前はもちろんのこと、宮女や宦官の顔と名前をひと目で覚え、誰に対しても親切だ。
 天性の人たらし。そう呼んでしまえばそれまでだったが、彼を嫌いになる人などこの世にはいないのではないかとさえ考え。
 この人の傍にいたい。この人を支えたい。この人のために尽くした……。
 そう思えたらどれだけよかっただろうか。実際のところ、それができないことはわかっていた。
 大切にしていた故郷を奪われ、同胞の半分は山に残るためには出家するしかなかった。もう半分は奪った国に帰化するしかなかった。しかし奪われた故郷を取り戻したいという欲と、大切なものを奪った雲仙国に復讐を成したいという怒りが鎮まることはなかった。
 だから山で流行る病を、首都に密かに広めた。すると都に住まう人々が倒れ、思うように動いてくれた。四像国の民であったら、半分は妖怪との戦いに明け暮れる。中には妖怪退治のために妖怪を飼い慣らす者たちまでいるのだから、夜行の妖怪を放てば、面白いくらいに主とは不安で蝕まれていった。
 あとは後宮を落とし、皇帝さえ蝕んでしまえば、この国を転覆するのはたやすい。そう思っていたが。
 泰然陛下に出会ってしまった。彼に惹かれてしまった。
 彼は敵だ。敵だ。敵だ。敵だ。
 そう自分を納得させて諦めようとしたのに、自分の中が半分に割れたかのように、言うことを聞かなかった。
 彼を殺したくない。彼を羅羅鳥に食わせたくない。
 ……彼を、愛してしまったから。
 自分が動けなくなり、羅羅鳥を招き入れることに躊躇うようになった中、四像国が雇った仙女が囁いた。

「そんなに言うなれば、あれを自分のものにすればよかろう。そなたに惚れれば、どのみちこの国は傾くのだから。惚れ薬でも煎じてやろうか?」

 その言葉に目眩を覚えた。
 自分を好きになってもらえれば、生きた屍に変えなくてもいい。
 それに心惹かれている自分がいたが。それは無残に打ち砕かれてしまった。
 泰然陛下の渡りの際の用意のとき、話をしたのだ。

「もしかすると、世継ぎが生まれるかもしれない」

 それに自分は強張った。
 彼が世継ぎをつくったら、世継ぎを殺さなければならなくなる。
 自分は仙女に頼んで、ありったけの冬虫夏草を煎じた薬草茶を差し出した。

「おめでとうございます。どうぞ励んでくださいませ」
「ありがとう、いつも助かっているよ」

 お願いだから、食われてくれ。
 魂を、生き様を、自分の恋と一緒にムシャムシャと。無残に打ち砕かれてくれ。