月鈴は仙丹を明玉に返しながら、「あとお姉ちゃんがこれをあげよう」と差し出す。干し桃である。桃は水分をふんだんに含んでいるため、ただ干すだけでは干物にするのは難しいが、炭で燻すと独特の香りの付いた甘さの凝縮した干し桃に変わる。
 それに明玉は「わあ! これをお父さんに!?」と喜んだ声を上げた。

「ああ、病気なんだったら、精の出るものを食べたほうがいい。本当だったら、干し貝柱などがあればいいんだが、私は方士だ。残念ながら食べることが叶わなくてな……代わりに干し果物を食べさせてあげなさい」
「ありがとう!」

 月鈴は口元ではにこにこしながら明玉に干し桃を差し出していたが、内心ではひやひやとしていた。

(まさか……この冬虫夏草の匂いに釣られて妖怪を誘き寄せていたのか? たしかに後宮内には結界に阻まれて妖怪は現れないが、雨桐の町は違う……しかもわざわざ流行り病まで流行らせて、町の人々が仙丹を買い求めに来るようにするなんて……)

 後宮内で皇帝が魂を抜かれて昏睡状態に陥ったのも、おおかた町に現れた妖怪を捕らえて、後宮内に開け放ったのだろう。結界に阻まれて外に出られなくなった妖怪は、おそらくは青蝶に飼われていた……羅羅鳥は冬虫夏草の匂いが好きなのだから、それをさりげなく皇帝に使い、それで羅羅鳥を誘き出して皇帝の魂を抜かせたというところだろう。
 だが、ますますこれだけでは青蝶だけでは成立しないのだ。

(……おおかた、四像国の人間が青蝶を雇って後宮に入れたんだろうが……四像国の内通者が後宮の中にいるとなったら……)

 妃たちは身元がはっきりしているため、青蝶を除く妃たちは除外するとして、あとは大勢の宮女と宦官の中から、内通者を探さないといけない。
 これ以上は月鈴だけではわからず、空燕から話を聞かないことには、真相が掴めない。

「お姉ちゃん……」

 と、急に明玉の脅えた声に、月鈴は思考を打ち切った。
 向こうでトン、トン、トン……と足音が響いてくる。屍兵が、手を大きく掲げて跳んでいるのだ。月鈴は袖から折り畳んだ棒を出してそれを振るって一本に伸ばす。

「そこにいて! あとひとつ干し桃を食べて!」
「えっ、でもお父さんの……」
「ひとつだけでいいから! 急いで!」

 明玉は月鈴の声に脅えつつも、ひとつ無理矢理食べて飲み込み、目を白黒とさせた。その間に月鈴は棒を構える。

「……あなたたちがこの国に対して怒っているのは、理解している」

 怒りが燻れば、諍いの種になる。そしてそれらを向けられて当然なことを、雲仙国はしているのだ。
 だが。この場にいる屍兵たちは、元を辿れば全てこの国の民であり、四像国の者たちにより魂を抜かれてしまった姿だ。魂が空っぽになってしまったら、もう蘇生させることもできず、生きた屍として延々と札を貼られて操られ続ける、憐れな姿だ。

「だが……あなた方の民と同じ憐憫を、どうしてこの国の民に向けない? どうして哀れみをかけられない? 上がどれだけひどいことをしたとしても、下の者たちは、ひどいことをするだけの力なんてないのに……!!」

 月鈴の激昂は、屍兵には届かない。わからない。もう耳を抜けていった声を判別する術さえ失ってしまったのだから。それがなおのことやるせなく、月鈴は片っ端から棒で急所を突いた。
 これだけ多かったら、もう札の術式を書き直して封印を施すより先に、動けないようにしたほうが早い。
 膝の皿。かかと、肘関節。それらに棒で一撃を与えて骨を砕き、動けないようにしていく。いくら痛覚が失われた体であったとしても、立つことができなくなってしまえば、襲う術がなくなってしまえば動けない。
 灰を撒き、術式を施したら、彼らをきちんと弔おう。
 なによりも、今は明玉がいるのだ。なにも知らず、今も脅えて泣いているだけの憐れな少女。雨桐の者たちも、今は家の中で震えていることだろう。
 彼らに平和な夜を返すためにも、月鈴は負ける訳にはいかなかった。

****

 空燕は青竜刀を煌めかせて、四像国の軍人たちと戦っていた。
 その動きは素早く、それでいて太刀筋は重い。青竜刀でひと太刀捌けば、また別の兵士の剣が迫ってくる。
 それに空燕が「ちっ」と舌打ちしながら受け流していた。
 彼らと戦いながら、空燕は考える。

(……彼らは仕上げにかかるつもりだろうな。この国を瓦解させるための。このまま放置すれば、兄上は間違いなく魂が尽き果てる。そうなれば、あとは俺を殺せば終わるのだから)

 後宮に跡継ぎがなく、四代前の子は四人。それが全員いなくなれば……この国は間違いなく割れる。皇帝がいないのだから、当然と言える。
 そのバラバラになった雲仙国に四像国が声をかければ……それで吸収合併という形で、雲仙国は跡形もなく消失する。かつて四像国が失われたのと同じ状態で、雲仙国は消え失せるのだ。
 父の業であり、兄たちは関与してないのだが、そんなこと既に無くなってしまった四像国の連中にわかる訳もない。
 既に復讐する相手が死んでいる以上は、その業が子供に降り注ぐのだって当然の話なのだから。

(こいつらをそのまんま放置していたら、次は後宮か……)

 後宮に住まう妃たちは、一見有力に見えるが、後ろ盾の父を失った途端に一気に力を失う。雲仙国が割れてしまえば、それは彼女たちの父親だって嫌でも戦乱に巻き込まれるだろうし、父を失って妃の発言力が消えてしまえば、いよいよ制御ができなくなる。
 あの中に、後宮に青蝶を招き入れた内通者がいるはずなのだから。
 空燕は青竜刀で捌きつつ、ちらりと空を仰いだ。星の位置が変わりつつある。いい加減に動かないと、月鈴と合流できないだろう。

「悪いな。お前さんたちは俺を殺したいんだろうが、俺もまだ死ぬ訳にはいかんのでな。逢引の約束があるんだ。そろそろ、俺は行くから」

 そう言って、全員に灰をかけた。目くらましだ。そのままゲホゲホとむせた咳をする彼らを背に、空燕は走りはじめた。

(しかし……本当に花妃を味方に付けておいてよかったな……あそこもそろそろまずいんじゃないのか?)

 空燕を殺せばそれでおしまい。とはいかないだろう。仮にこの場で空燕を仕留められたとしても、確実に皇帝を全員殺さなければ、雲仙国を滅ぼすことはできないのだから。

****

 夜である。山茶花館のある辺りは夜は冷え、どうしても炭を焚きつつも定期的に窓を開けなければならなかった。
 そんな中、秋華は皇帝の世話の交替をし、やっと夜食にありつけたところであった。
 侍女たちは眠り続ける皇帝の体を拭き、着物を着替えさせて、寝返りを打たせていた。腰擦れがあったら体が動かなくなる。寝返りのために、侍女たちは二刻ごとに交替し、作業を繰り返していた。

「秋華様、そろそろお休みになられたほうが……」
「そうですわね……だけれど、どうにも胸騒ぎがするんです」

 これは彼女にとっての陛下が倒れたときのような……それよりももっと強い違和感を覚え、どうしても休む気になれなかった。
 窓の下を眺めれば、雨桐から派遣された兵士たちが見張りを続けてくれている。何事も問題はないはずなのだ。何事も。
 そう思ったときだった。

「なんだ、貴様たちは……!」

 布団の割ける音が響いた。それに続いて、血のにおいが漂う。秋華はそれに気付いて走って行った。

「全員、部屋の扉に荷物を積んで!」
「秋華様?」
「急いで! 賊が来ます! このままでは、陛下たちが……!!」

 侍女たちは顔を青褪めさせつつも、頷いて秋華の指揮の下、空いている寝台を運び、窓を閉め、その上に何個も何個も荷物を並べはじめた。
 山茶花館は本来別荘地だ。当然そんな場所に武器なんてものはない。せいぜい部屋を暖めるための火の付いた炭くらいだが、そんなもの的確に投げなかったら館に火がつくのだから、扉を壊されたときに開けることしかできまい。
 最後に眠っている皇帝たちの寝台を動かした。彼らが殺されぬよう、それぞれの侍女たちが震えながらも必死になって覆い被さる。彼らが殺されてしまったら、なにもかもがおしまいなのだ。
 秋華は自分の陛下を抱き締めながら言う。

「陛下……もしものときは、お供しますから……」
「秋華様、そんなことおっしゃらないでください!」
「もしもなにかあったときは、私たちのほうが……!!」

 侍女たちは震えながらも気丈な言葉ばかりを紡ぐ。それにほっとして、秋華は「ありがとうございます」と微笑んだとき。
 扉にガンガンと打ち付ける音が響いた。それに全員、いよいよ覚悟を定めた。全員、自分たちが殺されても、なんとしても皇帝を守らなければと、抱き着く腕に力を込めたとき。

「ガガァ……! 貴様ら、何やつ!?」
「不届きなことをするな! ここにいるのはどなただと心得ている!?」
「そうです、不届き者です!」

 どうも扉の外で、賊と誰かが交戦している。山茶花館を守っていた兵士たちとは皆顔見知りだ。彼らの声ではない。
 なによりも、外から女性の声がする。彼女もまた兵士なんだろうか。
 やがて、激しい打ち合いが終わった中、扉の向こうに声をかけられた。

「ここの主は、先代皇帝陛下の妃、秋華様とお見受けします!」
「……此度の援軍、感謝しております。しかし……あなたはいったい?」
「申し遅れました、私は花妃様の侍女、静芳と申します。花妃様より兵をお借りし、山茶花館の救援に参りました……ここのことは、空燕様より仰せつかっております。陛下は……ご無事でしょうか?」

 その言葉に、秋華はぽろりと涙を溢し、起きる気配のない自身の陛下を抱き締めた。

「……はい、陛下は全員無事です。本当に……感謝します」

 雨桐でなにがあったのかは、残念ながら山茶花館までそう早くは届かない。しかし、なにかの襲撃を察知した空燕が、急いで後宮内に住む妃の力を借りて援軍を送ってくれたのだろう。彼も影武者の身であり、皇帝直属軍をそう簡単には動かせない。万が一、影武者のこと、皇帝の昏睡状態のことが漏れれば、たちまち内乱が発生する。そうなったら、味方の妃に頼むしかあるまい。妃が直接出る訳にはいかない以上、彼女の侍女を送ったのだろう。
 皆はどうにか扉の封鎖を解いた。扉を開いたら、きちんとしたら凜とした佇まいであろう侍女が、心底申し訳なさそうに館内を見回していた。

「申し訳ございません。急を要するため、別荘地をさんざん荒らしてしまいましたが……」
「……かまいません。ただ、修繕を手伝っていただけますか?」
「! はい、喜んで!」

 その日、皇帝陛下の面倒を見る侍女を眺めながら、兵士たちはぼろぼろになった山茶花館の応急処置をはじめた。本格的な修繕は、日が出てからでなければ難しいだろう。