「きゃぁぁぁぁぁあ!! ちーこーくー!!!!」

 白い壁に赤い屋根の一軒家から響く、女性の焦り声。ドタドタと足音が響き、花柄のワンピースを靡かせリビングに向かう一人の影。
 赤い髪を後ろに一つにまとめ、リビングのドアを開けた。

「お母さん!!! なんで起こしてくれないのさ!!」
「まったく、大学生にもなって親に頼るんではありません」

 キッチンに立つ白いエプロンを付けた女性、葵が振り向き、片手におたまを持ちながら怒る。

 水道の近くに飾られているのは、何も入っていない花瓶。その隣に置かれている食パンを、髪を止め終わった女性は慌てて口に詰め込んだ。

「あ、行儀悪い!!」
ひはんははいお(時間がないの)!! っ!! んーーーーー!!!」

 詰め込んだ食パンを喉に詰まらせた女性に、葵は慌ててコップに水を汲み渡した。
 一気に飲み干し、大きく息を吐いた。

「死ぬかと思った…………」
「そんなこと言っていないで、ほら。お迎えの時間じゃないの?」

 言うのと同時に、呼び鈴が鳴らされた。
 女性は慌ててリビングの椅子に置かれていた鞄を手に取り、大急ぎで玄関に向かった。

「それじゃ、行ってきます!」
「はいはい、行ってらっしゃい」

 玄関のドアを開けると、目の前には呼び鈴を鳴らした男性が黒い髪を風で揺らし立っていた。

「おーおー。また朝寝坊か? 高校の時から変わらんな」
「うるさいよ、間に合うからいいの!!」

 憎まれ口を垂らす男性に文句をぶつけ、当たり前のように隣を歩き始めた二人。

「そういえばなんですが、優輝は今日一限あるの?」
「俺は二限からだな」
「え、なら私と一緒に行くと時間余らない?」
「別にいんだよ。俺は一華と出来るだけ一緒に居たいんだから。それに、お前みたいな可愛い奴、彼氏である俺が近くにいないと、他の男に目を付けられるかもしれねぇしな」

 ケラケラと分かった男性、黒華優輝の言葉に、顔を真っ赤にし俯いてしまった蝶赤一華。
 恋人繋ぎをしながら歩き、二人で通っている大学に向かう。

「そんな事平然と言わないで! それと、私は優輝しかいないから、安心してよ」
「俺が嫉妬深いの知ってんだろ? これだけは譲れねぇなぁ」

 頬を膨らませている一華を見て笑う優輝。そんな二人を呼ぶ声が後ろから聞こえた。

「一華ー!! 優輝先輩!!!」
「あっ、真理!! 曄途君!!」

 振り向くと、私服姿の真理と、制服を着ている曄途の姿。二人は手を振りながら、一華達へと駆け寄った。

「真理もこれから?」
「うん、一限からだよ。優輝先輩も?」
「俺は二限からだぞ。一華に変な虫がつかないように出来るだけ一緒に居るんだ」
「それは確かに大事ですね。一華先輩ならすぐに、優輝先輩などより素敵な方に出会えそうですし」

 ケラケラと笑いながら言う曄途に、優輝先輩は口を引きつらせ「悪かったな」と愚痴をこぼす。

「では、僕はこれで」
「あ、曄途、今日私早く終わるから放課後デートしよ!!」
「いいですね。終わり次第大学へ迎えに行きます」

 そこで手を振り二人は別れ、真理は一華達と共に大学へと向かった。

「聞いてよ、昨日学校で侭先生がまたしても優輝先輩に会えないって職員室で嘆いていたらしいよ。そこで紫炎先生がまた慰めたんだって!」
「あーあ、だよねぇ。私も優輝に何回も言っているんだよ? 会いに行きなよって」

 二人で優輝を見るが、当の本人は口笛を吹き目を逸らし誤魔化す。その様子に呆れ、一華がため息を吐いた。

「まったくもう…………」

 三人で笑いながら話しているとすぐに大学についた。
 そこで真理と一華は勇気と別れ、校舎の中に。優輝は一人で外を歩き出した。

 すれ違う人、ベンチに腰かけている人の話し声などが耳に入るが、誰も個性の花を口にしている人はいない。

 個性の花の話は二年前にピタリと聞かなくなり、個性の花の存在すら忘れている。覚えているのは、薔薇の個性の花を持っていた三人だけ。
 だが、その三人も余計な事を言わず、誰も口にしない。

 今は、なんににも縛られることなく、自由な愛を楽しみ生活をしていた。


 優輝が歩いていると、花壇が目に入る。そこには芽が出たばかりの草花が風に揺られ踊っていた。
 誘われるかのように優輝は一度足を止め、花壇へと向かう。

 前でしゃがみ、右手を花壇に添える。数秒、そのままの態勢で止まっていると、突如空笑いを漏らし立ち上がった。

「馬鹿らしいな。もう、俺は普通の学生だ」

 笑いながらまた歩き出すと、途中で呼び止められ振り向いた。

「黒華君! 重たい荷物があるの、手伝ってくれない?」
「あ、はーい」

 一人の生徒が優輝に向かって手を振っている。近づくと重たそうな段ボールが隣に置かれていた。
 今日は気温が高いため、長そでを着ていた彼は腕まくりをし重たい荷物を運ぶ。

 色白の腕には、無数の切り傷の痕。もう薄くなっているが、完全に消えてはおらず残ってしまっていた。だが、今の彼は理解ある友人や教師に囲まれている為、無理に隠す事はしていない。何かを隠そうとすると、すぐに一華に気づかれてしまう為、今では隠し事すらしていなかった。

 荷物を指定された場所に置き、額から流れ出る汗を拭う。

「ありがとう、黒華君」
「いえ、これは男の仕事なんで。また何かあれば頼ってください」

 それだけ言葉を交わし、女子生徒は去って行く。
 残された優輝は、透き通るような青空を見上げ、風により揺れる黒髪を抑える。すると、ちょうど校舎の中、窓側に座る一華が見えた。
 気づいてくれないかなぁと見上げていると、タイミングよく彼女が優輝を見つけた。

 優輝が笑顔で手を振ると、一華も笑顔で返す。
 頑張れと、口パクで言えば、一華は頷いた。

 幸せを感じていると、いきなり優輝に向かって突風が吹き荒れ、咄嗟に黒い髪を抑え吹き荒れた方向を見た。
 目にゴミが入らないようにとしていると、微かに頬に何かが触れる感覚。目を開けると、赤い薔薇の花びらが目の端に移る。

 目を開き振り向くが、先ほど見えたはずの赤い薔薇の花びらはない。
 目を丸くし瞬きをしていると、自分に呆れ口角を上げた。

「さぁて、俺は食堂でひと眠りでもすっかな」

 背中を伸ばし、優輝は今度こそ食堂に向かった。


 彼を見送るように、光に包まれた赤い薔薇が風に乗り、天へと舞い上がる。
 透き通るような青空は、花鳥街にいる人達を明るく見下ろし、宝物のように輝かしい光で包み込んでいた。

 青空に一つ、女性のような形をしている白い光が映り、街を見下ろし微笑んだかと思えば、周りにいる子供のような形をしている白い光と共に姿を消した。