その日は暑く、少し歩いただけで体からつるりと汗が滑り落ち、拭う暇がないから首からタオルをかけるしかなかった。
 暦の上では既に九月で秋のはず。日の傾き方も夏のそれとはすっかり異なるのに、地面の照り返しで目がチカチカとし、未だに夏の名残を残している。
 姉の四十九日がやっと終わったので、これから納骨に向かうのだ。
 うちの家のお墓には、おじいちゃんとおばあちゃんがベソベソと泣きながら掃除をし、お母さんが骨壺を持っている。私は生花を持たされていた。正直菊とか蘭とかは姉には似合わず辛気臭いと思っていたので、鮮やかなカーネーションだったことに、少しだけほっとしていた。姉に辛気臭いのは似合わないから、もうちょっとマシに納骨させてあげたかった。
 私はお母さんとおばあちゃんたちを宥めている中、叔母さんも手伝いに来てくれた。さすがに徹くんは受験勉強だから納骨には不参加だったものの、満美ちゃんは手伝いに来てくれた。
 花瓶を洗って花を生け、墓地のスタッフに骨を納めてもらってから、お坊さんの読経がはじまった。
 既に蝉の声はない代わりに、少し立っているだけなのに汗で苦しくなってくらくらしてくるものの、読経が終わったあとは少しだけ涼やかな風が吹いてくれた。九月の風に湿度はなく、その涼しさが心地よかった。

「そういやさあ、蛍ちゃんは結局進路どうするの?」

 満美ちゃんに唐突に言われ、私は振り返る。徹くんみたいに受験生ではないものの、高一から進路を考えてもなんらおかしいことはない。
 私は「うーん……」と小首を傾げた。

「とりあえず栄養士の資格は獲ろうかなと」
「栄養士?」
「うん。就職にも役に立つし、多分向いているかなと思って」
「ふーん。そういやなんかお兄ちゃん落ち込んでたけど、理由知ってる?」
「へっ、徹くん?」
「そう。蛍ちゃんにフラれたとか。ばっかじゃないの。フラれるフラれない以前に告白すらしてないんだからお兄ちゃんは土俵にしか上がってないっつうの」

 私は目を瞬かせた。そういえば、そんなことを言われていたような、私の都合のいい夢だったような。
 私が目をパチパチさせている間、満美ちゃんは「知ってる?」と聞かれると、私は「うーん」と腕を組んだ。
 徹くんが私のことをずっと心配してくれていて、なおかつ好きでいてくれたのはありがたい話だけれど。今は申し訳ないけれど、その席は徹くん用には用意していない。

「多分私、好きな人ができたからじゃないかな」
「ほおっ!? 好きな人!? 蛍ちゃんすっごい溜め込み癖あったのに、それを解消できる相手!?」

 満美ちゃんにばっさりと言われてしまい、こちらは苦笑するしかない。本当の本当に、周りに心配かけ過ぎだ。私は「うーんと」と遠くを見た。
 墓場はなだらかな坂になっていて、姉の眠る墓地は高台にあった。あちこちの墓石が光っていて、高台からだとピカピカ輝いて見えた。

「似ている人が奇跡的にいたから。どっちもそれなりに話をしていて、とりあえずいろいろあったけどふたりで一緒に頑張ろうかと話してたところだよ」
「……それって、プロポーズじゃない」

 満美ちゃんが鼻息荒く言うので、思わず笑ってしまった。

「それは全然違うよ」

 私たちは、明日のことなんてなにもわからなかった。姉がいつ死ぬ今死ぬ今度死ぬみたいなことをずっと言われ続けていた私。終わらない介護で、においが染み込んでしまった榎本くん。
 本当にたまたま互いの事情に気付いて声をかけなかったどうなっていたんだろうと考えると、少しだけ心臓がぎゅっと締め付けられる。
 もしもの話なんて、私たちには意味がないのだから。

****

 私と榎本くんは、相変わらず付き合っているのかいないのかわからない、変な関係を続けていた。ただ榎本くんが大変そうだからと、たびたび榎本くん家の家庭菜園の整理に付き合うようになった。
 榎本くんのおばあ様の知り合いで、株を欲しい人たちがいるからと、植わっているものをなんとか鉢に納めたら持って帰ってくれる人たちがいたため、なんとか榎本くんが手をかけられる範囲になるよう手を回している。

「でもまあ……さすがにさくらんぼは樹が育ってるから難しいかなあ」

 私が夏にもらった酸っぱいさくらんぼを思い出して、私は目を細めた。

「さくらんぼ、どうやったら甘くなるの?」
「んー……この辺りもばあちゃんに聞かないとわからないかもなあ」
「そっかあ。もしできるんだったら教えて。私も手伝うから」
「おう」

 汗を拭って、ふたりで家にお邪魔させてもらって麦茶をいただいた。普段飲んでいるペットボトルのものよりも気のせいか味が濃い気がして、私は首を傾げていると、榎本くんはピッチャーを眺めた。

「あー……そろそろ麦茶切れるか。この時期になったら、どれだけつくったら残るか飲みきれるかって読み切れないよなあ」

 そう言いながらのっそりと立ち上がると、やかんと紙パックを取り出し、紙パックにさらさらとなにかを入れはじめた……豆だ。

「あれ……これって」
「麦茶用の豆。ばあちゃんがこれで淹れた麦茶じゃないと飲んだ気がしないって言うからさあ……一度ケチッて麦茶パックで淹れてみたんだけど、たしかに味が全然違うから、それ以降ずっとこれ」
「へえ……すごいすごい。自分でこれだけ淹れられるんだったら、飲むだけじゃなくっていろいろつくれるよね。炊き込みご飯とか……スープとか……」
「えっ、麦茶って炊き込みご飯とかスープになんの? 普段から飲んだことしかなかったから、全然知らなかった」
「なるよぉ」

 普段から家事をずっとし、なにかおいしそうなレシピはないかと本屋で立ち読みしたりして培ったレパートリーは、意外と人を楽しませられるものらしかった。私が嬉々として語る麦茶レシピを、榎本くんは「ふんふん」と聞いてくれていた。

「そういえば、最近東上さん、弁当のレパートリー増えたな?」
「うん……いつも精神的に参っていたし、家事は押しつけられるものだったから。でも、お母さんやお父さんと少しずつ歩み寄っている最中だから」

 今まで、私と両親の関係は微妙なものだった。
 病弱な姉を挟んでしか会話ができず、ふたりとも口ではどれだけいいことを言っていても、第一優先は姉だった。
 そんなのしょうがないとわかっているし、流れた時間は戻ってこない。でも、姉だっていなくなってしまった。
 微妙な関係になってしまったものを、なんとか少しずつしゃべって取り戻そうとしている。
 そこら辺でつっかえたものが抜けて、家事を楽しむ余裕も生まれたのだ。だから弁当もひどいときなんて日の丸弁当以外用意する元気もなかったけれど、今はもう少しだけ丁寧なものを出す用意ができる。
 それに榎本くんは「ふーん」と言った。

「そういう榎本くんは? 相変わらずおにぎりだけど」
「んー……うちは慌ただしくって朝ご飯食べながら弁当の用意しないといけないのは変わらないから。だからおにぎりラップにくるんで振り回してる」
「朝につくるんじゃなくって、夜に用意しておけば? 夜の残り物を朝起きたときにレンジでチンして冷めたら弁当箱に詰めるとか」

 それに榎本くんは目を瞬かせた。どうもその発想はなかったらしい。

「そうか……夕飯の残り物入れればいいんだ」
「そうそう」
「……一応俺も成長期終わってるしなあ。中学の頃だったらいざ知らず、今はもうちょっとだけ腹減って晩ご飯残らないってことはないか」
「それは知らない。でも男の子ってそんなによく食べるの?」

 思春期になったら、途端に食欲旺盛になるか、逆に食に対して興味を失うかのいずれかだけれど、どうも榎本くんは前者だったようだ。今は後者に傾きつつあるものの。
 榎本くんは「うん」と頷いた。

「成長期来てたら、毎日腹減ってたし体中も痛かった」
「そっかあ……私、成長痛は全然なかったから、そういうのは全然わかんなかった」
「それでいいんだと思う。じゃあ、手伝ってくれたお礼しないと」

 お礼と言っても、この時期に採れるものなんかあったっけ。私が首を捻っていたら、榎本くんは丸太を持ってきた。その丸太を見て、私はびっくりしてしまった。
 板からはたくさん椎茸が出てきている。

「椎茸……! 椎茸ってこの季節だったっけ?」
「んー……本当は涼しくなったらできるんだけど、夕方涼しくなってきたせいか、出てきた。これ何個か持ってって」
「ええ……いいのかな。というか、これもおばあさまの?」
「うん。椎茸の原木。日陰に置いておいて、気が向いたときにトンカチで叩いてたら出るから」
「トンカチで叩くもんだったんだ……」

 生えている椎茸は立派なもので、もしこれをスーパーで買うとなったら結構な値段になる。
 もらったこれはどうしよう。立派だからそのまんま食べたい気分と、今度学校で一緒にご飯を食べるときに、榎本くんにも食べて欲しい気持ちとふたつある。
 ……ああ、そうだ。鶏肉も用意して、きのこと麦茶の炊き込みご飯にして、榎本くんにも持っていこう。

「明日、榎本くんにも食べられるもの持っていくよ」
「ええ……俺?」
「いつもなにかしら育った物くれるから、お礼でなんかつくってくるよ」
「悪いよ。東上さん、いつもそうでしょ」
「そうなんだけど……榎本くんと一緒に食べたいから」

 私が素直にそう伝えたら、途端に彼は耳まで真っ赤に染めた。
 私もそれが伝染する。
 ふたりで一緒にいても、本当の本当になにもない。ままならない。ただ、その時間だけが貴い。