二


『化け妖(ばけあやかし)』。

そう、見える側の人間からは呼ばれている。

妖の中には、なにがしか強すぎたり、歪んだ感情から成るものもいる。そういった妖は、強引にでも願いを叶えるために凶悪化する場合があるのだ。

化け妖の悪行は、幅広い。心に隙や陰りのある人に取り憑いてその生気を奪ったり、奪った力で悪戯を働いたり、はたまた身体を乗っ取ってみたり。


身の回りで不可思議なことが連続する場合は、彼らのしわざであることも多い。

よく聞く、慢性的な肩凝りなどはその軽い症状の典型例だ。それがエスカレートしていくと、ニュースなどで取り扱われるような不可解な事件につながることもある。

そして彼らが取り憑いたままでは、他の縁は結ばれにくくなる。恋愛も、友人も、家族も、だ。

そこで『お祓い』が必要となってくる。

結衣が八羽神社の宮司として行う仕事の中では、もっともウェートが高いものだ。地鎮祭などの式典やイベント等の開催も、「お祓いの儀式を行う」という意味で広く括れば、その一部に含まれる。

「竹谷さん。完全に、化け妖が憑いてたよね」
「……そうですね。かなりの匂いがしました」
「うん、大物って感じだった。普通の人なら、もうとっくに変な行動に走っててもおかしくないくらいだよ」

恋時と二人、拝殿で受け入れの準備を整えながら口々に言う。

拝殿とは、参拝客に対しての祈祷などを行う本堂前の空間だ。
その入り口となる門には、しめ縄が吊るしてあり、階段を下った両脇では狛犬が睨みをきかせている。

神聖なものには事欠かない空間である。

なのだけれど、化け妖独特のどろりとした匂いは、内側まで入り込んできていた。
依頼人の竹谷未央は、離れの社務所に通しているのに、だ。

「まぁでも、こっちには結衣さんがいますから。天下一のお祓い師が」
「……ただ妖が見えるだけだよ。化け妖になって、人に取り憑いてたら、姿までは見えないし」
「それで十分すごいんですよ。結衣さんのお父様も、妖が見えるからと、京都の大神社にスカウトされたんでしょう? それに、八羽神社はそのおかげで、神社本庁からも一目置かれているとか」
「ちょっと自由が認められてるだけだよ。だからって別に補助金が出てるわけでもないし」

通常、神道におけるお祓いとは神前での祈祷など儀式的なものをさす。

神様のお力を借りることで、霊験あらたかな空間を作りだすのだ。
そこへ浸ってもらうことで、参拝客の心からひずみを消し、化け妖が自然と去るのを待つという寸法である。

これならば神職につくものは誰にでもできるのだが……。

結衣が行うものは、それとは大きく異なっていた。

「直接的に化け妖へお祓いを行い、妖の姿に戻してやることで、穢れを祓う。人間の厄払いと縁結びのサポートをしたうえで、妖サイドのケアもできるんだから、見えるお祓い師は貴重なんですよ」
「もう、持ち上げすぎ。私にできることなんて、それだけでしょ。他に超能力が使えるわけでもないんだから」

 そう、ただ単に肌感覚で化け妖の存在を察知し、お祓いによって妖に戻してやることだけだ。
場合によっては、お札などに力を移すこともできるが、結局のところ可能なのは、化け妖に働きかけることのみ。

 それも一定以上の力を持った化け妖を、人から引きずり出すには、まず妖側に姿を覗かせてもらう必要がある。そうでなければ、お祓いの効果はないに等しい。

たまに建物の修繕くらいできないかと思うが、ファンタジー世界の魔法みたく、うまいようにはできていない。

むしろ見える人間は、それだけで化け妖の類に襲われやすいため、早めに対処しなければ、今度は自分の身に危険が降りかかる、というデメリットの方が大きいくらいだ。

「あ。おだてたって、なんにもあげられないよ」
「別に求めてないですよ。事実を言っただけですから」

恋時は、すぐに溶ける粉砂糖のよう、うっすらした笑みを浮かべる。

そういえば、と気になることがあった。これまでは、あまりに自然に手伝ってくれるから、聞けていなかったことだ。

「伯人くんは、化け妖になったりしないの? ……その、どういう風に生まれてきたのか、分からないし」
「すいません、生い立ちの話はちょっと。でも、俺が化けることはありませんよ」

彼は、自信満々に言い切る。

あまりに揺らぎがなく、竹を割ったような声だった。そこに理屈は一切ないのに、本当にそうなのだろう、と思わせる力がある。

「そっか、ならいいんだけどね。化け妖になったら大変だし」
「お気遣いはありがたいですが、いらぬ心配ですよ。それより結衣さん、これを」

彼が結衣に手渡したのは、大幣。白木の棒の先に麻の束を括り付けたお祓い道具の一つだ。

念のため、普段の外出時にも持ち歩いている愛用品である。

「…………じゃあ俺は竹谷さん呼んできますね」
「あ、うん。お願い。……ねぇ、大丈夫?」

「……余裕ですよ。化け妖くらいなんてことありません。ないはずです、はは……」

声を震わせながら、恋時は辿々しく扉の方へ歩きだす。

あ、右へ左へよたよたしている。

飄々とクールに見せて、彼は化け妖が怖いらしいのだ。
自分も妖のくせに。要はびびりである。

その様を見る限り、化け妖になることは本当になさそうだ。

ちなみに結衣はといえば、昔こそ恐ろしくてたまらなかったが、正直もう慣れっこだった。
低級な化け妖程度なら、横でご飯だって食べられると思う。

父と一緒にお祓いの実習へ出たのを含めれば、もう五年近く相手にしてきている。