「ちょっ、薄川!?」
まさかの行動に、結衣はどうにか転ばないのが精一杯。
前を行く薄川に今度こそ、食ってかかる。
「でも、どうするのっ。もう電車も走ってない時間だよ!? タクシー?」
「そんないくら金かかるか分からんねぇことしなくていいっての。今の八羽神社に交通費に大金かけてるほどの余裕ないだろ。例大祭もあるってのに。いつか言ったろ。俺、車買ったんだって」
「……あ。みんなの足にされてるって話の!」
「されてねぇから! 今日だけだ、今日だけ。仕方なく、八雲の足になってやるだけだから!」
参道へと出る。
薄川と再合流したのは、坂道を下りきった通りだ。
大学生がアルバイトでやっと手に入れられそうな、軽自動車。薄川が身体を目一杯伸ばして、助手席の扉をあけてくれる。
「ほ、ほら、乗れよ」
「うん、ありがと」
微妙にスマートではなく、少しぎこちなさを感じた。
結衣がシートベルトをしめると、車は発進する。すぐの信号に、引っかかった。
「うわっ!!!! ちょ、薄川!?」
前につんのめり、車体ごと縦に揺られる。結衣の身体は、シートベルトの背にバウンドする。
ベルトをしていなかったら、フロントガラスに頭を打ち付けていたかもしれない。
肋骨の奥でがんがん激しい胸の鼓動に手を当てていたら、薄川は、ごめんと平謝りだ。
「もしかして、夜道走ったことないの」
「…………そこ、聞く?」
暗い中にぼわっと浮かび上がる彼の顔は、思いっきり引きつっていた。
「薄川ってば、それ先に言ってよ! 事故しないよね!?」
「……今さら言っても仕方ねぇだろ。付き合えよ、俺の運転練習。親御さんにもそう説明してくれてもいいからよ」
「そもそも京都たどり着けるの、これ!?」
夜道を不安定に頭を振ってから、軽自動車は走りだす。
今から数年ぶりに父親に会う。
それは結衣にとって一大事件のはずなのに、思い詰めている余裕もなかった。グリップをめいっぱい握りしめて、薄川の目をサポートするため、必死で気を配る。
彼に自覚はなかったのだろうけれど、ある意味では、その無関係な必死さに救われていた。
高速道路に乗る手前になって、やっと運転が落ち着いてくる。
「なぁ、八雲。さっきはごめん、勝手に決めつけて」
赤信号にさしかかったとき、薄川がぼそりと呟いた。
気を紛らわすかのように、ハンドルを人差し指で叩いている。
「なんのこと?」
「八雲と親御さんのこと。実際どんな関係かなんて、俺からじゃ分からないなと思ってさ。外から見てるだけじゃ大変さが分からない。夜の運転と同じだな」
普通はそんなところから連想しない。
が、薄川の表情は、相変わらず真剣なままだ。バックミラー越しに目が合う。
「聞いてよかったら、だけどさ。どんな親子だったの」
大雑把に尋ねられて、少し考えてみた。
車がインターチェンジを過ぎた頃、ようやくまとまってくる。
「……やっぱり、普通の親子とは違ったと思うよ」
「誕生日祝ってくれなかったり、とか?」
「そういうハレの日の行事よりも、普段の日常だよ」
別に、なにがどう違ったと格言のようには言えない。
神社だということを除けば、他の家庭と同じようには関係を築いてきた。喧嘩して勘当したり家出したりしていないだけマシというのかもしれない。
でも、朝のほんのひと時、味噌汁の濃い薄いでも、そこにはいつまでも余計な気遣いが横たわっていた。
いつまでも、そこにわだかまりは沈んでいた。
「私はさ、妖が見えるから捨てられたようなものなんだよ」
「……それは前の両親にってことか」
「うん。今じゃ他人だけどね」
結衣には、たぶん赤ん坊の頃から、ずっと妖が見えていた。
それらが近づくたびに、泣いたり笑ったり。
本当に小さな頃なら、大人にしてみてもそれは可愛く見えるのだろう。
けれど、大きくなるにつれて、いよいよおかしいぞ、と周りの目が変わっていった。
しだいに、変な子と思われるようになり、それはレッテルとなって結衣に貼りついた。
自分の子どもだけが、一人で砂場で喋りながら遊んでいる。
たしかにそれは、親にとっては恥ずかしいことだったのだろう。
それが耐えられなくなった元両親がしかるべきところに相談した末、結衣はお気に入りだったかばん一つと、八羽神社へ引き取られることとなった。
「もう少し小さかったらよかったんだろうけどね。幼稚園児くらいだったからかな。あ、私捨てられたんだ、ってちょっと分かっちゃった」
「なんで八羽神社に連れてこられたのかも?」
「うん。神社には妖が普通に住んでたしね。妖たちがこっそり教えてくれたよ」
もう少し成長した頃には、父の考えを理解するのも難しくはなかった。
父の妻は早くに亡くなっていて、子どもはいないと聞いていた。
つまり自分は後継ぎとして、お祓い師になるために引き取られたのだ、と。
だから、普通の子どもとは違う。常に必要とされ続けなくちゃならない。
期待に応えて、その通りの人間にならなくてはならない。そのためにここにいるのだ。そんな風に心は使命感に駆られ続けていた。
だから、立派な宮司になれるように、と常に意識の表面に持ち上げてきた。それは段々強くなっていき、大人になった今も、結衣の中心に据わっている。
そして、いつの間にか口癖となった。
『私は八羽神社の宮司だから』と。