三
「神じゃぞ、神! 断じてアマガエルなどではないわ!」
そう言われましても……、なわけである。
深緑色、手のひらサイズの身体、曲がった四本の足に、鳴くと膨らむ顎。
目を涙のように走る黒い線も、その姿はどこからどうみても、カエルだった。
木霊も信じられなかったようで、
「まさかカワズだとは……」
なんて呻いて、台座から転がり落ちていた。もはやコントのようである。
「本当に神様なの?」
「いかにも! わしこそ神じゃ!」
「神様って、そんなむやみに言うものじゃないと思うけど……」
「わしは邪神じゃからな。そういった制限がないんじゃよ! まったく……。困っているというから、なけなしの力を使わせてやったのに、失礼な娘よ」
カエル……ではなく邪神は、その表皮のようにじっとりした目で、恋時を見やる。
「まぁまぁ、邪神様。驚いているだけですよ。神の類に会ったことなど、彼女はほとんどないでしょうから」
ほとんどというより、ない。本当だとすれば、これが初めてのことだ。
「そ、そういうことならまぁ、よいのだが……。わしも一応、神だし? 寛大な心で許してやらんこともないがの」
妖におだてられて機嫌を直すのもどうかと思うが、口にすると面倒くさそうだ。結衣は小言を引っ込めて、代わりに根本的なことを尋ねる。
「そもそも、神様ってこうやって見える形で現れるものなの?」
「よく言う、顕現というやつよ。
神がこうして現世に姿を持つときは、祈りの力が弱っている時、もしくは強い目的がある時のどちらかじゃ。
むろん、わしは前者じゃがの」
「へぇ……知らなかった。あ、だからさっき伯人くんは」
神社の荒廃ぶりに、神様が現れているかもしれないと、交渉に行ったのだ。
やっと信憑性が出てきた。
まだ確信は持てないが、そういうものだと言われれば、信じられなくもない。
「大変なご無礼、お詫びいたします。八雲結衣と申します。先ほどはありがとうございました」
立ち上がって、最敬礼をする。邪神はそれを、前足で払った。
「うむ、くるしゅうないぞ、結衣。いやぁ、久々に、人から拝礼を受けたぞい。最近は妖でさえほとんど来ることがなかったからなぁ。祝いだ、祝いだ。酒を持ってこい、祝酒じゃ」
「えっと、すいません、今は手持ちがなくて」
「なんじゃ、つまらん! この身体なら、一滴でも満足できるかと思っておったのに」
あからさまに残念そうに、カエル型の邪神はわめき嘆く。
それが反響するほど小さな洞窟だ。そして、辺鄙なところにある。
「その、いつから人が来てないんですか? 外の鳥居が草で塞がれてましたけど」
「もう十年近くは見ていないのう。要は、打ち捨てられた場所なんじゃ、ここは。
元より、管理していたのは神職のものではなかったゆえ、そやつがこなくなって、それきりよ」
「そうでしたか……」
聞く限り、歩道などで見かける小さな祠などと同じなのだろう。誰かが個人的に祀り、なにかの理由で、訪れなくなった。
「そこへ突然これだけの賽銭を持ってこられてな。正直、きな臭いなと思っておった。
それも、人型でもない妖が持ってきたんじゃあ盗んだものかもしれぬ、と。確証はなかったからのう。そのせい、今の今まで咎められんかったが」
「邪神って聞くと、盗んだお金でも使っちゃいそうだけど……」
「邪神にも色々いますからね」
恋時が言うのに、邪神は誇らしげに前足で頬をさする。
「そうじゃ。少なくともわしは、捨てられたからとて、悪事に手を染めようとは思わんかったって話じゃ。そこの、木霊の妖とは違うのよ」
木霊は、濡れた地面に転がったまま、始末の悪そうな顔をする。
「わっ、また風!」
そこへ、突風が吹きこんできた。
結衣は足を踏ん張るが、木霊はそうはいかない。勢いよく浮き上がる。なされるままに漂ってカップインしたのは、御神体横に置かれた杯だった。
「わっはは。まだこれくらいの力はあるのよ、ワシも」
邪神の神通力らしかった。
そういえば、先ほど木霊が逃げようとした時にも、同じような風が吹いてきたっけ。影ながら結衣たちをサポートしてくれていたようだ。
しかし今度の木霊は、微動だにしなかった。
小さな目を静かに瞑っている。
「……神よ、我は赦しを乞わぬ。なんなり、処罰するといい」
「ふむ、潔いのう。悪くない態度じゃ。では、そんなお主には、少し変わった罰を与えようじゃないか」
「甘んじてお受けしよう」
小さな神棚一段の上で、会話がなされる。
遠目から見れば、まるで人形劇のようにも映るが、その実は、神様と数百年生きている妖なのだから、不思議だ。
はたして罰とはなんなのだろう?
「そこまでしなくても、いいんじゃないかな。お金も返してくれたし、別に私はもう」
しかし言葉の途中で、急に強い光が目を射った。
光源は、徳利の中のようだった。
だというのに祠全体が隅々まで、煌々と照らし上げられている。
人間の使うライトではありえない現象だ。結衣は目を瞑り、手をかざして影を作る。
そうしながらも、どこか懐かしい感覚に見舞われていた。暖かく、包み込まれるような安心感がある。
(……あれ、この感覚どこかで)
たしか幼い頃、化け妖に襲われた時だ。
あの時も今のような光が突然目の前に現れたのだった。
まさかあの時助けてくれたのは、邪神だったのだろうか。
「……あれ、なにこれ?」
思っていたら、手に木札を握っていた。全く預かり知らぬものだ。
「木霊の妖よ。望み通り、霊仙山に行くがよい。結衣、それが入山証の代わりになる。外の河辺で、わしに代わり、祈りを捧げてやってくれぬか」
「えっ、行かせてくれるんだ?」
結衣は、思わず素っ頓狂な声を上げていた。