見るからに、誰の手によっても管理されていない。いわゆる廃神社らしかった。

(……なんて酷い)

御神体だろう徳利は無残にも割れていた。錆びて形骸化した鈴に括られた麻紐は、何重にも割けている。

その手前には、小さな賽銭箱が置かれてあった。

木霊はそこへ、身体に蓄えたお金を撒く。
そして祈るかのように宙を回り始め、たちまち、むくむく膨れはじめた。

白から黒へ。化け妖になる、まさにその瞬間だった。

「どうして、ここでなっちゃうの!」

結衣は歯を噛んでそれを見る。

というのも、他神社の境内だ。

お祓いは、八羽神社に祀っている神様の力を借りて行っている。
そうである以上、他の神様が司る領域でお祓いの儀をしたとて、実効力はない。

力を込めたお札ならば効果もあるが、手持ちはなかった。

少しでも境内の外へ出てくれればよかったのに!

「ゆ、結衣さん、大丈夫です。少しここでお待ちください」
「え、伯人くん。どうするつもりなの」

化け妖と対峙した途端、相変わらずのお豆腐メンタルだ。
彼は、しきりに手をこすり合わせる。

「………少し、お話をして参ります。いわば、人ならざるもの同士の会話ですよ」

すると、姿はあるのに、ふっと気配だけが消えた。

目を瞑ると、誰もいないかのようだ。

木霊は化け妖になったことで興奮しているのか、全く気づきそうになかった。

恋時は、そのうちにロボットのようなステップを踏みつつも、祠の裏へと回る。

少しあと、彼はそこから手招きをした。

どうせ結衣にはなにもできないけれど、どうするのだろう。
思いつつも一歩前へ動くと、草の根を踏みつけた。

『誰そ。誰そ、そこにいるのは』

すぐ木霊に勘付かれた。もちろん結衣に気配を消す妖術はない。

黒い霧を広げて襲いかかってくるので、

「ひふみ よいむなや こともちろらね」

無意味と知りつつも、ほとんど反射的に、小カバンからは神楽鈴が、口からは祝詞が出る。

すると、木霊はみるみるうちに身体を縮め、元の小さな球状になった。

「あ、あれ? 他の神社じゃ効果ないって話だったよね。廃神社だから、神様がいないのかな?」
「結衣さん。失礼ですよ。ここの神の許可が下りたので、むしろ力をお借りしたのですよ」
「……えっまさか、伯人くんが交渉してくれたの」
「えぇ、まぁ少しばかり」

どうやったらそんなことができるのだろう。

疑問に思うが、優先すべきは捕り物だ。

木霊は逃走を図ろうとしているところだった。
しかし、タイミングよく外側から吹きこんでくる風が押し戻す。

「ここに入れるなら、うちに侵入できるわけだね……」

逃げ場を失い、最終的には賽銭箱の中へと潜り込んだ。八羽神社においている箱よりも、かなり狭い隙間だったが、難なく、といった様子だった。

城下町らしくいうなら、篭城作戦というわけだ。どう攻め落とそうか、まさか水攻めはできまい。

「ねぇ、あなたが盗ったんでしょう、うちのお金」

一礼し、結衣はその横にしゃがむ。返事は、小銭の鳴る音だけだった。

「理由は、大方分かりますよ、木霊の妖さん」

恋時は大股で神棚の前まで戻ってきて、裾についた葉や土を払う。

「さしずめ、あなたは亡くなった親族に会おうとしていたのでは? それも、ただの親族ではなく、より特別な存在。たとえば、好きになってしまった相手だとか」

今日の推理ショーには、まだ続きがあったようだ。その発言に結衣が驚いていると、

「…………どうして、それを」

賽銭箱の中で、こんな声が反響する。
どうやら、見事に的中しているらしかった。

「簡単なことですよ。この先の霊仙山には、先祖つまり広くは、亡くなった身内の霊が眠っていると言われます。それも、未練などが残っている妖とは違い、魂ごと浄化された者たちの霊。
 彼らに会うには、この辺りの神社を訪れるのは必然でしょう。神の赦しがなくば、浄化済みの霊に会うことはできませんから」

「へぇ……。でも、じゃあどうして恋をしてた、なんてことまで分かるの」

結衣は堪らず、口を割り入れる。

「むしろ縁結び神社からお金を盗むなんて、不幸になりそうだけど……」
「普通なら、そうです。でも、わざわざこの廃神社に詣でていることから、分かったんですよ。つまり正規の神に祈ったのでは、叶えてくれない。そんな禁忌がなにかといえば、恋愛かなと考えたのです」

「……なにからなにまでお見通しか。そこまで暴かれては、しようがないか」

ついに観念したようだ。
木霊は、格子状の投入口から、身を平たくして出てくる。

近くで見ると、その真っ白な表面は幹のように少し凹凸があり、目は窪み、口は張り出していた。

「どうせ盗んだ金だと神に知れた以上、我の願いは叶わぬだろう。返してほしくば、その通りにしよう。まだ鍵は開けておらぬ」

彼はふわりと浮くと、倒壊した神棚の奥へ器用に体を捻らせていく。
咥えて帰ってきたのは、

「あった……! あったよ、伯人くん!」

たしかに八羽神社の手提げ金庫。物を見るとほっとして、結衣の膝からは一気に力が抜けた。

「よかったです。これで俺の無実の罪も完全に晴れましたね。………さて、問題はなぜ、わざわざ八羽のお金を盗んだか。聞かせてもらいましょうか」

事情聴取は任せてもよさそうだった。

「……ある妖に、最近貴殿らの社が繁盛していると噂を聞いてな。縁結び神社と聞いて躊躇っていたのだが、どうにも堪らず、魔に魅入られてしまった」
「その妖の名前は言えない、ということですね」

「あぁ、それは、そういう約束で教えてもらったのだ」

金庫の場所なども、その妖が把握していたと言う。

「では、家の中にまで入ってきたのはどういう了見でしょう」
「金庫の鍵を探そうと思ったのが第一さ。……それから、先の妖に命じられたのだ。中の様子を、それも貴様のいる部屋の様子を伺ってこい、と」

「それって、向こうは伯人くんのこと知ってて、狙い撃ちだったってこと?」

結衣の問いに、「左様」と木霊は身体ごとふって頷いた。

一体どこの妖だろうか。

「すまない、我に答えられるのはここまでだ。知らぬことの方が多いのだ。目的が達せられるなら、あとはどうとでもよかったからな。さて、残りのお金も返すとするよ」

小銭やお札といったバラのお金を身体から吐き出し、順に返してくれる。そのごとに、すまなかったと繰り返していた。

根っから、性根の曲がった妖というわけではなさそうだ。