拝殿へ戻ると、木霊はちょうどお金を回収しおえたところだった。
白もやのような身体は、お金を蓄えたことで、体積を増していた。
重そうに、ゆらゆら鳥居の外へと出ていく。
結衣と恋時は、それを少し離れたところから尾行することにした。
神社のお金で肥えていると思うと、今にとっちめたかったが我慢のしどころである。
木霊は宙を浮いているが、決して早くは動けないらしい。風をうまく使い、身体をそれに乗せて進んでいった。
参道を出ると、横野神社を右手に方向転換。そして市のシンボルたる彦根城の外堀を通り過ぎて、
「しっかり距離があったね……」
川沿いのケヤキ道に出た。
芹川という、流れの穏やかな河川だ。このすぐ下流で、琵琶湖に注いでいる。
その源流は、霊仙山という千メートル級の山だ。先祖の霊が籠るという理由から名づけられたと、地理で習った覚えがある。
そのせいか、辺りには虫だけではなく、カッパや土蜘蛛など、色々な妖の姿も見られた。
「母に会えることになったのかい?」「いや、まだ神様の許しが……」「では拙者は一足先に」
ひそひそと、なにやら囁き合っている。
この川は人間界でいうところの、喫茶のようなものなのかもしれない。
木霊はといえば、それを尻目に、川辺に生えた草陰へと飛び込んだ。
みゃあ、と愛嬌の感じられる鳴き声がする。
どうも、野良猫の住処だったようだ。
「ここが目的地、というわけではなさそうですね。お金を持ち込むような場所ではないですし」
「ということは、寄り道……?」
「さぁ、そこまでは。とにかく、少し待ちましょうか」
結衣たちも、歩道から川辺へと下る。
ちょうど死角になっていたので、地面の砂を払い、橋脚の影に身を隠すことにした。
並んで、三角に足を組む。
歩道には街灯があれど、川瀬までは朧げにしか届いていなかった。新月であるせいで、月明かりもなく、あたりは暗い。
唯一、目に眩しいのは、
「……これこそ、風流ってやつかな?」
「そうかもしれません。はかない光り方をしていますね。行く日々を惜しむような」
蛍の群れだ。
まるで火の妖精が舞い踊るかのように、グリーンイエローの光が草木の間で点滅している。
そんな光の舞が、しとやかな川のせせらぎと合わされば、まるで密かなパレードにでも招待されたかのようだった。
それを、恋時と二人で眺めている。
目的が別にあるにもかかわらず、ふと鼓動が、夏風とともに胸を駆け抜けた。夜の川辺は、この季節でも少し冷える。結衣が腕を交差して肩を抱いていたら、
「これ、どうぞお使いください。俺の霊力がかかってる限り、消えたりしませんから」
恋時が羽織りを巻きかけてくれた。
併せて、にっこりと微笑む。ありがとう、と答えながら、結衣は少し大きなその羽織にまず顔を埋めた。
冷える手足とはうらはらに、顔がとても熱かった。
数秒、沈黙が訪れる。
「結衣さんは、俺のこと疑いましたか?」
川の流れにすぐ飲み込まれそうなほど、それは小さな声だった。
彼は首元の金の輪に銀色の髪をこぼして、空にまたたく星をその瞳に映す。
なにをだろう。
窃盗の犯人としてか、はたまた彼の存在そのものか。
聡明な彼のことだ。今日の結衣の態度から、なにか気づいていてもおかしくはない。
正直にいって、疑念はあった。
一体なんなの、とストレートにぶつけたい。でも、「決まりで、教えられない」と彼は言っていた。ならば聞いてもしょうがないのだろう。
そのうえで改めて考えてみた。
たとえば彼がウサギの根付けじゃなかったとして。
他のなにか変わった妖だとして、なにか変わるだろうか。
「信じたい、とは思うよ」
結局、結衣はこう答えた。
余計な詮索をしたな、と今更ながらに思う。
彼の正体がなんであれ、この数ヶ月、共に過ごしたのが彼だということだけは、紛れもない事実だ。
朝ごはんを囲んだ、一緒にお祓いをして、よく笑った。少し隠し事があったとしても、その時間が嘘になることはない。
今この瞬間だって、嘘になりようがない。
「えっと、その……」
困ったことに、恥ずかしいことを言った自覚があった。
結衣は、川瀬に視線を飛ばす。
ちょうど岩へりに引っかかっていた木の葉が、川の流れに乗って流れていくところだった。
「ふふ、結衣さんはお甘い方ですね、全く」
「そ、そうかな? だいたい、悪い妖だったら、そもそも神社のためにここまでしてくれないと思うしね。むしろ、伯人くんの方が私を甘やかしすぎなんじゃないかな」
「あなたは少しくらい誰かに甘えた方がいいんですよ。だから俺にできることがあればなんでも」
ふと、彼が身体の向きを変える。結衣を覆うように、壁に腕をついた。
「え、ちょっと伯人くん? 甘やかすって私別に赤ちゃんじゃないし、抱きしめてくれなくてもいいからね!」
「お静かに。木霊がまた動き始めたようです」
狭い腕の間から、結衣はそうっと頭を出して覗く。
また、仄かな白い塊が、ゆらゆらと移動を始めていた。蛍の群れと混じりつつ、川辺をゆっくり上へ上へと進んでいく。
焦れったくなる足取りだった。
夜はその間にさらに深まる。
にわかに進路を変えたのは、足元の石が尖り出して不安定になった頃だ。その先を見れば、
「……あれ、もしかして鳥居かな?」
「どうやら、そのようですね」
確信が持てなかったのは、赤の塗装は剥げ落ち、ツタが巻きついたことで、自然の一部と化していたからだ。
雑草と括るには、あまりに立派な草木たちを踏み分けて、その奥へと進む。
少し下へ向かって、小さな洞窟のようになっていた。参道未満の階段は、浅い川のように水が染み出している。
降りてみれば、まず肌の感覚が変わった。
冷気が全身を包み込む。
水滴を垂らしたススキの葉は、まるで衣装のように狛犬に覆いかぶさっていた。
その奥に、壊れかけの祠があった。