いったん袴を脱ぎ、私服へと着替える。コンセプトは「ザ・普通」、シャツとスカートのシンプルなコーデだ。
神社で育ってきたとはいえ、まだまだ普段着の方がいくらも落ち着く。

宮司に就ける位としては一番低い「権正階(ごんせいかい)」という階位にいる結衣の衣装は、浅葱色の袴と決められていた。
淡い色味だけに、いつ何時汚してしまうかも分からないから怖かった。


心まで軽くなって、結衣は足早に居間へと向かう。

用意されていたのは、二セットのみの朝餉だった。

「雪子(ゆきこ)は、今日も出てこなかったかぁ」

雪子とは、屋敷に住む雪女の妖のことだ。

「どうせまた少女漫画でも読んでるんや。ハマったら長いからなぁ、今回はなにに影響されるんやろう……。それより、僕もう食べるで? ほな、いただきまーす」

まだ聞きたいことがあったのだが、ハチはもう箸を伸ばしていた。メインとして用意した卵とじ丼を一口含んで、頬を赤くする。

「なんや、めっちゃ美味いやん! これ、親子丼ってやつ!? 最高やな」

どうやら騙されてくれたらしい。したり顔で、結衣は人差し指を振る。

「ううん。高野豆腐の卵とじ丼。でも、乾物を硬めに戻してあるから、食感は肉に近いと思う。どうかな、このアイデア!」
「な、なんやて……。肉じゃないんか!? そんなん詐欺や! ぬか喜びさせんでくれや」
「しっかり騙されてるんだから文句言わないの」

すまし顔で言い返しつつ、結衣も席につく。手を合わせて、一口含んだ。

味は、本物と大差なかった。
ジューシーさには欠けるが、出汁を吸っている分、こちらの方が瑞々しい。
歯を入れると、優しい旨みが舌を蕩かした。

お金のなさから、コスパはもっとも重視している項目だが、この完成度を保てるならば我ながら誇らしい。

「……悔しいわ、僕。ちゃんと美味いのが悔しい!」

なんだかんだ言いつつも、ハチの箸が止まることはなかった。椅子の背では、尻尾も機嫌良さそうに揺れている。


たわいのない話をしながら、二人して食べ進めていく。

と言っても、側からみれば結衣一人しか映っていないそうなのだから、おかしい。

茶碗などはハチの手に触れると消え、離れれば再び見えるようになるそうだ。とすれば二膳を前にしている結衣は、とんだ大食らいに思われるのだろう。

全くもって変な現象だ。


だが、これこそが結衣にとっての日常だった。平然と妖に接し、節約ご飯の並ぶ食卓を一緒に囲む。

父が京都の神社へ奉仕に出て以来、毎日がこの繰り返しだ。

強いてなにか変わったことといえば、最近新たに妙な妖が仲間に加わったことくらいだろうか。

つと、隣の和室から物音がした。どうやら、その彼がそこにいるらしい。

「ほんと好きだね、その場所。ちょっと開けるよ」

結衣は立ち上がって、襖を慎重に引く。

もう年代物で、建てつけが悪かった。破れもしているのだが、ハート型にも桜の花びらにもみえる布で補修し、いまだ現役続行中だ。

不穏な音とともに戸が開くと、焼けた畳が目に飛び込んでくる。ぞわり、と背筋に緊張が走った。
やっぱりこの部屋は苦手だ。
そう思っていたら、

「おはようございます、結衣さん」

部屋の古臭さとはまるで無縁の、爽やかな挨拶が飛んできた。

彼はあぐらをかき、なにやら胸元には参考書を手にしていた。横文字が並んでいて結衣はタイトルさえ読む気にもならないが、朝から熱心な物である。

「今日も食べないの?」

答えを分かりつつも、結衣は問いかける。

長く艶やかな銀色の髪を揺らして、彼は首を縦に振った。

「えぇ、遠慮します。俺は、別に食べずとも死にませんから」

常に緩やかな微笑みをたたえるその顔は世にも美しく、不覚にもどきりとする。
朱に染まった虹彩に、黒の瞳孔はその二重を際立たせていた。

妖相手だが、その姿は全く人と変わらないのだ。

名前は、恋路(こいじ)伯人(はくと)というらしい。

語りたがらないので詳しい生い立ちは聞いていないが、その起源は想定がついていた。
和服の帯が五色の組紐で出来ていたり、手提げを持っていたり。その特徴は、結衣の持っていた白ウサギの根付けにそっくりだったのだ。

元々は、八羽神社で売っているお守りの一種だった。

白ウサギが、背中に大袋を背負ったデザインだ。
ウサギなのは、かの有名な「因幡の白ウサギ」の神話が由来。手提げ袋は、主祭神である大国主(おおくにぬし)様が背負っていたことにあやかっていた。

大国主様が助けたウサギが、その神様の荷物を背負っているのもおかしな話だが、そんなはちゃめちゃな融合こそ現代らしい感覚なのだろう。
実際その見た目の愛らしさは、結衣の子ども心を引きつけた。

幼い頃に父から貰って以来、肌身離さず持ち歩いていたのだが、ある日忽然となくなった。

それが二週間前ほど。そのすぐ後に、恋時が現れた。

どういうわけで化けたのか定かではないが、この美丈夫はたぶん、結衣の根付けに違いない。ウサギっぽさこそないけれど。

「そうだ、結衣さん。食べ終わったら社務所にきてもらってもいいかな? 一件、縁結びお祓いの依頼が来てるんです」
「うん、分かった。すぐ行くようにする」

「別に急がなくてもいいですよ。人間にとったら、朝ごはんは大切な時間でしょう?」
「……あー、ありがとうね」

無欲かつ働きもので、完璧な気遣いまでこなす。そのスペックの高さは、売価五百円の根付けから生まれたとは思えないほどだ。

また、彼はかなり力を持った妖らしく人の姿のまま具現化することもできる。
そのせいか、この間などは、「素敵な旦那さんですね」なんて、郵便配達員にあらぬ勘違いをされた。

その時のことを思い出したら顔が熱くなってきて、風を浴びんと、その場で首を振る。

「結衣、食べんなら、僕残り食うてもえぇ?」
「食べるから!」

そうだ、朝ごはんの途中だった。