「ハチ、もしかして伯人くんだって言いたいの? 違うに決まってるじゃん。たしかにお金に目はないけど、泥棒なんて汚い真似はしないよ」
結衣は一笑するが、ハチの瞳は揺るがない。
「僕もそう思うで? でもなぁ、匂いはここで薄れて、部屋全体に散らばっとる。どういうことか説明してもらおか、恋時はん」
ハチが、背の高い恋時を睨み上げる。一方の彼は、やはり意に介していない様子だった。腰を落として、ハチの頭にぽんと手を置く。
「知りませんよ、としか言えませんね」
「そんなもん、犯人は誰でも言いよるで。共犯で、実行した奴の手引きしたんやない?」
「犯人ではない人も、同じことを言うのではないかと思いますよ」
「言い訳がましくきこえてまうわ! あんまり馴れ馴れしく触らんでくれん? はよ、手のかし!」
水と油、そういった様相を呈していた。そもそも理論派な恋時と、感情的なハチは相容れない部分がある。
放っていたら、泥沼の口論に発展していくかもしれない。
結衣は、どうどうと、火花が散る両者の間に割って入る。それぞれの手を取って、
「はいはい、仲直り!」
無理矢理に握手をさせるのだが、そこで手詰まりになった。
結局、わたがまりがそこには残っている。
居間はしんと静まりかえる。外で戯れているのか、猫の声が聞こえた。なんだか、とても居づらい。あはは~と無理に、無駄に笑っていると、
「恋時。無実って言うなら、部屋調べさせなさい。それくらいいいでしょ?」
雪子が澄まし顔で言った。
その手があったか、と思わず手槌を打った。
「どうぞ、お好きに見てください。別に俺の部屋と言うわけではありませんが」
恋時の許可もおり、ハートマークつきの襖をそろりと開く。
広がる畳部屋の前、境目の敷居に足指をかけて、結衣は天井を見る。異常なし。そう確かめてからも、少し躊躇っていると、
「早く入りなさいよ、結衣」
「えっと、うん!」
雪子が背中から、軽く肩を小突いた。
勢いで、畳に一歩を踏み入れる。それは実に、十数年ぶりのことだった。
かといって、恋時が来る前は、和室が開かずの間だったかと言えば違う。事実、父親は寝床に、客間がわりにと、よく使っていた。
結衣だけが、和室を避けてきたのだ。
実は、この場所には、少しのトラウマがある。
記憶も霞むほど小さい頃、一人で泣いていたところを、化け妖に襲われたのだ。
まだ、八羽神社へ連れられてきてすぐの頃だった。実の親ではないうえ、まだ出会ったばかりであった父に助けを求めることもできず、膝を抱えうずくまるしかできなかった苦い記憶だ。
けれど同時に、誰かに助けられたことも、ぼんやり覚えている。だから、トラウマは少しで済んでいた。
「やっぱりこの部屋の中から匂いはするんやけど、薄まってんなぁ」
「ぱっと見はないわよねぇ」
恋時を居間においておき、三人、手分けをして捜索を行う。
几帳面な恋時の生活している部屋だけあって、和室はよく片付いていた。調べるところも少なく、ハチは時代劇みたく畳を返していたが、
「埃立つからやめなって、ワンコ」
「いや、あるかもしれへんと思ってやなぁ。べ、別に仕事人に憧れた訳とちゃうで!」
やはり金庫が見つかる気配もない。
いくら部屋から妖の匂いがするからと言って、恋時が犯人だなんて、やはりあり得なかったわけだ。
結衣は、ほっと胸を撫で下ろす。
最後に一応、担当となっていた押入れの中へ入った。
荷物を丁寧に一つずつ取り出し、外へと並べていく。
苦労して、布団を出し終えたところ、その奥に小さな収納ケースを発掘した。
なんだか、隠していたみたいにも思うが、どうせ場所がないからと、父が詰め込んだのだろう。金庫が入る大きさでもない。
ただ何気なく一番上の引き出しを引いて、意外なものを見つけた。
「……あれ、これって私の」
ウサギの根付けだった。
それも、塗料の落ち具合や、留め金の錆び方からして、結衣が十年来持っていたものに違いない。
探していたものだ。だが、見つかったからよかった、では片付かない。
なぜこれが、ここにあるのだろう。
たしか文車妖妃が消えたとき、手紙が舞い落ちてきたのではなかったか。物が妖となるとき、その物自体が化けるのだとすれば。
恋時は、根付けが化けたわけではない、ということになる。
日々の一番底によこたわっている前提を、覆された気分だった。
そういえば、彼自身からはなにも聞いていないではないか。
だとすれば一体、彼は何者なのだろう。
薄川が、「気をつけろよ」と言っていたのが頭を掠める。
「なんか少し暑いわね、この部屋。終わったら、ティータイムにしましょ。氷作ってあげるから」
ふと、雪子が押し入れの中を覗き込んだ。
結衣はびくっと跳ねて、慌てて根付けをポケットへ隠す。
「ん…………なにかあったの、結衣? もしかして本当に見つかった?」
「え、ううん! なんにも! あーえっと、暑いんだよね? さっきまで、窓開けてたって言ってたからかなぁ」
押入れを脱出する。
間違っても落ちないよう、ポケットに根付けを押し込めてからすぐ、ぴんときた。
別のことを考えたことにより、頭が整理されたらしい。
「そっか、そうだ……。分かった! ねぇ、ハチ! 分かったよ!」
「なんや、急にどないしたん。ちょっと怖いで」
「この部屋に匂いが散らばってるのって、伯人くんが朝一に窓開けたからだよ! 言ってたじゃん、風流だって。だから、その侵入した妖が和室を通って逃げたんだとしたら、なんにもおかしくないよ」
「…………な、なんや、そういうことかいな! まぁ僕は分かってたけどな、恋時はんはやってへんって」
ハチは早口でまごうことなき言い訳をする。
恋時の正体うんぬんについては、一旦脇に置いておくとして、無実の罪を晴らすことはできたようだ。
身の潔白が認められた形の彼は、
「それだけで犯人から除外するなんて、甘いのでは? なぜ、わざわざ和室を通って逃げたんでしょうね」
などとニコニコしていた。
「なぜ、わざわざ言うの、そういうこと!」
身元も分からなければ、底も知れない御仁である。