まだ銀行に預ける前で、金庫には、少しとは言いがたい額が入っていた。
生活費は別途管理していたため今日明日の食に困るという事態でこそなかったが、

「……えっと、とりあえず通報したほうがいいのかな」

結衣は悄然としていた。

あのお金がなければ、例大祭の開催は難しい。

祭りは派手にせんと思えば思う分だけ、お金が入り用なのだ。

神社境内の整備はもちろんのこと、神輿の修理に、屋台の誘致などなど。

職人の手が必要な部分は、手作りで賄うには限界がある。だからといって氏子の方々に、費用の負担をお願いできるわけでもない。

もちろん、参拝してくれた人の願いが込められたお金だというのもあった。
たとえば少額でも、失って「そうですか」では済ませられない。

諦めきれずに家中を歩き回った末、賽銭箱の前まで戻ってくる。

結衣は、犯人が盗みに入った際に落としていったのであろう、一枚の硬貨を拾い上げた。

「これはたぶん、妖の仕業ですね」

同じく捜索を手伝っていた恋時が、顎に手を当てやって言う。

「えっ、どうして分かるの。じゃあ化け妖が憑いた人の仕業?」
「ハズレですよ、結衣さん。まぁ少し見ていてください」

彼はそう言うと、拝殿の外、階段を下っていく。
それから、結衣を見上げた。

しなかやな指がさしたのは、くっきり残った彼の下駄の跡。昨夜の雨で、砂地がぬかるんでいたのだった。

はっとして、結衣は遠目に鳥居の方まで目を這わせる。

が、他のものは見当たらない。

「私、最後に掃除したのは昨日の夜、閉門のあとだよ。つまり、それから人は入ってないんだ……」
「えぇ、ということは、人ではなく妖でしょう。通報しても取り合ってもらえませんよ、きっと。あ、むしろ迷惑電話扱いされるかもしれません」

うん、相変わらず天使の顔をして毒が冴えている。
だがそれを見て、結衣は少し落ち着きを取り戻すことができた。

「もう、証拠の一つは掴んでますしね」
なにだろう? 難しく頭を捻ろうとして、手の中の感覚にはっとした。ばっと五本指を開く。
「そっか、お賽銭拾ったんだった! 犯人……犯妖? が、これに触れてるんだとしたら、ハチだったら分かるかもしれないね!」
「えぇ、そういうことです」

なんだか恋時は、探偵みたいだ。

「早く捕まえて、どうにか取り返しましょう。俺の計画では、もう少し能動的に資金を活用していく予定でしたので。それに近々、御守りを十個ほどまとめてお求めになる方がいらっしゃると聞いていますので、大きなお釣りが発生する可能性もありますから」

犯人かと思うほど、執着は強いけれど。
目が完全に真っ暗になっている。鮮やかな紅色が、若干どす黒く映る。

一方の結衣はといえば、希望の光が一筋さしたような気分だった。

結衣は、その場からすぐにハチを呼ぶ。

この時間の彼は、いつもは気怠さMAX、だらだら時間を食うように家事にあたっているのだが、犬の姿、トップスピードで駆けてくる。

狼かと思わせるほどの迫力、犬歯を剥き出しにしていた。
こちらも怒り心頭だ。

「ご飯食いっぱぐれてまうわけには行かん、絶対! 見つけたらただじゃおかんからな、こそくな妖め」

生活資金と勘違いをしているが、あえて指摘はすまい。

むしろ背中の毛を強めに撫でやって、さらに煽る。

「その調子だよ。じゃあ早速これ、匂いついてないかな」
「貸してみ。ちょちょいのちょいや」

ハチは、鼻をひくつかせ、何度も硬貨に鼻を擦り付ける。

「……妖の匂い、たしかに残っとるで。そいつが動いていった方向が分かるわ。ほんまに、ほんのりやが残っとる」

雪子もさすがに心配していたようで、その場にやってきていた。
一匹に先導され、三人でその後ろをついていく。

彼は拝堂から、まず自宅兼社務所の廊下へと進んだ。
社務所に寄り、しばらくここで滞在したのち、なんと居間へと入る。

「……侵入されすぎじゃないかしら。もう少しセキュリティちゃんとしたら?」
「雪子、うるさいよ。一応ちゃんと鍵は掛けてるもん。す、少し古いだけで」

「そ。じゃあ、かなり小回りが効くやつなのね、盗みに入った奴。妖の中でも、身体が小さそうよ。もしくは布みたいな身体かしら? あー、なんだか少し楽しくなってきたかも。この間読んだBL探偵ものみたいだわ!」
「そんな楽しんでる場合じゃないんだけどね……」

少女漫画脳の妖はともかくとして、少し正体が見えてきた。でも一体なんの目的で、中まで入ったのだろう。

思っていると、ハチは唐突に人間の姿へ戻った。

「……ここで匂いが消えとる」

耳としっぽを、しゅんとへたらせ、あからさまに落ち込んでいる。

「ほう、ハチくん、ここで消えていると。それは困りましたね」

そこは、恋時が気に入り、寝室としている和室だった。