「ちょっと、私戻るね! 薄川はこの人のこと見てて!」

結衣は、慌てて部屋を飛び出る。

集会所に足を踏み入れると、そこには化け妖の匂いが充満していた。
さっきまでは感じられなかったものだ。

その元凶だろう女は、小机をバリケードのごとく積み上げた奥にいた。

完全に身体を繰られているらしい。だらんと垂らした手の先には、ハサミの刃が光っていた。

「あれが、ワンピースを裂いたんだ……」

女の口元がなにやら蠢く。

言うには、なんであんたみたいな女が恋時さんに優しくされるの、あんたなんかその辺の男がお似合いよ、と。

要するに、妬まれていたわけだ。いつからかは定かではないけれど。
もしかすると、街へ宣伝へ出た時からかもしれない。

「今しがた、この女性に化け妖が憑いてしまったようで」

恋時が、申し訳なさげに眉を潜める。

「でも、恋時が悪いわけじゃないわよ、結衣」「せや。司会してたら一瞬の隙や、今もお客さん守ってるしなぁ」


ハチと雪子が彼を弁護していた。無論、承知の上である。

まだ参加者の一部は、堂内に残っていた。

総じて戸惑っている様子で、中には腰を抜かしている人もいる。
女が、結衣へ向けてハサミを振りかぶった。ひっ、と短い悲鳴が参加者らからあがるが、

「動きが大きいのよ」

雪子が口から吹雪を繰り出して、その態勢で固まる。

普段はただの引きこもり腐女子だが、氷を操るのは一流だ。
突然固まった女に、参加者らは目を点にしている。

「このまま帰すわけには行きませんよ、みなさんを」

恋時は頭の高さを結衣に合わせると、抑えた声で言った。

たしかに、このままでは怪奇現象の起こる神社だとされ、恐ろしい心霊スポット扱いを受けてしまいかねない。

「……どうすればいいかな。ちょっとでも抵抗されたら絶対変に思われるよ」
「それなら心配いりません。もう化け妖の姿もみえています。派手に、一回で終わらせればいいのです。それによって、そこまで含めて、イベントの一つだと思わせられます」

「でも、そんなのできないんじゃ」
「結衣さん、よく聞いてください。憑依したのは、山姫です。紛れ込んできたところを見ましたから間違いありません。大方、この間の山鳴りが関係あるんでしょう」

「……あ。鎮守の森に住んでるっていう妖?」
「えぇ。その特徴の一つに、先に笑った相手には危害を加えられないというものがあります。つまり、簡単に無力化できるんです」

意外だった。

身体の一部が氷像化してもなお呪詛を吐き出し続けている化け妖にしては、大きな弱点だ。

「あ。だから、化け妖が出たのに怖がってなかったんだ?」
「えぇ、まぁそんなところです」

とくに、常時笑顔の恋時の敵ではない。

「では、さっくりお祓いしてしまいましょう、結衣さん。まだ、あの女性は全ての力を奪われているわけではありません。無力化した化け妖を切り離したところで、意識を失うようなことはありませんよ」

それならば、どうにかなるかもしれない。

恋時から大幣と勇気を受け取った結衣は、にっこり笑顔のお面を貼り付ける。その瞬間、女の背後にべったりついた化け妖のオーラが怯んだ。


結衣は頬がつりそうになりつつも、近づいて祓詞を紡いでいく。

途中、恋時がそっと手の甲に口づけたうえ指を握ってくれると、もう百人力だった。

原理はどうしてもよくわからないのだけど、先端までほのあたたかく、心の内は、組紐のように一本の線にまとまっていく。

『そんなに威力が高いとは聞いてませんわ!』

効果は抜群だったようで、山姫はすぐに女から引き剥がれた。

スペアを恋時が所持していた大幣と違って、神楽鈴は拝殿に置いてきていた。

しかし、バックヤードに回っていた雪子が取りに向かってくれたのだろう。
裏手で神楽鈴が鳴り、ラストが飾られる。

すかさず、ひふみ祝詞に切り替えれば、十二単のような、裾の長い着物姿の妖が姿を現した。
よろよろと、小窓から外へ逃げ去っていく。
捕まえることもできただろうが、下手に目につく行為は取りたくなかった。

「…………私はなにを」

憑かれていた女も、たちざまに意識を取り戻していた。

すぐに自分の罪を悔いて泣き始める。
どうやら、感情的になりやすい人のようだった。とんだ迷惑を被ったが、すがるように謝られれば、責める気持ちも萎えてくる。

そんな結衣の背後で、参加者たちは歓声をあげていた。

「あはは、びっくりしたぁ。そういう演出だったの?」「いやいや、本当にお祓いの効果かもしれないぞ」

無事、印象の悪化も回避できたようだ。
なになら、不思議な体験を共有した同士、さらに打ち解けてくれている。手を取り合い、本当にカップルが成立しそうなペアもいた。


結衣は恋時を見やると、ぐっと親指を立てる。

もはや参加者のふりをしている必要もなさそうだ。結衣は胸いっぱいに、空気を吸い込み、大きく頭を下げる。

「八羽神社コン、これにて終了いたします!」

ぱらぱらと拍手が起こった。今度こそ、収まるところに収まったようだ。