彦根あやかし縁結び神社のお祓い譚! 憑きもの祓って、貧乏ボロ神社を再建します!








結局、最後まで薄川が折れてくれることはなかった。


神社コン開催当日を迎える。

キャンセルなども待ってみたが、参加者の変更などはとくになく、追加募集でも誰も引っかからなかった。

では、男性が一人あぶれたままの状態をどうするのかといえば、

「ほら、動いちゃダメよ。私が結衣を完璧なヒロインにしてあげるんだから」
「……ねぇ、雪子。本当に宮司が参加してもいいのかな。なんだか、ズルしてるみたいじゃない? サクラっていうんでしょ、こういうの」

「数合わせなんだから、いいんじゃない? 気にしすぎよ、むしろサービスしてやってるくらいの気持ちでいなさい。こういう時こそ、いつものやつよ。私は八羽の宮司だからね! ってやつ」
「……絶対今じゃないよ、そのセリフ!」

「ほら、いいから。顎下げないの。ピン留め、ずれるわよ」

結衣が参加者に扮するという、白とは言い切れぬグレーな作戦に出るしかなかった。

では進行役は誰がといえば、恋時しかいない。ドリンクの準備や、料理の提供など裏方の庶務は、ハチや雪子で、どうにか回すのだと言う。

信頼できる仲間たちとはいえ、皆揃って妖である。

中止をできる段でもないのに、いまだ不安を募らせる結衣をよそに、雪子の手際はよかった。

「ほら、できたわよ。似合ってるじゃないの。これで、少しはその気になるでしょ」

結衣は、促されて、姿見に写る自分と目を合わせる。
まるで別人かのようだった。


普段はすとんと肩上まで下ろしているだけの髪が緩く巻き上げられ、肩口で小粋に揺れる。
その抜け感のある雰囲気は、白と水色で淡くきめられたワンピースと、しっくり馴染んでいる。


結衣は思わず、わぁと感嘆の吐息。

おめかしの理由はどうあれ、綺麗になれることが嬉しくないわけがなかった。

「雪子、すごいね……。こんなのどうやったらできるの」
「ふ女子の嗜みよ。お裁縫だって自信あるのよね。この胸元の刺繍も私が縫ったのよ」

雪の結晶をかたどったものだ。
いくつか大きさの違うものが散らされていて、アクセントになっている。

リメイクなどの節約術には長けている結衣だが、凝った刺繍までは対象外だ。

「少女漫画のヒロインに、お裁縫趣味の子がいてね。結構好感持てるタイプの子だったから、真似して覚えたのよ」
「一応、普通のも読むんだね」

「まぁね。もちろんBLの方が好きだけど。どっちにも、いいところがあるもの。あ、でも混ぜるな危険って話でさ。二つ両立しようとしてる作品とか見ると、あーもう違うのにってムカムカして」

おっと、長い講義が始まりそうな流れになってきた。こんな時は早く退散するに限る。

結衣はお礼だけ言って、セットルームとなっていた雪子の部屋から出た。


すぐの廊下は、神社コンでも使用する予定の導線だ。

やれる限りの補修と大掃除を行ったことで、春先よりは見られる状態になっていた。季節が夏へ近づいたこともあるのかもしれないけれど、隙間風も低減されている。

姑のごとく埃をチェックしながら、結衣は社務所の脇にある集会スペースまで足を運ぶ。

「おや、準備万端のようですね」

ちょうど恋時が、座布団と小机を並べているところだった。

「伯人くんこそ、すごいね。さまになってる」
「ありがとうございます。代役など恐れ多いと思っていましたが、本物の宮司さんにそう言っていただけると自信が持てますよ」

 彼は常装を身に纏っていた。
水色の袴の上に、まっ白い狩衣をゆったりと乗せたようなその姿は、誰が見ても宮司そのものだ。

黒烏帽子と耳の間から覗く銀色のうなじなどは、本物以上の雰囲気を思わせる。

結衣は手伝いを申し出て、水を注いだグラスを各席に配置していく。

「結衣さんは、大丈夫ですよ。せっかくの晴れ着が崩れては台無しでしょう」
「別に本気で男の人を捕まえにいくわけじゃないからいいの。会が成功することの方が大事なんだから」

嘘偽りのない本音だ。つつがなく進行してくれれば、欲を言うとしても、一組くらいカップルが成立なんかしてくれたらそれがいい。

ただ、女子心にしてみれば、人からの反応が気にならないといえば嘘だった。正確には彼は妖だけれど。

「……どうかな、この格好」

結衣は、伏し目がちになって尋ねる。

机の位置を正すため膝立ちになったところで、恋時の動きがはたと止まった。

永久機関の笑顔が、ふいに真顔へ変わる。小机が脚を上に向けて、すとんと倒れた。恋時は、なにごともなかったかのように、それを元へ戻す。

天使の笑みも一緒になって帰ってきた。

「素敵だと思いますよ。ただ素敵すぎて、悪戯したくなりますね」
「……えっと、悪戯?」

「えぇ、頬に花丸を描くのはいかがでしょう。額に、ばつ印もいいかもしれません。お歯黒という手もありますよ」
どう受け取ればいいのだろう、これは。


いつものごとく、穏やかな表情にはもう一切の揺らぎがなかった。

ただ若干その瞳に、冷ややかなものを感じたのは気のせいだろうか。まるで凍りついた湖のようだ。水滴一つでは、波紋も広がらない。

それだけに、本当にやりかねないようにも思えた。
ジェントルマンが行きすぎたくらいの彼だが、妖はそもそも悪戯好きが多い。

「は、伯人くん?」

結衣は身構えて、じりじりと半歩ずつ恋時から遠ざかる。

間合いを探っていると、社務所からベル音が鳴り響いた。

もう、参加者の一人目が到着したようだ。


「ここは私がやっとくから、伯人くんお迎えに行ってきて! 今日の司会者でしょ」
「えぇ、お任せください」


まるで救いの船が来たような感覚だった。






普段、集会スペースを使うことはほとんどない。


遠い昔には、町の会議などに貸し出していたこともあるそうだが、今やプチ倉庫扱い。

先週まで備品を貯め込んでいたくらいの場所が、今日は人で溢れていた。


それも、恋を真摯に求める者ばかりの集いである。

見知らぬもの同士、あらかじめ決められた通りの男女ペアになって向かい合う。
それが十組もいるのだから、空気感は神社らしからぬ異様さを呈していた。化け妖が近くにいる時とも、また違う。

相手との距離を測るような気遣いが、あちこちで交差していた。


「なんで八雲が参加してるんだよ。お前、主催側だろ」
「飛鳥が、参加やめてくれないからでしょ!」

ごく一部、幼なじみ同士となった組み合わせを除いて。

ちなみに偶然ではなく、そうなるように結衣が仕組んだ。彼には余計な真似はしないよう、最初に言いつけておきたかった。

「しかもなんだよ、その服も、髪も。俺に散々言ってくれたけど、本気で彼氏欲しいのはお前の方なんじゃね?」
「違うし! これは、雪子がやってくれるって言うから」

しかし思う通りには行かず、恒例の小競り合いへと発展してしまう。

「できるだけ、ご静粛にお願いいたします」

しまいには、司会席に座っていた恋時にこんな注意をされてしまった。
仕方なくお互い無言になりながらも、飛鳥と睨み合うこと少し、

「今日はご参加くださいまして、ありがとうございます。これより、八羽神社コンを執り行います」

定刻になると同時、恋時が開会を宣言した。

その途端、全員の意識が一旦、彼の方へ向く。

恋時は原稿を見ているわけでもないのに、一言一句違えず、会のルールやスケジュールを述べていく。

「──以上です」

分かりやすく、聞き心地もいい。悔しいけれど、その仕切りは結衣よりよっぽど上手かった。
さて、プログラムが始められる。

まず最初は、制限時間付きでの自己紹介と数分間のトークタイムだ。ここで顔合わせ程度にでも相手を知ることで、緊張を解そうという狙いがあった。

「薄川飛鳥です、ヨロシク」
「……八雲結衣です」

結衣たちも、一応形式に従い、とってつけた挨拶を交わす。

「余計なことしないでよね、飛鳥。もし変なことしたら、婚活してるって元クラスのグループチャットで言いふらすから」

しかし二手目には、もう牽制を挟んでいた。
結衣はグラスの氷をわざと揺らしてから、水を飲む。

「反則すぎるだろ、それは。というか俺にも訳があってだな」


どんな、と問えば、言えないけど、と返ってきた。じゃあ言わなければいいのに、と思う。変なところで、馬鹿正直だ。

「邪魔はしねぇから安心しろよ。あと前も言ったけど、彼女を作りに来たわけじゃないってのは信じてほしいっつーか……その。飢えてるとか、誰でもいいとかじゃないから。大学でも誰とも付き合ってないし」

飛鳥は、首を右に傾けると、左の首筋を爪で引っ掻く。
ちなみに、刺青は彫られていない。

これは、強がりでも嘘でもなさそうだ。恋時と違って、彼はいつも分かりやすい。

「分かったから、手止めたら? 腫れるよ」
「……おう、ありがとう。それはそうと、なぁ八雲。一つ聞いていい?」

なんだか改まった言い振りに、結衣は姿勢を正す。

「あの人、誰だよ。あんなのいるなんて聞いてねぇよ」

指示語が誰のことを言うのかは、改めて確認するまでもない。
あぁそれか、と結衣は苦笑した。

「私のウサギの根付けが化けた妖。すごいよね。持ち主よりよっぽどハイスペック。っていうか今回の神社コン。SNSで知ったんなら写真見なかったの?」
「うん、SNSで知ったわけじゃないからな。妖なのか、……そっか」

なぜか緩んだ口角を、薄川は首を振り、きゅっと結ぶ。

「本当に人にしか見えないな」
「力のある妖は、顕現できちゃうからね。私もたまに思うことあるよ。でも、どう見ても私の持ってた根付けだし」

「……ふーん、なんか怪しいな」
「そりゃまぁ「あやかし」って言うくらいだしね?」

「トンチの話じゃないっての」

周りが懸命に相手との共通点を探る中、とりとめもない会話のうちに制限時間となる。
ペアのチェンジは、男性が移動することとしていた。
薄川はあぐらを解いて、


「……あんまり目立つなよ。変なのに目つけられたら困るから」

最後にぼそりと言い置いていった。

なんだか、含みがあったような気がする。
どう変で、どう困るのかしら。その意味をはかりかねていたら、

「こ、こんにちは。……よろしくお願いします」

次の男性がもう着席していた。

しまった、と思わず口にしそうになるのをどうにか飲み込んだ。

運営がうまくいくか、薄川をどう説得するかばかり考えていて、参加者としての立ち振る舞いを一切考えていなかった。

「えっと、よろしくお願い申し上げます、八雲結衣です。その、あー、暑いですね……?」
「そうですか? 涼しいくらいだと思いますけど……。神社だからなんですかね? マイナスイオンが流れてる感じがします」


たぶん、室内に雪子がいるからだろう。

恋時の隣で、タイムキープ役をしているようだった。

雪女がいるだけで、夏はクーラーいらずなんです。
電気代節約にもなるんです。


そう言えたら楽なのだが、そんなことをありのまま伝えれば、変人に思われること請け合いだ。

「暑がりなんですよね、私。あははは……」

無理やり通して、あたりさわりのない会話を、どうにかやり遂げる。

時間に余裕は持たせていたが、息つく間は少ない。すぐに次の人が回ってきた。

今度は見るからに、気の弱そうな人だった。
白のセーターに、ベージュのロングコートは、中性的な印象を抱かせる。

備えがなければきっかけに困るところだったろう。

だがここで、結衣にとっての秘策、質問票の情報が生きた。

「神社お寺巡りが趣味なんですね?」
「……あ、はい! 僕、御朱印も集めてて。京都も、このあたりも、結構行ってます」

「最近はどこへ行かれたんですか」

男の顔が、ぱっと明るくなる。
にこやかに、体験談を話し始めてくれた。髪の毛を何度も耳にかけながら、彼は調子づいていく。

「この間は鹿苑寺に行ってから、平安神宮の方へ回って……」

楽しいコミュニケーションかはさておき、神社仏閣への好きが、よく伝わってきた。こういう人こそ、神社コンの参加者としては、ふさわしいのかもしれない。

女子としてというより、一人の宮司として、彼を微笑ましく思う。その拍子、結衣の小机の上で、グラスがこちらへ傾いた。

「……あっごめんなさい!」

揺らした自覚があったのか、彼がこちらへ手を伸ばす。
反射的に結衣も抑えにかかって、ふと、指と指が触れ合った。

「……つうっ」

静電気が走ったらしい。
結衣は、じんと痺れる指をさする。

「すいません、色々と僕のせいで。大丈夫ですか?」

男は胸元に手を寄せると、反対の手で包み込んでいた。
心配そうに、こちらを覗き込む。そこで、タイムアップとなった。


そんな幕切れの悪さに、結衣はその後も彼のことが気にかかった。

どうも、極度のあがり症のようだ。
組み合わせが変わるたびに、男の肩はいかりあがっていた。


一通りの顔合わせが終わり、はじめの位置に戻ってくる。

ぶすっとした顔で、薄川が腕を組んでいた。人によっては、この絵面だけで泣いていたかもしれない。

「おい、ぼうっとしすぎだろ八雲。お前のグラス、髪の毛浮いてるぞ」
「……へ? ほんとだ……しかも、なんか長いや」

誰かの髪が風で舞ったのだろうか。

「ちょっと替えてくるよ、ってあれ動けない……」

立ち上がろうとしたのだが、足に力が入らない。

「女性陣は、長いこと同じ姿勢だったしなぁ。大丈夫か? ……手貸そうか」
「ううん、いいよ。大したことじゃないし、すぐ治ると思うから」

結衣は力を込めて、足をもみほぐす。

「こちらをどうぞ、結衣さん」

まごついていたら、先回りして恋時が替えを用意してくれた。
そんな彼の垂れた袖を、薄川が引く。

「優秀だな、さすがに。でも、八雲が宮司だって周りにばれたら大変だろうから、もう少し接し方には気を付けろよ」
「えぇ、心得ていますよ。飛鳥さん。いつもお世話になっています」

「……あぁ、こちらこそだ」


両者、手を取り合って笑顔を交わす。

どういうわけか一触触発といった、剣呑なムードに見えた。

「……あれ、尊いかもしれない! タイプの違うイケメンの握手! あっまって写真!」

背後の雪子がどろどろに溶けて、全てを打ち壊していたけれど。






短い休憩を挟んだあとは、場所を本堂へ移しての、祈祷式となっていた。

婚活パーティーには当然なかった題目だが、神社コンならばとプログラムに織り込んだものだ。

だが、宮司である結衣は参加者扱いになっている。

どうするかといえば、

「高天原(たかあまのはら)に神留坐(かむづまりまざ)す神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の──」

これも恋時が代役を務めた。

太鼓打ちも、お清めのお祓いも卒なくこなす。難所であるはずの大祓詞奏上も、お手の物だった。

大祓詞は、普段の祓詞より長く、特別な行事の時にのみ奏上する珍しいもの。

けれど、間違えないのは当然として、一音一音に余韻を残しながらリズムも失わない。
息切れで失速するようなこともなかった。


元々は結衣の根付けである。結衣の練習や、父親の祈祷を聞かされるうちに覚えたのだろうか。

鈴の音は、裏でハチが鳴らしているようだった。雪子もお渡し用の札の用意などに一役買っている。

「あぁ、可愛いわね、とっても」

札を抱いて、頬擦りをしているのは余計だけれど、気持ちは分かる。

今回の神社コンのために、特別なデザインを施したものだった。
縁結びを祈念するため、幸福を呼ぶとされる鈴蘭の花を模様にあしらってある。


父の代に使っていたお札から、案をいただいてきたものだ。今のデザインはよりシンプルに、リボンが結ばれた絵が施してある。

見た目だけではなく、実際にお祓いの効果を持たせることもできる神符だ。

(……とりあえず、無駄な心配だったかな?)

始まる時は妖だけで運営だなんて無謀なのではと気が気でならなかったが、この分なら問題なさそうだ。

正座の姿勢だった。

ほっとした結衣は、前のめりになっていた体重を、かかとへ移す。と、甲がなにかを踏んづけた感触かあった。足を上げ、物を見て目が丸くなる。

「……針!」

赤色の玉がついた、まち針だった。

横倒しになっていたからよかったものの、ひとつ間違えば出血していたかもしれない。


雪子がお裁縫道具箱から落としていったのだろうか。

つまみ上げて、ジェスチャーだけで確かめる。


彼女は、知らないとばかりに首を振っていた。

ということは、誰かの落とし物? なぜこんなものを? 普通、持ち歩くようなものではない。

ひとまず、結衣はそれをハンカチに包んでポケットにしまった。



全部で三時間程度の行程だった。

企画するには時間をかなり要したのだが、参加者側に回ってみれば早いものだった。あっという間に、残り一時間となる。

最後のプログラムは、食事を取りながらのフリータイムだ。

「みなさん、お好きな料理を、セルフでお取りいただき、ご自由に席についていください。会の終わりには、ペアになりたい方の名前を記入したカードを提出いただきます」

カップルが成立するには、ここが肝心要になる。

さっきまでとは違い、会話時間などに制限は設けられない。興味のある相手とだけ、親交を深めることができるのだ。

開始早々、いくつかの輪が形成されていく。人気を争う競技でもないが、やはり可愛かったり綺麗な女性の元には、たくさんの男が押し寄せていた。

結衣のところはといえば、

「……やっぱり年下ってダメなのかな。俺、少しは自信あったんだけど」

若干一名の幼なじみが泣きついてきていた。


本当にどうして来たのだろう、彼は。

そう思うことで、結衣もひっそりと、彼しか来なかったショックを紛らわす。

「まぁ、みんな働いてる人ばっかりだもんね。とくに婚活する女の人って、安定感求めがちだし」
「あぁらそういうことか。もしかして見た目のせいじゃないよな……、な?」

それもあるだろうけれど、むしろそれが八割かもしれないけれど。

結衣は、とりあえず頷いておく。

「そっかぁ。安定感かぁ。たしかに大学生にはないよな。……あー、そう考えたら、結婚とか出産とかって程遠い話に思えてきた」
「言っても、あと五、六年もしたら同級生のみんなも結婚していくんじゃない?」

想像つかねぇ、と薄川は唖然とした顔になる。

つくねを小皿から箸で掬うと、一口で放り込んだ。

今回の料理は全て、結衣のお手製である。それはあえて言わずに、薄川が噛むのを期待と不安を半々に見つめる。

「……柔らかい。噛むほど、香ばしいし。市販のものじゃないだろ、これ」

好評と取ってよさそうだ。少し下り坂だった結衣の気分は、ぐんと上向く。

「そうなの! これね、節約でお豆腐多めで作っててるんだ。スパイスは、少し山椒多めで!」
「そうか、やっぱり手作りか。八雲の作るものは昔からなんでも美味しいな。これ食べられただけでも今日はきて良かったかも」

「そ、そこまでのものじゃないでしょ」


結衣の頬がぽっと赤く染まる。

料理を褒められると、毎日の努力が報われた気がして嬉しい。
それだけのことなのだが、周りの婚活参加者たちの熱っぽさに当てられたのか、不必要なまでに胸が高鳴っていた。

「……それにしても、ちゃんと盛り上がってくれて良かったよ」

薄川から身体を背け、むりやり話題を変える。

顔をグラスに埋めるようにして紅茶に口をつけて、会場全体を見渡した。

少なくとも、孤立している人はいない。さっきの中性的な男も、ボーイッシュな風貌の女性と二人、ぎこちないながら会話を楽しんでいる。

ちらり、彼と目が合う。
結衣は軽く会釈をして、すぐ目を流した。凝視すぎてしまっていたようだ。

「……こりゃあ大成功じゃねぇの、万年、鈴の鳴らされない八羽神社にしてみたら」
「ちょっと立地が平地にあるからって威張らないでよ。これから、たくさんくる予定だからね」

結衣は真っ向から言い返す。
恋時が、その始終を眺めていたらしい。

「いいんですよ、結衣さん。今に立派な神社になりますから。参拝客も取り合うよりは、共存する方がいいでしょう?」
「それはそうだな。仲良く生き残りたいもんだ」

またしても、手を取り合う二人。さっきからなんなのだろう。

無駄に雪子が溶けて、床が痛みかねないのでやめてほしい。仲介に入ろうとしたところ、背中を誰かに突かれた。

「きゃっ!」

よろけた結衣を、二人が止めてくれる。

「ごめん、ありがとう」
「…………結衣さん、衣装の裾が」「しっかり破れてるぞ、お前」

たしかに、はじめはなかった浅いスリットが入っていた。
恥じらいから、結衣はその箇所を握り絞る。

慣れないおしゃれ着だ。知らぬ間に、どこかで引っ掛けたのかもしれない。

「もう会も終わります。後ろに下がっててもいいのでは?」「俺もそう思うな。着替えて戻ったりなんかしたら、関係者だってばれるだろうし」
「ううん、ちゃんと最後まで見届けないと。とりあえず、クリップで留めておくよ」

今日は、どうにもついていない。

もしかして星座運でも悪かったのかしら、サクラとして紛れ込んだバチが当たってたり。考え巡らせているうちに、フリートークタイムが終わる。


いよいよ、カップリングカードの記入時間になった。





結衣は、無記名で早々に提出を済ませる。

他の参加者たちは、人によってはかなり悩んでいるようだった。

好感をもった人が何人いても、書けるのは一人。

かつ、相手とマッチするかどうかも計算しなければならないのだ。

全員分のシートが恋時によって集められる。少しの集計時間を置いて、

「一番さんと十四番さん、八番さんと十二番さん、カップル成立です。おめでとうございます」

結果が通知された。

「カップルとなった方々、おめでとうございます。前へどうぞ。記念品を贈呈いたします」

その中の一人に、結衣が気にしていた神社仏閣好きの男もいたようだ。

彼は、まるで繰り人形のように立ち上がる。
数歩、カニ歩きのように不自然な腕振りとともにバタバタ歩いたと思ったら、膝が不自然に折れる。そのまま、なんと頭から崩れ落ちた。


ふっと鼻腔をかすめた匂いに、結衣はとっさに彼のもとへと駆け寄る。

鼻につく、言い知れぬおぞましさを想起する香。

はっきりと、化け妖の匂いがしていた。
そのうえ、川底の泥かのような姿も、首筋から覗いている。

「どうして分からなかったんだろ」

めでたく祝われるはずの人が倒れ、空気がその色合いをくすませる。

喜びに満ちていた人も、落ち込んでいた人も、興味をなくして携帯をいじっていた人も、一様に不安げな表情になっていた。

結衣は思いつきで、挙手をする。

「たぶん、立ちくらみじゃないでしょうか! 私、お薬持ってるので、ちょっと様子見しますね。いいですか、神主さん。閉会式は続けてもらっていいので」

たまたま同じ飛行機に乗り合わせ、倒れた患者の容態を把握し終えた医者。そんな想定だった。

右目を瞑って、この茶番に乗ってくれるよう恋時に合図を送る。

「では、お願いいたします。薄川さん、お手数ですが運ぶのを手伝ってもらってもよろしいですか」
「お、おう。もちろんだ」

タンカー役を、引き受けてくれる人もいた。







「俺が今回参加した理由、この人だったんだ」

倒れた男を床に寝かせるなり、薄川が言った。

場所は、先ほどまで会場の一部としていた本堂だ。

簡易的にワンピースの上から袴を重ね着しつつ、結衣は間抜けな声を漏らす。

おかげで、腰帯を巻く高さがずれてしまった。

「どういうこと? この人の知り合いなの?」
「まぁそうとも言うのかもな。この人、少し前にうちの厄除けを受けにきたんだ。五月の頭ぐらいか」

「……なんでそれ、もっと早く言わないの」
「こっちにだって、守秘義務があるんだっての。厄除けにきた人が婚活に参加してるくらいで報告義務はないだろ」

化け妖が憑いていることに、気づけなかったわけだ。

寺院で施す厄除けは、化け妖を寄せ付けないよう、清廉な香を放つ。
裏を返せば、すでに取り憑いている場合には、弱らせる一方で、その存在が分からなくなることもある。

「それで、どうして薄川がついてきたの」

恋時が使ったお祓い道具が、そのままにされていた。少しそれらの手入れをしつつ、結衣は問う。

「あぁ。厄払いの時に参拝理由を聞いたら、『八羽神社での神社コンに参加するから』って言っててな」
「えっと、それって理由になってなくない?」

「だろ、俺もそう思った。どうにも挙動不審で、体を扱い慣れてないみたいっていうか、少し怪しく感じてな。だから、見張るつもりできたんだ。八羽神社に丸投げで迷惑かけるわけにもいかないだろ。……結局かけちまったけど」
「それは別に気にしないで。むしろ、色々ありがとうね」

化け妖が憑いてるいるのかどうかは、薄川には分からない。怪しいと思うことはできても、今度は守秘義務が口外を阻む。

そんな状況の中、自分が出張ってまで、八羽神社に迷惑をかけまいとしてくれていたわけだ。責められるわけがない。

「でもさ、なんか変だよな。たしか、化け妖ってのに憑かれたら、おかしな行動に走ったりするんだよな」
「うん。そういうことが多いかな」

「じゃあ、神社コンに行くために厄除けをするなんて変な行動を取ったのは、化け妖の影響になるよな。でも、厄除けなんて化け妖とやらからしたら、自分で自分を苦しめることにならないか」

たしかに、矛盾している。

実際、この男に憑いていた化け妖は、その妖気を見せるやいなや力を弱めていた。それは、横野寺で施した厄除けの効果に違いない。

「今から当事者に聞くよ、それは」

前回、未央をお祓いした時に比べれば軽い仕事だ。

化け妖も弱っていれば、場所も神社の中と来ている。
結衣は、大幣を握り、正座を組む。

「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神──」

仰向けに倒れる男の胸部分に触れつつ祓詞を唱えていった。

「──清めたまえともうすことを、きこしめせと。かしこみ、かしこみ、もうす」

男の身体に亀裂が生じる。化け妖は、いともあっさりと男から切り離された。
カエデ紋の護符が、静かに着地する。

「やっぱりこれ、うちの寺のやつだ。……で、今なにが起こったんだ?」
「一応、今この人から妖を切り離したよ」

「そうか……」

納得しきった顔ではないが、しょうがない。
見えていない人からすれば、妄言に等しいだろう。

それを小さな頃から信じてくれているのだから、薄川は結衣にとって、なんだかんだとやりあえど、ありがたい人だ。

結衣はお次とばかり、ひふみ祝詞を口にしていく。

奥の奥で火をくすぶらせた炭が、最後の黒煙を吐きだすかのようだった。一節にも届かないうちに、化け妖は自ずからその姿をほどいていく。

「……こうも簡単に離されようとは、思いもしなかったよ」
「まぁ、これでも八羽神社の宮司だからね」

見たことのない妖怪だった。縦に細長い桃色の躯体をしている。

その先に、鬼灯の実のようなものが凛と揺れていた。その螺旋の隙間からか細い声がしたので、そこが頭部にあたるのだろう。

この世ならざるもの、異形そのもの。けれど、知った形ではあった。スケール感は違うけれど。

「かんざしの付喪神、かしら」
「分かるものなのだね? そのとおり、あたしはあの雅な髪留めさ。カンザシ、と呼んでくれていい」

「綺麗だけど、自分で言うのは醜いよ」

ありのまま言うと、カンザシは身体をより鋭く、細く尖らせる。

しかし、攻撃するでもなくまた身を縮めた。どうやら厄除けの効果により、かなり弱っているようだ。

「怒らせるつもりじゃなかったんだ、ごめん。攻撃してやろうとも思ってないから。ほら」

結衣は、神楽鈴を腿の横に置く。
薄川も流れを汲んでくれたようで、腰を下ろして、手を前に組んだ。

「聞きたいことがあると言う顔をしているな、小娘」
「……どうして、厄除けなんかに行ったの。自分が弱るって分かってたでしょう?」

「ふ。うちの主が、神社でのお見合いにいこうとしていたからね。それも、見える宮司がいると噂の八羽神社だ。防御策は取るだろう?」
「行かせなければよかったんじゃないの。横野寺に連れて行けるくらいなんだから、それくらい操れたでしょう?」

「……この子は、ずっと我慢をしてきたからね。やれることはみんなさせてあげたかったのさ」

カンザシは、凛と頭を揺らした。
乾いた音が二度、三度鳴る。

途端、古いフィルムのようにセピア色が頭に流れ込んできた。





「なんだ? なんかイメージが浮かんできたぞ、おい」

薄川の頭にも同じものが見えているようだ。

映画などのように派手な演出も効果音もなく、ホームビデオのようにそれは淡々と先のコマへと流れていく。

ヒーローではなくお姫様に焦がれた少年が、ひたすらに自分を封じ込めていく話だった。

美少女戦士のステッキに、少女雑誌、ラメの入った色ペン、裁縫グッズ、様々なものが手に取られては売り場に戻される。


そうして、中学生になったある日。京都で買われた一本のかんざしだけは、少年のお土産袋に紛れ込んだ。
校外学習かなにかで、開放的な気分になっていたのかもしれない。


やっと手に入った好きなもの。

しかし、少年がそれを髪に刺すことはなかった。鍵付きの引き出しにしまい、毎日のように眺める。

好きになったのは同性の後輩、なりたいと憧れたのは異性の先輩。しかし決して人には言えない。

秘密を机に隠し、ちぐはぐを胸に抱えたまま少年は大人になっていき、最後、引き出しが開かれる。

「僕、男だもんね」

そこで映像は真っ暗になった。

結衣は、自分の意識がその余韻から還ってくるのを待ってから目を開ける。

薄川はまだ目を瞑っていた。カンザシは、寂しげにまた鬼灯の実を揺らす。察するに、この倒れている男が見てきた景色なのだろう。

この妖の根源は、男のやりきれない思いを乗せた言霊らしい。

「分かっただろう? この子がいかに我慢してきたか。自分が男だと強く思い込むがゆえにこの子は色々なことを封じ込めてきた」

思い返せば、彼の服装も動作も喋り方も、女性らしいものだった。
その「らしさ」に彼は苦しんできたのだ。


人はどうしても、イメージをする。

雪子を気品ある美人だと思ったり、薄川をその道の人と勘違いしたりするのもそう。

その勝手なイメージに、彼は人一倍囚われていたということになる。
ただ心と身体がずれていたばかりに。

「小娘が今やっているみたいに、髪留めをつけることもままならない。その心が泣くのを聞いて、あたしは取り憑いた」

そのうえで、カンザシが取った行動は、身体を占領して自由にしてしまうのではなく、彼がしたいようにさせることだったそう。

化粧や美容グッズの購入、流行りのドリンクやランチのお店選び。

彼が少しでも世間のイメージとの狭間で、判断に迷うようならば、背中を押してやったと言う。


「今回のお見合いでこの子は、自分が男か、女か、白黒つけたがっていた。だから参加をさせたのさ。でも、うまくはいかないものだね」
「……女の人と本当にマッチングしちゃったから、引っ込んでいたあなたは、前に出てきてしまったのね」

「あぁ。この子のしたいことではないだろうからね」

まるで人情話のようだった。

苦しんできた人間を、その心の発露であるカンザシの妖が救ってやる。

それは、一見なんの間違いもなく美しい。

カンザシは人を自在に操っているわけではない。少しばかり、その選択を矯正しているだけだ。
けれど、やはり否定しなくてはならない。

「それって、カンザシが思う、この人のしたいことだよね」
「なにを言うか、小娘!」

「事実だよ。とくに、人に迷惑かけたことなんてそう。私にも散々悪戯したでしょ。
 私がこの人のことを気遣ってたのを、好意だってカンザシが勘違いしたからじゃないの。それはこの人が望んだと? あなたでしょ」

そして、カンザシが本当に望んでいるのは、たぶん一つだ。

「いつか、この人の髪に、付けてもらいたかったんだね? 無理矢理じゃなくて、この人の意思で」

カンザシは、にわかになにも発しなくなる。図星のようだった。

「どうにかしたい気持ちは分かるよ。この人のしたいことでもあるんだろうし、少しくらい力を貸すなら、いいかもしれない。でも、過度に干渉するのはだめだよ」
「……他人に害を与えるからかい?」

「うん。でも、それだけじゃない。……そうしないと、いつまでもこの人が、自分の心と向き合えないと思うから。この人が大切なら余計に」

男だとか女だとかで疑問をもったこともない結衣に、彼の心情の全てが理解できるわけではもちろんない。

でも、問題の根っこは同じだ、対自分。
結衣も、よく悩み、よく目を背けようとする。自分で言っておいて、跳ね返ってきて痛いくらいだ。

それでも、最後には向き合わねばならない。自分の意思で、選ばなければばいけない。


カンザシは、強気な態度から一転、黙り込む。

薄川が、一つ咳払いをした。あたかも見えているかのように語りかける。

「カンザシとやら、そこにいるんだよな。お前がもうこの男に憑依しないってなら、厄除けの効果、解いてやるよ。なぁ八雲。それで、妖の方の力も戻るんだよな?」

「……うん。そのはずだけど」

結衣は、薄川に代わってカンザシの意思を確かめる。

「カンザシはどうしたいの。一つだけ言っとくと、このままじゃあなたが消えるかもよ?」
「厄除けの効果を解けば、この世にとどまれるのか」

「そうなると思うよ。……この人が苦しんできた二十数年分がカンザシなんだから。そう簡単には消えないよ」

感情から生まれた妖は、とくにそれが宿った付喪神は、その持ち主の思いの丈だけ強い力を持つのだから。

結衣は、ふと恋時の顔を浮かべる。
もしくは彼も付喪神になるのだろうか。その考えが次のステップに行かないうちに、カンザシはしゃらんと首をしならせた。妖しく、けれど愛嬌をみせて笑う。

「それならば、いつか願いが叶うのを気長に待つとするよ」

凛々しく答えて、彼女はその提案を飲んだ。
薄川によれば、

「厄除けは、願い事をお焚き上げして行うからな。その逆、つまりは、厄除けの撤回を祈ればいいんだ」

とのことだった。

ひとまず、本会場同様こちらも、かたがついたといえよう。

男が自然に目を覚ますのを待つ間、

「それにしても、悪戯がすぎるよ。グラス倒すし、髪の毛入ってるし。静電気、まち針……。あ、そうだ、ワンピース! せっかく可愛かったのに」

結衣はカンザシに、少しの恨み節を口にした。
言い募らずにはいられなかった。

情けなくも、袴の下から浮き上がっているダブルクリップを指差す。

「あたし、その服のことは知らないよ。覚えがない」
「……えっ? 嘘」

「嘘をつく理由がないね。たしかに静電気あたりはそうさ。この子に関わることならやったけれど……。でも、女の飲む器に微塵も興味はないし、まして服を破こうなんて趣味はない」

結衣は、はっきり虚をつかれた。

ということは、別に真犯人がいるということだ。

悪戯は、決して妖の専売特許ではない。身体を乗っ取られずとも、悪事を考える人間だって当然いるのだ。






「ちょっと、私戻るね! 薄川はこの人のこと見てて!」

結衣は、慌てて部屋を飛び出る。

集会所に足を踏み入れると、そこには化け妖の匂いが充満していた。
さっきまでは感じられなかったものだ。

その元凶だろう女は、小机をバリケードのごとく積み上げた奥にいた。

完全に身体を繰られているらしい。だらんと垂らした手の先には、ハサミの刃が光っていた。

「あれが、ワンピースを裂いたんだ……」

女の口元がなにやら蠢く。

言うには、なんであんたみたいな女が恋時さんに優しくされるの、あんたなんかその辺の男がお似合いよ、と。

要するに、妬まれていたわけだ。いつからかは定かではないけれど。
もしかすると、街へ宣伝へ出た時からかもしれない。

「今しがた、この女性に化け妖が憑いてしまったようで」

恋時が、申し訳なさげに眉を潜める。

「でも、恋時が悪いわけじゃないわよ、結衣」「せや。司会してたら一瞬の隙や、今もお客さん守ってるしなぁ」


ハチと雪子が彼を弁護していた。無論、承知の上である。

まだ参加者の一部は、堂内に残っていた。

総じて戸惑っている様子で、中には腰を抜かしている人もいる。
女が、結衣へ向けてハサミを振りかぶった。ひっ、と短い悲鳴が参加者らからあがるが、

「動きが大きいのよ」

雪子が口から吹雪を繰り出して、その態勢で固まる。

普段はただの引きこもり腐女子だが、氷を操るのは一流だ。
突然固まった女に、参加者らは目を点にしている。

「このまま帰すわけには行きませんよ、みなさんを」

恋時は頭の高さを結衣に合わせると、抑えた声で言った。

たしかに、このままでは怪奇現象の起こる神社だとされ、恐ろしい心霊スポット扱いを受けてしまいかねない。

「……どうすればいいかな。ちょっとでも抵抗されたら絶対変に思われるよ」
「それなら心配いりません。もう化け妖の姿もみえています。派手に、一回で終わらせればいいのです。それによって、そこまで含めて、イベントの一つだと思わせられます」

「でも、そんなのできないんじゃ」
「結衣さん、よく聞いてください。憑依したのは、山姫です。紛れ込んできたところを見ましたから間違いありません。大方、この間の山鳴りが関係あるんでしょう」

「……あ。鎮守の森に住んでるっていう妖?」
「えぇ。その特徴の一つに、先に笑った相手には危害を加えられないというものがあります。つまり、簡単に無力化できるんです」

意外だった。

身体の一部が氷像化してもなお呪詛を吐き出し続けている化け妖にしては、大きな弱点だ。

「あ。だから、化け妖が出たのに怖がってなかったんだ?」
「えぇ、まぁそんなところです」

とくに、常時笑顔の恋時の敵ではない。

「では、さっくりお祓いしてしまいましょう、結衣さん。まだ、あの女性は全ての力を奪われているわけではありません。無力化した化け妖を切り離したところで、意識を失うようなことはありませんよ」

それならば、どうにかなるかもしれない。

恋時から大幣と勇気を受け取った結衣は、にっこり笑顔のお面を貼り付ける。その瞬間、女の背後にべったりついた化け妖のオーラが怯んだ。


結衣は頬がつりそうになりつつも、近づいて祓詞を紡いでいく。

途中、恋時がそっと手の甲に口づけたうえ指を握ってくれると、もう百人力だった。

原理はどうしてもよくわからないのだけど、先端までほのあたたかく、心の内は、組紐のように一本の線にまとまっていく。

『そんなに威力が高いとは聞いてませんわ!』

効果は抜群だったようで、山姫はすぐに女から引き剥がれた。

スペアを恋時が所持していた大幣と違って、神楽鈴は拝殿に置いてきていた。

しかし、バックヤードに回っていた雪子が取りに向かってくれたのだろう。
裏手で神楽鈴が鳴り、ラストが飾られる。

すかさず、ひふみ祝詞に切り替えれば、十二単のような、裾の長い着物姿の妖が姿を現した。
よろよろと、小窓から外へ逃げ去っていく。
捕まえることもできただろうが、下手に目につく行為は取りたくなかった。

「…………私はなにを」

憑かれていた女も、たちざまに意識を取り戻していた。

すぐに自分の罪を悔いて泣き始める。
どうやら、感情的になりやすい人のようだった。とんだ迷惑を被ったが、すがるように謝られれば、責める気持ちも萎えてくる。

そんな結衣の背後で、参加者たちは歓声をあげていた。

「あはは、びっくりしたぁ。そういう演出だったの?」「いやいや、本当にお祓いの効果かもしれないぞ」

無事、印象の悪化も回避できたようだ。
なになら、不思議な体験を共有した同士、さらに打ち解けてくれている。手を取り合い、本当にカップルが成立しそうなペアもいた。


結衣は恋時を見やると、ぐっと親指を立てる。

もはや参加者のふりをしている必要もなさそうだ。結衣は胸いっぱいに、空気を吸い込み、大きく頭を下げる。

「八羽神社コン、これにて終了いたします!」

ぱらぱらと拍手が起こった。今度こそ、収まるところに収まったようだ。





部屋は、短時間でかなり荒らされてしまっていた。

「元はといえば、俺が連れ込んだのが悪かったわけだしな」

けれど、残っていた薄川が手を貸してくれて、むしろ早いこと片付いていく。

カンザシに憑かれた男は、あのあと意識を取り戻したようで、彼が帰してくれたとのことだった。

悩みが一切ないという顔ではなかったが、なにかを悟ったような顔つきをしていたそうだ。
今回の神社コン参加によってか、お祓いの甲斐によってか、自分の気持ちの中で振り切れるものがあったのかもしれない。

「ありがとうね、なんだかんだ頼りになるね幼馴染は」
「余計なお世話だっつの」

横野寺まで、結衣は薄川を見送りに行く。

山姫は祓ったはずだが、鬱蒼とした緑を深める鎮守の森からは、また山鳴りがしていた。

長年、この道は参道とも生活路ともしているけれど、こう違和感がある状態が続いたことはあまりない。

「──つけろよ」

気を散らされ、八割方が右から左へ抜けてしまった。

「えっと、なんて?」
「ちゃんと聞けよ、バカ。気をつけろよ、って言ったんだ。あの恋時とかいう妖。やっぱりどう考えても、普通の妖じゃないだろ」

「……だから私の根付けが化けたんだって」

まるでなにも聞いていないかのごとく、それには反応せず、薄川は立ち止まる。

どこを見るでもなく、空に目をやった。
追えば、ぽつんと一つだけの雲が風に流されている。
奥では、大きな塊となった積乱雲が怪しげな灰色に淀む。

「なぁ八雲。妖たくさん家に抱え込んで、もしかして昔の自分を重ねてんのか」
「なにを言ってるの」

「はぐれ者には場所を与えないと、とか思ってる?」
「……ちょっと」

制止するけれど、薄川は止まらない。空に向かって目をしかめている。

「さっきお前は、『自分と向き合え』って言ってたけどさ、無理にする必要ってあんのかな、それ。……気にしすぎるから悩むってこともあるんじゃねぇの。神社のため、親の期待に応えるため、ってお前は頑張りすぎなんだよ」

結衣は、靴の中、足の指先を内へ握り込んだ。
砂利がソールの下で擦れ合う。
少し心の用意が必要だった。どうにか結衣が考えないようにしてきたことを、彼は言おうとしている。

「妖が見えるって能力で連れてこられた、養子だからってさ」



     一


「ほら、もうすぐできるよ~、朝ごはん!」

小葱を刻む手を止めないまま、結衣はキッチンの奥から声を張りあげた。

広さや部屋数こそ、それなりの我が家である。

しかし悲しいかな、壁は薄く防音性は皆無。下手をすれば、この包丁の音さえ廊下に響いているかもしれない通気性抜群の仕様である。

あえてそれを逆手にとるならば

「なんや、めっちゃ早いやん今日は」

ほら、ちゃんと聞こえていたようだ。

まずはハチが居間へ飛び込んできて、結衣の膝に頬をすりつける。
作業中なので撫でてやれずにいると、ややつまらなさそうに、芝犬姿から、にゅうっと人の形へ変化した。

「ふわぁ、眠いんだから静かにしなさいよ、ワンコ」

今度はあくびをしながら、雪子。

挨拶もそこそこに、妖二体の視線はすぐ、食卓へと吸い寄せられていった。

「いいじゃない、涼って感じだわ。好きよ、こういうの」
「僕、赤い麺専門で食べたい!」

でんと真ん中に鎮座しているのは、そうめんの山盛り入ったボウルだ。

白く艶のかかった麺の上で氷が溶けかかっているのを見ると、いよいよ夏が来たのだと実感する。

結衣はその上に、切ったばかりのネギを散らした。爽やかな彩りに、つい唾液が滲み出すが、まだ終わらない。

本命は、冷蔵庫に隠していた。

「山形だしに、冷やし味噌煮、オーソドックスにめんつゆ。出汁、三つ用意してみたんだ。おかずを豪華にできないなら、っていう逆転の発想!」

「へぇ、毎度よく考えるわね、結衣は」「……結衣、天才やな! 味が単調っていう、そうめんの唯一の弱点消えたわ。これで!」
「せめて食べてから言ってよ、そう言うのは」

期待されないよりは、された方が嬉しいけれど、ハードルが上がりすぎるのも困りものである。
低予算ごはんなのだから、超えるハードルも低くあってほしい。

「おーい、朝ごはんできたよ」

結衣は、もう一度呼びかける。

今度は相手がすぐ近くにいるため、抑えた声量だ。桜の花びら付き、和室の古びた襖が、おもむろに開く。

ややむわっとした風に、銀色の長い髪と七色の組紐がたなびいていた。

「おはよう、伯人くん。また縁側の窓開けてたんだね」
「おはようございます。えぇ、すだれ越しの夏風も風流でしょう? 昨日は少し雨が降ったようで、湿気ていますが。おや、料理の方も夏らしいですね」

「でしょ? でも、季節感で言うなら伯人くんの格好の方がよっぽどだよ」

彼は七分袖の作務衣に、羽織を召していた。
仕事以外では洋服ばかりを着る結衣からすれば、夏祭りの格好というイメージだ。

「そんなんえぇから、はよ食べようや~」

風流など、犬は解さないらしい。食事を前に、我慢しかねたのだろう。
ハチが恋時の背中を押しに回る。

「この乗ってる氷だけなら、先に食べてもいいわよね? もう暑くてさぁ」
「あ、ずるいで雪子! そうやって、麺もさらうつもりやろ!」

「私はワンコみたいにいやしくないわ。あ、山形だしと、氷合うかも……! キュウリの浅漬け感がいいわね。歯当たりが最高よ、これ。一気に涼やかな気分!」

雪子がフライングをして、なし崩し的に食事が始まった。

ガリガリと氷を砕く豪快な音が鳴る。
だが思いのほか硬かったらしく、雪子が頬を歪ませ格闘しているその横で、ハチはその隙に、と色付き麺の確保へ乗り出していた。
こちらは、威勢がいいわりに、作業がちまちましている。まるでピンセットで分銅を掴むかのようだ。


静かだった朝が、一気に騒々しくなった。

恋時と苦笑いを共有してから、結衣たちも食事につくとする。

「朝にはちょうどよいですね。味噌だれも、攻撃的な辛さがないというか」
「あ、分かる? 少し蜂蜜入れてみたんだよね」

桃色のランチョンマットの前は、すっかり恋時の指定席だ。

それもそのはず。彼がここへやってきてから、早くも一つの季節が過ぎていた。

人気のない幽霊ボロ神社。

彼が来たばかりの頃、八羽神社はもっぱらこう揶揄されていたものだが、季節よろしく今は少し状況が変わっている。

最近はちらほら、参拝客の姿も見えるようになっていた。中には御朱印やお守りを求めたり、お祓いの依頼をくれるものもいる。

この間などは氏子総代のご老人がやってきて、変わりように目を細めていた。

「いやぁ、若い人がたくさんだ。これなら例大祭も、やるようにやってくれたらいいよ」

若干投げやりだったけれど、それはご愛敬である。

やっと見えてきた光明だった。

それは直接的には、依頼人だった竹谷未央が宣伝してくれた効果や、神社コンの開催による話題性のおかげなのだろう。

ただ、元を辿れば、どちらも恋時伯人のおかげに違いなかった。彼の商才は、たしかなものだったわけだ。

おかげさまで、春先には絵に描いた餅だった「大々的な例大祭の開催」も、残り一月に迫り、現実味を帯びてきていた。

仕事の合間を見つけては準備は進めており、また街中へ宣伝に行く用意もある。

そして変化といえば、こんなところにも。

「いくら美味しいからって、なにもあんなに奪い合いみたいに食べなくてもいいのに」

結局、三度も麺を茹でる羽目になった。

満腹と満足と引き換えに、やや疲労を残した朝食終わり、結衣は拝堂から外へ出る。

参拝客の目の前でやるのは、心証がよくなかろう。
入念に人目のないことをたしかめてから、屈んだのは賽銭箱の後ろだ。

参拝客が増えるのにあわせて、お金を入れてもらえる事が増えていた。

前はほとんど常に空で、悪戯なのか落ち葉が詰められていたりしたので、確認は気まぐれだったが、最近は毎朝確認することが日課となっている。

一礼してから、下部にある引き戸の錆びついた鍵を開ける。

「……あれ?」

なぜか、空っぽだった。

しかし少し記憶を辿れば、昨夕にも、お金を投げて手を合わせていた人がたしかにいた。そして結衣は昨日の朝以降、賽銭箱に触れていない。

思考がはたと止まって、その場でしばらく座り込む。夏にしては嫌な寒気が、背筋を抜けていった。

周りを見ず立ち上がったものだから、垂れていた鈴緒に頭をぶつける。がらんがらん、鈴の音が鳴った。

打った箇所に手を当てながらも、結衣は社務所へと走る。

「結衣さん、どうされました?」
「ねぇ、手提げ金庫どこにあるかな」

PCになにやら打ち込んでいた恋時に、食い気味に尋ねた。彼は、そうだそうだ、とその言葉を受ける。

「あれ、持たれていないのですか。ロッカーの中になかったので、てっきり結衣さんが持ち出されたのかと」
「ううん、そもそも開けてないし、知らないよ」
「……なんと」


どこかに入れ違えたのかもしれない。二人して、社務所内を捜索する。

何度も同じところをひっくり返すけれど、せっかく整っていた机の上が散らかっていくという二次災害に見舞われるだけ。

一応ハチや雪子にも確かめるが、両者とも目を丸くして首を横に振った。

いや、まさか。仮にも貧乏弱小神社だ。念には念をと、総出で家中を洗ってみたが、金庫だけが忽然と消えている。


どうやら、盗難にあったらしい。