「すっごくよかったわよ、婚活パーティー。素敵なものね」

恍惚とした表情で頬に手を当て、雪女の雪子はこう振り返った。

大福のように真っ白な頬を、熟れたいちごの如く染めて、対照的なまでに黒々しい髪をいじる。

「仲のいい感じがひしひし伝わってきて、側から見てるだけで、きゅんって感じよ!」

話の勢いに任せるように、彼女はアイスティーをほとんど一気に飲み干した。


そして、まるでお酒でも飲んでいるのかと思うほど、気持ち良さげに息を吐く。

少し、産毛がそばだった気がした。
実際、彼女がそこにいるだけで体感温度は二、三度変わる。

「雪子、もっとゆっくり飲まないとお腹下すよ。それに、これがなくなったらまた沸かさなきゃいけないんだからね」

前の席に座っていた結衣は、思わずこう口を尖らせた。

同時、紅茶の入ったボトルを彼女の前から取り上げる。
ついさっき二リットル満杯に入れたのに、もう半分もない。

「大丈夫。私、雪女なのよ? 冷たいものは身体の一部みたいなもんなんだから。沸かしてくれたら、すぐ冷やしてあげるから」
「またそんなこと言って。次は体調崩しても、仕事はしてもらうからね」

「うわ、結衣ってば意外と鬼よねぇ。というか。そんな厳しいことばっかり言ってたら、結衣を凍らせるわよ? うち、部屋全部だって氷漬けにできるんだから」
 脅しのつもりなのだろうが、もはや彼女が引きこもろうとする時の定番口上と化していた。むしろ、ジト目を返してやる。
「私は鬼じゃなくて宮司だよ。あと、それもう全然怖くないからね」

桜の降る季節は終わり、迎えた新緑芽吹く五月上旬。

先週ついに、雪女の雪子が自室から出てきた。引きこもりをしていた理由は、気温の上昇による体調不良などといった、同情できる理由ではない。

流行の少女漫画にどはまりしていたからという、俗っぽいものだ。

「なによぉ。最近はちゃんと掃除も、観葉植物の手入れもしてるわよ。それに、休んでた分、パーティーの視察にも行ったじゃない」

雪子は、不満げにテーブルに右頬を押しつけて倒れ込む。
たしかに行くことには行ったのだろうが、持ち帰ってきた話がこれなのだから、期待とは大きく外れていた。

「なんならもう一回行ってもいいわよ。何度見てもいいわぁ、あの受付をしていた殿方お二人の関係性! なんといっても、お互いをひっそり気遣い合う、空気感がよくてさぁ。って聞いてる?」
「……ねぇ、私は婚活パーティーの内容を見てきてってお願いしたと思うんだけど」

「だから、見てきたわよ? それをこうして見聞として広めてるじゃないの」
「雪子、ただただ自分の趣味楽しんできただけじゃんか……!」


結衣は、少し前の自分の判断を恨む。

朝ごはんを終えたばかりにしては、随分こってりした気分になっていた。あっさり卵サンドとカット野菜にしたはずが、付け合わせの世間話がトンカツよりも重たい。

「あぁ思い出すだけで幸せな気分になるわ……! 二人の連携プレーとかもあってねぇ。あっと、危ない危ない、水浸しになるわ」

彼女はとことんまで、ボーイズラブに目がないのだ。愛読書たる少女漫画は、『男子校恋物語』。タイトルからして直球の、男の子と男の子が葛藤し合う青春ものである。

パソコンでみている分にはまだいいが、本屋に買いに行かされる結衣の身にもなってほしい。
マイナーな本にいたっては、町中を駆け回って、やっと手に入れることもある。彦根の本屋店員の中で、BLハンターだとか噂されていてもおかしくない。


雪子の妄想癖は度を過ぎている。
しばらく見ないなと思うと、一人でに部屋で溶けていることもままあった。

比喩ではなく、興奮が度を過ぎると自分の体温上昇によって、実際に身体が溶け始めるのだ。

今も、顔から水滴をしたたらせていた。結衣は、すかさずハンカチを差し出す。

彼女は親の代から、八羽神社に住み着く妖だ。その習性は、もちろん結衣も理解していた。そのうえで、婚活パーティーなら大丈夫だろうと雨の日に送り出したのだが、これである。男女の出会いの場であるはずの場で、彼女は禁断の恋を見出してきた。

「どうしよ、もう今日から宣伝いかなきゃいけないのに」

結衣は、視界の端に映っていたお手製のチラシを手に取る。

そこにはカラフルな文字で、『八羽神社コン開催!』と銘打たれていた。神社コンとはつまり、神社で催す婚活パーティーのことを指す。

発案したのは、もちろん恋時だ。
縁結び神社の行う行事として話題性も収益性もあると、また目を円マークにして、自画自賛していたっけ。

「そう心配しなくてもいいわ。ちゃんと最低限の内容は見てきたから、安心して周知なさい」
「ほんとに? というか、本当は雪子に代わりに宣伝きて欲しいよ、私」

中身の腐敗具合はさておき。贔屓目に見ずとも、彼女は美しい。

透き通るような肌に黒目がちな目は、いっそ恐ろしいほどのバランスを保っていて、ふと真面目な顔をされると女の結衣でもどきりとする。

そういう場合は、ほとんどBLを語っている時なので台無しなのだが。

「無理言わないで。うちが人には見えないの知ってるでしょ。そうじゃなくても、直射日光が当たる場所には出られないし」

気は強いが、体は繊細な妖だ。暑さでも、BLでも彼女は液状化する。

「というわけだから、私はお留守番。だから、もう少しティータイム! もう一杯だけだから!」
「雪子って、変なところだけ見た目通り優雅だよね」

「変なところ、は余計だわ。ふ女子の嗜みってやつよ。どうせなら結衣ももう一杯付き合わない? ね、お願い!」


腐っている方の女子にしか聞こえなかったが、結衣は渋々ボトルを手に取る。

面倒くさいとは思いつつも、おかわりを注いでやろうとしていたら、

「もう四杯目やないか。さっきからずっとやん! いつまでも終わらんねんけど……」

ふて腐れ気味なハチの声が、洗い場から飛んだ。
スポンジを何度も握りしめて、粒の粗い泡を立てていた。その一つがシンクから飛び上がって、パチリと弾ける。

「僕の労働時間伸ばさんでくれる!?」

遠吠えするかのようなその一喝で、ティータイムは突如終わりを告げた。

「ふふっ」

古い襖の奥、恋時が吹き出すのが聞こえる。彼はとうに食べ終えて、定位置たる和室へと戻っていた。