午前四時、彼女が眠っているうちに、『無音』の曲を聴く。
共同生活が始まってから新曲の投稿は滞っていて『無音』に対する噂は、界隈内でより盛んなものとなった。

『有名な作曲家の裏活動だとしたら、亡くなったとかも考えられるんじゃない?』

 可能性を並べただけの考察が若干の信憑性を含んでいることが少し気になる、その言葉が彼女の目に触れていないことを願う。
懐かしい曲に浸る。『高嶺 咲夜』という人間を知る度に『無音』という存在と重なるものが見えてくる。
直接話したことはないけれど『無音』の曲は表情豊かで、その表情は全て真の感情からきている気がする。喜怒哀楽、その中間を捉える曖昧な心までを忠実に描くのが『無音』の曲。

「……早瀬君おはよ」

午前七時、彼女の声に慌てて画面を伏せる。

「高嶺さん……!おはよう」

不審そうな眼差し、隙をついた白い腕が伸びる。

「これは……違くて……」

 避けたい。僕が『無音』の曲を聴いている状況に直面して困惑するのは、きっと彼女だ。目の前で自分の創った曲を聴かれる、現代風の言葉を使うとしたら圧倒的に「気まづい」。

「別に、引かないから隠さなくていいよ」

「引く……?」

「早瀬君がそういうの見てても別に引かないから」

 僕は今きっと、壮大な勘違いをされている。

「そういうの……って?」

「私に言わせるの?」

 これは勘違いではなく、冤罪をかけられているも同然。

「いや僕は別にそういうつもりじゃ……」

「だから……余計な言い訳は要らないから!男子高校生ならそういう動画の一つくらい普通見るでしょ」

 彼女の脳内には今、『朝早くからリビングで欲を満たす僕』が完成されている。一刻も早く誤解を解きたい、ただ真実を伝えることも少し気が引ける……。

「早瀬君が黙り込むなら、勝手に失礼するね」

 伏せていた画面が顔を出す。

「高嶺さん、これは……」

「私の曲……聴いてくれてたの?」

 誤解は解けたが、その後に放つ言葉が見当たらない。

「複雑……だよね?自分の曲目の前で聴かれるの」

「いや、他の人がどうかはわからないけど……私は嬉しい」

「えっ……?」

 予想外の返答に戸惑う。

「私っていう存在を知った後でも、曲を愛し続けてくれていることが嬉しい」

 珍しく素直な『嬉しい』の後に、頬を赤め下を向く彼女が可愛らしい。

「そんなことより……私に変なこと言わせないでよ」

「それは、高嶺さんの思い込みでしょ……!」

 綺麗で完璧な『高嶺 咲夜』を描いていたが、僕が思うより彼女は普通の女子高校生だという事実に少し安堵する。

「どの曲聴いてたの?」

「ちょうど二年前に投稿されたこの曲、覚えてる?」

「これって……初めて投稿した曲じゃない?」

「そうそう、なんとなく原点に戻りたくなってね」

 イヤホンの線を抜き、空っぽな空間に澄んだ旋律を響かせる。
今とは少し違う曲調で、聴こえてくる『叫び』も違う。この頃の高嶺さんは何を思い、この曲を創り出したのだろう。初めて曲を生み出す瞬間、彼女の想いを形にする程の感情のきっかけは何だったのだろう。

「ねぇ高嶺さん」

「……ん?」

「高嶺さん自身が『無音』に出逢ったきっかけって何ですか?」

 きっかけを知ること、それが僕たちの形を創る始まりになるのかもしれない。