聞いてない、とはついぞ言い出さなかった。

カフェで本日二杯目のラテを飲んだあと、私たちは三人でカラオケ屋に行った。
友達とカラオケにくるのは、初めてだった。ドリンクバーでいれてきた紅茶を飲まないまま、まず二人が歌うのを聞く。胃がとっくに水っぽかった。

普段、私はあまり音楽を聞かない。私の番になって、選曲に迷いデンモクを何度も押したり戻ったりしていたら、二人が有名なものを見繕って一緒に歌ってくれた。デートではなくなったけど、これはこれかと思った。

何曲か回して場も喉も温まってきたところで、山田くんがドリンクバーに立つ。ちょうど曲間だった。
今宮くんは私と隣合わせ、同じシートに座っていた。室内の明かりは山田くんが恥ずかしいとの理由で落としてあって、すぐ近くの彼の顔がぼける程度には暗かった。

それが妙な雰囲気に思えて、唾を飲む。とうに氷の溶けたアイスティーを口にした。

「今日はありがとうな。映画といい、これといい色々振り回しちゃったな」
「……えと、楽しかったよ。私がお礼したいくらい」

「楽しんでくれたならよかった。俺も、久々によく遊んだって気がしてる」
「時間経つの早かったもん。もう六時回る。早いよね」
「え、もうそんな時間?」

今宮くんは突然、椅子を揺らして立ち上がった。
慌てた様子で、ポケットを探りスマホをとってくる。

「なにかあったの?」
「あぁ、そう、早く帰って弟のご飯作らないと──あぁいやなんでもない、家の用事!」

はっきりしない返事だった。

なおも、あくせく机や椅子を確認し、テーブル下まで覗き込んで、鞄を背負う。

「ほんと悪い! ごめん、急いで帰る。山田には適当に言っててくれない? あー、あとは、忘れ物とかあったら見ててくれたら!」
「え、ちょっと、今宮くん?!」

私は訳も分からぬまま引き留めんとするが、叶わない。彼が部屋を出て行くまで、ものの三十秒の出来事だった。なんだったの。
私は本日二度目、状況が分からないままぽかんとする。

「…………まさか門限七時?」こうひとりごちた。
「あれ、郁人は? 二階のトイレでも行ったのか」

山田くんが、メロンソーダを両手持ちで戻ってくる。
事情を説明したら、山田くんは長いため息を吐いた。そしてソファーに深々と腰掛ける。

「えと、よっぽど急ぎだったのかもしれないよ?」
「そういうことじゃない、ない」

「じゃあどういうこと?」
「栗原、誕生日だろ、今日。言えばよかったのに」
「…………言えないよ、自分から」

言いつつ、その通りとも思った。そう、私は今日で一七になった。知って誘ってくれたのかとひっそり期待もしていた。

「郁人の奴も知らないだけで悪気はないんだろうけどさぁ。実際、家の用事があったんだと思う。でもなぁ」
私は何も言えなかった。しばらくして、山田くんが口を開く。
「……あー、本当はこんな状況で渡すはずじゃなかったんだけど」

男の子としては長い襟足を掻きつつ、背にしていた掛け鞄を取ってきた。
そして小さな紙袋を机の上、コップの横に置く。ルピシアの紅茶セットだった。

「えっと、これ」
「待った。勘違いしないでほしいんだけど、本当は明後日、学校で渡すつもりだった。待ち伏せとかそういうことじゃないのは信じて欲しい。今日買ったんだ、ほんとさっき。改めて誕生日おめでとう。栗原いつも紅茶飲んでるから、誰かの二番煎じかもしれないけど」
「……ありがとう」

友達から貰う二つめのプレゼントだった。茉莉ちゃんから貰った時は、もうないと思っていた。今宮くんが帰ったことへの 戸惑いが立ち消えてしまうくらい、嬉しかった。

「せっかくだしハッピーバースデーの歌でも歌おうか。誕生日なんだ、最後まで楽しくやろうぜ」
「独唱のバースデーソングってはじめてかも」

「一緒に歌うか? でも本人が歌うのも変か」
「……ありがとう」
「何回言うんだよ」

家に帰ると、すっかり焼き上がったタルトと連日の豪勢な夕飯が私を待ち構えていた。両親に祝ってもらって、お父さんからは新しいティーポットを貰う。さっそく山田くんがくれたルピシアで紅茶をいれて、タルトを食べた。

部屋に引っ込む。

途端、昨日からの疲れがどっときて、吸い込まれるようにベッドに倒れた。天井の電球を仰ぐ。十七になった実感は全く沸いてこない代わり、胸の奥にはじわり靄がかかっていた。

結局振り出しになった。やっぱり分からない。今宮くんのことも、私自身のことも、分からない。
付き合う、ってなんだろう。好きとは一体どれのことをいうのだろう?

 昼間、一度簡単には答えが出ないからと考えるのをやめたはずなのに、私はまた考える。
とにかく、このままはどうにも落ち着かないのは確かだった。今に、この胸の内側がむず痒い感覚を除いてしまいたい。

スマホを見る。メッセージがくる気配はなかった。家の用事、と言っていたっけ。でも実は夜に別の遊ぶ約束があったとか。手がかりがまるでないから、想像だけが幾らにも膨らむ。

どうしようもなくて、誰かに相談したかった。ラインを開く。はるちゃんにメッセージを打ちかけて、やめた。はるちゃんは、なんとなくだけれど避けたい。
でも間違いなく今宮くんのことを一番知っているのは、彼女だ。迷っていたら、携帯の画面がにわかに黒へ切り替わる。

「出るの早すぎ。驚いた」

茉莉ちゃんからの電話だった。

「ごめんね。ちょうど携帯見てたから」
「いいって。むしろ嬉しい。暇ができたからかけちゃった。誕生日おめでとう。今日どうだったの、バースデーデートは」
「あの、聞いてもいいかな」

茉莉ちゃんなら、と思った。