手洗い場の鏡で自分の情けない顔と対面して急に冷静になる。
とんだ迷惑をかけてしまった。こんなことでは、それこそ帰ろうと言われても仕方がない。ウェットティッシュで服を叩きながら、自分にため息が漏れた。
せっかく楽しかったのを台無しにした。勝手に話を振って、勝手に自滅。どうしようもなく、すべて私のせい。
こんな私のどこがいいと言うのだろう、今宮くんは。
吐く息だけが延々と垂れ続けてきそうだった。
汚れはどうしても落ちきらなかった。やり方が悪かったのかもしれない、薄くはなったけれど広がってしまった。けれどあまり待たせるのもよくない。最後、鏡に向けて笑顔を作る。帰るにしても、最後は笑顔でと思った。汚れが目立たぬよう、セーターを羽織って出ていく。
覚悟はあった。まず頭を下げたら
「気にしないで。それより、次は映画でも見ない?」
こう提案された。拍子が抜けた、帰るつもりはなかったらしい。
運よく席は空いていて、時間帯もちょうど都合がよかった。特にこだわりもなく、流行りのミステリーものを見る。話が始まってから、気を遣ってくれたのかな、とようやく気づいた。暗いところなら、汚れた裾も見えない。
もう確かめるまでもないのかもしれない。彼は私のことを十分に考えてくれている。ならばあとは、私の方だ。
ミステリーの本筋とは別、主人公とヒロインがデートへ行くシーンが頭に残る。好きがどういう気持ちか、私はまだ分からない。
好き合って付き合って、見ているだけなら当たり前の営みが自分のこととなると難しかった。
今宮くんのことが全く気にならないわけじゃない。他の誰かと仲良くしているところを思うと、胸がじんと痛む。でもそれがどこからくるのか、それが分からない。
話には、まるで集中できなかった。それでも感想を言い合いながら、疲れたねとモールに隣接するカフェに入る。
「なに。デート? タイミング悪いな~、俺」
そこで思いがけず、窓際の席に座っていた山田くんに会った。二人席の机の上、見慣れた歴史の問題集が広がっている。近場だから知り合いに鉢合わせることもあるとは思っていたけれど、ここまで身近な存在にとは考えていなかった。
「へぇ山田、カフェで勉強なんかするんだな。見直した」
「おう、見直せ。って、その前にどこ見損なった?」
「最初から評価してたとは言ってないだろ」
今宮くんは人懐こく笑い冗談を飛ばして、
「えっと、どうする? せっかくだし話してく?」
私に聞いた。
まだ最後の目標を達成できていなかった。
とはいえ、ここで断れば山田くんを傷つけることもあるかもしれない。それに一朝一夕に答えが出るものでもないと今日一日を通して思い始めてもいた。いいよ、と答えて隣のテーブルを寄せてくる。
今宮くんは、コーヒー買ってくると言い残してレジ列へ向かった。私もと追おうとしたら、パチンと音がする。山田くんが私に両手を合わせていた。
「ごめん、ほんとごめん。邪魔したな。俺、早めに立ち去った方がいい?」
「え、いやいいよ! 先にいたの山田くんだし」
「実はもう三時間くらい居て、店員に目つけられてる。さっきから何回も水入れにくるんだ。それに、郁人って案外鈍いから言いたいことは、はっきり言わないと気づかないかもよ」
「本当全然いいよ。むしろ会えて嬉しかったくらいで──」
言い淀んで、途中私は少し黙ってしまう。
言葉に嘘はない。
けれども、けれど。
付き合い始めてからは特に多い気のする逆説が頭に浮かぶ。
「嬉しい、か。そうか、そう。なぁ。俺ってそんなに馬鹿っぽい?」
すると山田くんは突然に聞いた。
「んー、意外と真面目だよね。順位いつも高いのは知ってる」
「意外と、って意外か……。そうか、真面目はキャラじゃないか」
「いいことだとは思うけど」
今宮くんがアイスコーヒー片手に戻ってくる。なにの話をしてたのと聞いた彼に、山田くんはにかっと歯を光らせた。
「後でカラオケ行こうかって話してたんだ」
え。そんな話はしていない。けれど言い損ねて
「あれからはまったアーティストいてさぁ。歌いたいんだよな」
「なに、今度はどんなの。またメタルロック系? 意外にJ-POPとか」
「全部、外れだ。わりとオルタナ。ちなみによく意味は分かってないから聞くな。で、どうよ?」
私は驚かされ放しだった。ついさっきまでと言っていることが、百八十度ひっくり返っている。
それでも、くしゃっと崩れた表情には悪意も嘘もなさそうだった。
「俺、馬鹿だからさ。無料券の期限近いの忘れてたんだ、今思い出したんだ」