四
前のクラスの劇が終わって、司会がミニコントで場をつなぐ中、俺たちは照明をつけても薄暗い壇の裏手で待機をする。もう本当の直前だ、やれることは少ない。あとは個々の調整である。
平常心を保つためか雑談に興じるものも、最後まで台本に目を通しているものもいた。
「こう見ると、やってきたもんだよなぁ」
「山田、それ昨日と全く同じこと言ってるの気づいてるかー」
「おう。でも、感じ方は違うな。ここまできて変な話だけど、明日以降もこうしてたい、ってちょっと思ってよ」
「まぁ言いたいことは分かる」
いよいよ、本番だ。それはこの二ヶ月にピリオドを打つということでもある。その実感は、まだ乏しかった。
明日からも、今手に握っている台本を持って、放課後の教室に残っている気がする。はると栗原さんとこれを作ったのが、随分昔に思えた。改めて見ると、これも書き込みだらけ、いつの間にか皺が寄って随分汚くなった。
感慨とも寂しさともつかぬものを胸に覚えながら、俺は全体を見渡す。青木の姿が目に入った。どことなく晴れやかな顔で、高橋さんと笑い話をしていて、ほっと胸を撫でた。
「そろそろ頃合かな」
山田は腕組みしてそう呟くと、一人で首を何度も縦に振る。
「なにが。トイレなら先行っとけよ」
「ちげぇ。とにかく構えとけよ、郁人」
彼は右手を高く振り上げて、集合、と声を張り上げた。部活仕込みなのだろう、よく通った。もしくは外まで聞こえたかもしれない。クラスメイトがわらわらと塊になっていく。それを山田は円形に整えて、
「じゃ、あとよろしく〜、気合の入るスピーチ頼んだぜ、副委員長」
俺の尻を叩いた。なるほど、やってくれるものだ。一転、注目の的になる。
山田はしたり顔で、俺の左肩に手を回した。俺も隣にいたクラスメイトの肩を空いた右手で寄せる。自然、クラスが一つの輪になるのを見計らってから、咳払いを一つ。
「ご紹介に預かりました、今宮です」
狙い通りに笑いが起きた。知ってるよ、などと愛のある野次が飛ぶ。
「ついに当日です。立場上、代表しますが、みんなが協力してくれたおかげでここまで来られたと思っています」
「主に俺とかな」
「うるさい山田、せっかくいいところなのに。本当は一人一人に感謝をしたいところですが、とりあえず後にします。とにかく、今日は全員で絶対成功させましょう」
名文を考えるほどの時間はなかったが、すんなりと舌が動いた。
そして、そのうちの一人であれたらいい、と心底思った。
あとは締めを待つのみ、といった雰囲気だったけれど、
「じゃあ最後は、栗原さんで」俺はちょうど真正面にいた委員長にバトンを繋ぐ。
「えっ私?」
彼女は想定もしていなかったのか、素っ頓狂に高い声をあげた。
反対は、一切なかった。当たり前である。ドレスを揺らして、おどおどする栗原さんの背中、を青木がとんと叩いた。
「適任ってことだよ、委員長」
彼女は意を決したように前を向く。衣装が膨らむくらい息を吸って吐いてから、言葉を紡ぎ始めた。
「……私は最初、自分勝手な理由で委員に立候補しました。正直向いてるとは今も思ってない、主役の立場も。だから、そのせいだと思うんだけど、全然うまくいかないこともたくさんあって、辛いことも苦しいことも本当たくさん。
でも、今宮くんにも茉莉ちゃんにも山田くんにも支えられて。もちろんみんなにも。今は純粋に、委員を、主役をやれて良かったと思う。こんな私ですけど、最後までよろしくお願いします!」
頭を下げたその姿は、立派すぎるくらいの委員長に映った。もう自己紹介で我を失ってしまう彼女はいない。
「えっと掛け声は──」
「二の五、ファイト、オー、でいいんじゃないかな」
青木の提案にも、異論はなかった。
頭を下げて、円の直径を縮める。俺は、はるの分もと、台本をその真ん中に掲げた。蒸れた人の匂いがする。身体が火照っててきて、高揚感が沸き起こった。たぶんその場の全員が同じだけの熱量を持ち合わせていた。いわば感情の塊。
「二の五、ファイト、オー!」
それが一つになって、狭い空間に弾けた。
劇が始まる。それは掛けてきた時間と比して、あまりに短いものだった。
山田や栗原さんが堂々と演じるのを脇から見守る。大きなアクシデントは起きなかった。小さな事件は、青木がフォローしてくれた。
ついに出番が巡ってくる。
「二人ともそんなに仲良かったっけ? でもそっか。数ヶ月でも変わるんだ。五年もあったら当たり前か」
間違えたわけじゃない。その方が、すんなり行くと思ったのだ。
袖にはける。青木に「いいアドリブじゃん」と茶化された。
あれよのうちに、ラストシーンを迎える。
銀杏の木は、栗原さんと山田の後ろにどっしりと構えていた。フェイクのキスが交わされる。
「五年後の自分は、ご自身の目で確かめてください」
ナレーションによる最後の台詞まで決まって、終幕となった。