三
いつからか夜に目を瞑ると、灰色のカーテンが降りてくるようになった。
それは、弱々しく常に揺れてちらちらとまぶたの裏をくすぐる。
気にしなければなんでもないのかもしれない。
でも、そのせい、夜はよく眠れなかった。寝られないから、毎夜のように猫の動画を漁った。そして朝になる頃には、とりあえず布団から這い出して学校へ行く。
ゼロとマイナスの間を揺れ動いていた。立て直せないほど、下にぶれるわけでもないけれど正にはならない。
高校一年生。私は絵に描いたような劣等生だった。
そもそも定員が割れたおかげで入学できた。なにの対策もなく春に受けた実力テストは順当に学年最下位、そのくせ授業は睡眠不足で居眠りを毎時間のように繰り返す。
酷い日は、母が家にいないのを見計らっては、適当に言い訳をつけ早退までした。義務教育ではないからか保健教諭も雑で、風邪気味だ生理だと適当言うと熱もないのに帰してくれる。こりゃあいいと、週に一度は利用していた。
日に日に周りから置いていかれた。自習をしようにも、分からないばかりが渦を巻く負の連鎖。かと言って、ノートを見せてくれるような親しい人もいなかった。
人間関係が面倒になるのが嫌で、付き合いは最低限にとどめた。自分と他人は別物だ。相手と親密になれるかは、その差を理解する努力にかかっている。私は、その一切を意図的に怠った。それでは声をかけてくれる子はいても、仲良くはなれない。昼は一人で、好きなブランドのブログを見て過ごすことが多かった。
ただ猫と洋服を見ているだけ、ぼんやりと過ぎていくのが私の一日だった。
とはいえ、見ていたら欲しくもなる。
猫はその辺りで会えるからよかったけれど、ブランド服は高校生には到底手が届かない代物。マッチングアプリを始めたのは、端的に稼ぎになるとネットの検索で引っかかったからだ。実際会ってみると、身の危険は幾度かあったけれど、簡単にお金は手に入った。
割もいいとなれば、もうバイトをする気にはなれない。そのうえ、日頃覚えていた寂しさを紛らわすにもぴったりだった。自分から人を避けておいて、本当は誰かと繋がりを持っていたかったのだ。
二年生になっても、同じスタンスでいるつもりだった。それどころかこのまま高校を辞めることまで考え及んでいた。しばらくは今みたく男を転がして遊んで暮らして、老けてきたところで手頃な人と結婚すれば、女は学がなくとも不自由することはない。
進級をしたのは、惰性と担任に個別面談を課せられたあとだったから。そこに明確な意思はなかった。
しかし、そんな私の歪んだ平穏は新学年が始まって早々に崩される。
一度めの席替えで、
「これからよろしく〜、青木だっけ? 俺、山田。ヤクルトスワローズみたいだなぁこの並び、って分かんねぇか。あだ名とかあんの」
「ない」
「ないなら、青木だな。というか、いい席じゃね? この席。後ろの方だし」
うるさいやつの隣を引いた。
無視をすることに決めて、話しかけてくる全てを愛想なく受け流す。
それでも構ってくるから、終礼の挨拶が終わるのとほぼ同時、私は席を離れた。その時、
「えっゴディバじゃん。一つくれよ……って言えねぇな、言えねぇわ。なに、チョコマニアなの青木って」
床にチョコのケースが飛び出した。焦りから鞄のチャックを閉め忘れていたようだ。山田が拾い上げて差し出してくる。たまたま前日に会った社会人に貰っていたものだった。私は奪い去るようにして、教室を出る。
「なぁ青木のやつ、高いチョコ持っててさ──」
後ろから山田が誰かに話すのが聞こえた。最悪、これだから馬鹿は嫌いだと思った。
しかしそんな私の嫌悪感はいざ知らず、次の日からも山田は懲りなかった。それどころか前の席にいた今宮をも巻き込む。彼もまた厄介だった。望んでもいないのに、休み時間になると当然のように椅子を後ろに向けるようになる。
見るからに大人しそうだった一果にも、二人は同じように介入していった。
三人の作る間が苦手だった。
仲良くなるための、作りものの楽しそうな雰囲気は、父親がいた頃の家のそれと近似していた。裏ではいがみ合っていたのだろう両親も、私の前では笑顔を絶やさなかった。
ある日、私はついぞ限界を迎えた。四限が終わると、誰にも声をかけず保健室へ向かう。貧血だと言って、早退承認書を書いてもらった。
母が家にいる日だった。
学校にも居たくなかったけれど、帰りたくはなかった。
そんな時に限って、誰ともマッチングしない。昼は三十分に一本のバスをベンチで待っていて、道端にぶち模様の野良猫を見つけた。川沿い、下流の方へ続く道をたまにこちらを振り返って歩いていく。誘われた、ような気がした。
知らない、細い道を通る猫の後を追うと開けた公園に着く。とんがり帽子の屋根が特徴的な、滑り台が真ん中に据えてある、寂れた場所だった。猫が数匹、砂場で戯れているだけで遊ぶ子どもたちの姿はない。
春うららの陽気だった。
藤棚の下に置かれていた長椅子に寝転がって、私はそれを眺めていることにした。学校の席よりは、ずっと気持ちがいい。うたた寝をしてしまって、気づいた時には夕方になっていた。はっと荷物を取られていないか、と辺りを振り見る。
「よく寝てたなぁ。顔にいたずら書きしようか迷ったよ」
目の前に、今宮がいた。