「お前、昔俺が部活のボーリング大会優勝したの忘れてんだろ。あの時、一等のたこ焼き機持って帰ったの俺だからな」
何ゲームも、腕が腫れるまで投げ続けた。スコアを気にもかけなくなった頃、
「もー無理! こんなやったら腕なくなる~」
芹奈がソファで天を仰いで言う。
男二人はたまたま席を外していた。順番を示すランプは俺の名前の横で点灯していたが、正直限界を迎えていた。向かいのソファで同じく転がる。
「このあと、結衣に会うんだっけ?」
「誰それ」
「洋輔が紹介する子。なに、名前も聞いてなかったの」
「聞いてない。そういえば前情報、ほとんどないな。そもそも洋輔とはどういう関係? 芹奈も知り合いなの」
「せりは、昔少し話したくらい。塾が一緒みたい」
「へぇあいつ塾なんて行ってんだ」
「気にするのそこ? ねぇ本当は大した興味ないんでしょ、顔に書いてある」
「そういうのは顔見てから言えよ」
俺は話を切り上げて、目を瞑る。
芹奈は変に鋭い。でも間違っている、自分の思いを紛らわせたい、動機は不純かもしれないけれど予定を入れる程度には関心がある。
上まぶたの裏が痒かった。抜けた髪が入ったかと、目を開ける。なぜかすぐ真上に、芹奈の顔があった。小麦色の肌に、落ちた髪が影を作っている。
「え、なに」
「顔見ろって言うからさ。見てたの」
「意味が違ぇ。それに、今あいつら戻ってきたら勘違いされるぞ」
「それはそれじゃない?」
押し引かれた黒のアイラインの中、一重の目から意図は伺えない。
「お前らなにやってんの。あー、……そういうこと?」
言ったそばから、コーラ缶を片手にした徹が帰ってきた。芹奈が離れる。もわっと女の子特有のどろりと甘い匂いがして、反射的にどきっとした。
「そんなわけない。予行演習だよ、山田ってウブだからさ。せりが、結衣に会う前にリハしてやったの」
「そういやそうだった。桜田とはキスもせず別れたんだっけ」久しぶりに、元カノにして初の彼女の名前を聞いた。
「そうそう、意気地なしだから。でも、こりゃだめだね。なにも変わってない」
「なんだ相変わらずか~」
「待て。会って初日で向こうから覆い被さられるって、どんな状況だ」
反論は、しかしあっさりと聞き流された。
そこへ洋輔が電話を締め上げながら戻ってくる。
三人はにわかに身支度を整えだした。件の結衣ちゃんが、用事を終えてもうすぐ着くと連絡をしてきたらしい。邪魔にならないようもう帰ると言う。
てっきり仲合を取ってくれると思っていた。引き留めるが、聞き入れてはくれない。
「ま、経験だな。本当に困ったら言えよ、話題くらいは提供してやる。一応、俺の紹介だしな」
お金だけを置いて、立ち去っていった。芹奈が最後、耳打ちをする。
「さっきの本当は予行じゃないから。せりにしてもいいんじゃない」
ますます訳が分からなくなった。
処理能力の限界を超えて、呆然としてただ座る。たまたま他のレーンは全て空いていた。虚しく機械案内だけの流れるボーリング場は、ただいるだけに最適だった。微睡みの淵で堪える。いよいよ頭をソファの手すりに預けたとき、奥のレーンに一人の女の子がいるのを見た。
スマホと吊るされた画面、首を行ったり来たりしている。足元に注意を払えなかったのだろう、コードに足を引っ掛けて躓いていた。
「もしかして、えっと結衣ちゃん?」
違ったら、とは思いつつも声を掛ける。
そこまで他人に無関心にもなれなかった。彼女は顔を真っ赤にして起き上がってから頷いた。
「山田くん、だよね?」
「そう、山田。山田爽太郎」
「よかった、会えた! 私、野中結衣って言います。というか、いきなりお恥ずかしいところを。私、目が悪くて」
彼女はロングスカートの裾を払って、しわになった部分を伸ばす。しかし、
「……まだ埃ついてるけど」
「えっ、最悪!」
もう一度スカートを素早く叩いて、野中さんは俺の方に少し顔を上げた。
おろした前髪の間、丸い目と視線があう。照れが上ってきてすぐに逸らした。無駄にスコア画面に手をかける。
化粧の加減なのだろうか、写真で見るよりずっと可愛かった。ゆるりと外に巻いた髪が、細長い顔をきりっと強調している。そしてスタイルは聞いていた通りで、ゆるめの胸元は努めて見ないようにした。
「ずっとボーリングしてたの?」
「あぁ、うん。さっきまで洋輔たちといたから」
「じゃあもう投げないでカフェとかご飯行っても大丈夫だよ」
「気遣わなくていいって。せっかくシューズ借りてきたんだしやっていこうぜ」
「ありがとう、本当は少しやりたかったかも」
彼女は、どこか似ていた。塗られたネイルや服装は、ずっと垢抜けているけれど、持っている雰囲気は栗原に近しい。
「よかったら教えてくれない? 私、こういうの得意じゃないんだ」
ボーリングは、雑談をしながら三ゲームだけやった。初めは遠慮の仕合いだったけれど、時間が経つうちに打ち解ける。
もともと話は得意な方だ、洋輔に頼るまでもなかった。
その後は、少し歩いて国道沿いのカフェに入った。十時を回って、未成年だからと店を追い出さるまで懇話をした。宝塚駅まで見送る。JRの改札前、電車が来るまで立ち話をして、また会おうねと口約束を交わした。
自転車を家の方へ押して転がす。うまくいったはず、不確かな手応えが残っていた。しかしそれよりはっきり、チェーンが歯車を外れかかるようなずれた感覚が付き纏っていた。ボーリング場でうつらうつらとしていた時からずっと、ちょうどこの愛車のように。
野中さんと過ごした時間、俺はなにを考えていただろう。
うまく思い出せなかった。少し前、自分がしていたとは到底思えない。ふらふらと、理由なく歩いた。
コンビニに入り雑誌を立ち読みして、コーヒーを買った。夜風に当たっていたい気分だった。
自然、足は河川敷へ向いた。