この無意味な思いを振り切りたかった。郁人が、たった一言でも栗原を好きと言ってくれればあとはどうにでもできる。
郁人と真面目な話をすることは、これまであまりなかった。適当なことを振っては、合間に考えを巡らせて
「最近、伏見とは会ってるか」
「はる、と? うーん、まぁ少し前に会ったよ。それがどうかした?」
「最近、バンドのCD貸してって連絡あってさー。」
「へぇ、まだ連絡取ってるんだ」
郁人は、伏見からの告白があったことを秘密にしているらしかった。
俺は、本人から直接聞いていた。背中を押された、なんて礼と一緒に丁寧な報告があった。
フェアじゃないと、わざわざ栗原に「郁人が好きだ」とメールで告白(・・)してから、郁人本人にも告白したらしい。振られてしまったようだけれど。
まどろっこしいと思った。幼馴染への気遣いは分かるが、隠されるのは気分がいいものではない。
「なぁ聞いた。伏見に告られたんだろ」
「え、どこでそれ聞いた? はる、自分で言ったの」
「そう、前に話す機会があったんだ」
「うん、された。断ったよ、正直言って考えられる状態じゃなかったから」
「それって」
名前を出す前、先に郁人が口を開いた。
「別れたすぐだったんだ。その日の朝、電話で振られた。明日から元どおりになろうねって」
「なってねぇじゃん」
「なってない。ごめん、青木と山田には迷惑かけてるな」
「……いいよ、それくらい」
そもそも自分たちのせい、と言えないのがもどかしかった。その贖罪も果たす必要がある。聞くなら、今しかないと思った。順序的にも自然だ。
「はるのことは、どう言っていいか分からない。でもすぐにどう、とかはないよ。ずっと近くにいたから、好きとか何周も通り越してる。今さら分からないのが本音だ」
しかし、郁人の話は淀みなく途切れなかった。いつになく饒舌だった。気づけば、水の音は止んでいて、皿洗いは終わったらしい。
俺は充電がある程度されたことを確認してから、コードを抜く。こうなればとことん付き合うつもりで、ベランダに出た。壁に掛けてあったパイプ椅子を組んで座る。
郁人と打ち明け話をするのは、新鮮だった。てっきり疎いと思っていたから、下世話な話は、これまで避けてきた。目的を忘れてしまうくらい、楽しい時間だった。
しかし、それも終わりはくる。
「山田は告白されたらとりあえず付き合う人?」
「いるよな、お試し派。経験がないけど、俺はまずない。これで純情なんだ。郁人はどうなの」
「俺は、どうだろう。俺もないな。いや俺はいいんだ。栗原さんはどうなんだろうと思って」
一言で、潮目が変わった気がした。
「栗原さんは俺のこと、たぶん好きじゃなかったと思うんだ」
「……なにを根拠に」
「そういう風に感じたこと、なかったからさ。それじゃあ意味ないってことだな」
なぜか途端に、夜風がシャツ一枚では冷たく思えた。
下の庭では、親父がたばこを吸いだしたらしい。こだわりだと言う外国産のたばこは、独特の匂いで酔いそうになる。そのうえ飼っている犬が吠えだすから、受話口に耳を当てたまま、俺は部屋へ引きさがる。
扉を閉めると、無音が待っていた。風も、室外機の音もない。残るのは、郁人の声だけだった。
「俺、栗原さんを好きになって告白したわけじゃないんだ」
だから、聞き違えるわけがなかった。それでも、え、とわざとらしく言うともう一度繰り返された。
舌の付け根が酸っぱい、声が遠くなっていく。
「……そうかよ」
自分の声さえもどこかへ紛れてしまうようだった。
全部、初めから無駄だったらしい。計画も、時間も、俺の栗原への想いも。
腹から力が抜けて、クッションにへたりと座り込む。生気を失ってしまって、一言、絞り出すのがやっとだった。
「わりぃ、用事できたから」
血の通わぬ親指で、電話を切った。