七
文化祭当日は、朝から雨だった。
ちょうど秋雨前線が関西一帯にかかるとかで、予報では、昼にかけて雨足が強まるらしい。
グラウンドや外で展示を行う予定だった学科は、小雨の降る中、一部を屋内へ引き上げたりテントを張ったりと登校早々から対応に追われていた。はじめから室内展示の漫画科も、準備事項は増える。私も、宣伝用に画用紙で手作りした看板へラミネートを施すなどして、忙しく動き回った。
芸術学校ならでは、なのだろう。文化祭はそれぞれの学科によるアピール合戦だ。雨の中とはいえ宣伝を欠くと、人足を簡単に持っていかれる。とくに漫画は、手に取って見てもらわなければ始まらない。通りすがるだけでもインパクトのある絵画や写真と比べると、そもそも不利だ。
午前中、私の当番は宣伝係だった。九時、開門してすぐに、私はかっぱ姿、校門前で声を張り上げる。志願のこの場所だ。漫画科は比較的内気な人が多い。目立つこの場所は、みんなが是非にと簡単に譲ってくれた。
願い出た理由は、もちろん郁人に気づいてもらうため。
来る時間は昼前と聞いていたけれど、早くに会えるに越したことはない。
それに、大変な役回りだから、とこのポジションは昼休みを長めに貰えることにもなっていた。まさにおあつらえ向きだ。
どんな順番で回るかまで計画を立ててあった。最後に、私の漫画を見てもらう予定だ。
たまたま近くで宣伝していた友達とたまに話しながらも、私は来場者をしきりに気にする。もし万一見落としても、気づいて貰うため、声を張った。
そして、彼はやってきた。
「似合ってんじゃん、かっぱも」
「褒めてるつもり? 嬉しくないよ、それ」
一人だった。もしかしたら、いっちゃんもと思っていたから、ほっとした。
もしかして彼氏? と、盛り上がる友人たちを牽制しつつも、私は宣伝の役割を交代してもらう。
湿気で畝る髪をといだり制服の皺を伸ばしたり、懸命に身なりを整えてから、再度郁人の前へ出ていった。
会話を楽しみながら、二人で校内の展示を見て回る。郁人は、お祭りならではの派手な演出に興奮しきりだった。
私は楽しみすぎないように抑えていた、主題を忘れないように。
そしていよいよ、漫画科の部屋へ案内をする。室内は電気が点るだけ、誰もいなかった。
「雨だから人少ないのかな」
「そうかも。去年より絶対減ってる」
「残念だな。見てもらえる人、多い方がいいだろ?」
言う通りだ。けれど、今ばかりは人出が少ないのが、好都合だった。
二人きり、誰にも邪魔をされないで済む。
「まぁね、でも天気ばっかりはどうしようもないよ」
人が来ないよう、背中の後ろ、扉に鍵をかけた。
ルール違反だけれど、少しの間だけ許してほしい。
郁人が机の上に並べられた自作の漫画たちの表紙を眺めていく。ふっと手に取ったのは、バトルものの漫画。アクションだけではなく失恋と絡めてあって、私も結構好きな作品だった。面白いよね、と感想を言い合う。
その間も、私はずっと焦れていた。肌の裏がむず痒い、踵が床につかない感じがする。一人それと戦っていたら、読み終えた彼がようやく顔を上げる。
「はるのは? 見せてくれよ」
ついにその時がきた。私は自分の漫画を取ってきて、彼に手渡す。
緊張で少し手が震えていた。彼が読み始めると、静かな教室には雨がほつほつと鳴る音だけが響いた。
タイトルは、『スプートニク』。
物語の締めは、結局こうした。
今に近づいたある日、彼は好きな子ができたと彼女から離れていく。
彼女はそこでようやく気付いた。
彼がいなくなったと思ったのは、自分の心の不安から生まれた現象であることに。時間が今に戻ってくる。
部屋を訪ねると、変わらない彼がいた。敵わないのかもしれない。ずっと見初められないまま、終わっていく定めの恋なのかもしれない。でも女の子は伝える。
好き、と。
最後のページを閉じて、郁人が顔を上げる。
迷いを断てたわけじゃない。相変わらず過去は失いたくない。けれど、どうせもうただの幼馴染ではいられない。
「好き。郁人のことが好き」
言った。初めて(・・・)、伝えた。