結局、なにも解決しないまま。ついにどうにかする気さえなくなって、スマホを手にする。することもなく習慣でインスタグラムを見ると、また山田くんがストーリーの投稿をしていた。
文化祭の劇で主役に抜擢されたらしい。
それもヒロインは、いっちゃんだと言う。
キャラ設定をした一人だから、面白い配役だと思った。
主人公は見栄っ張りで、ヒロインはいわゆるマドンナ。山田くんはピッタリだが、いっちゃんはイメージとは正反対だ。
一緒に投稿された写真にはクラスメイトがたくさん写っていた。端には郁人もいる。会わないうちに髪を切ったみたいだ、襟足が短くなっている。
変わらず帰りが遅いらしいのは、壁を挟んだ先が彼の部屋だから、意識せずとも気配で分かっていた。
調子どう、それくらい聞いてもと思って、私から送ってばかりのメッセージ欄が目に入る。やっぱり、やめた。
代わりに山田くんに連絡をする。
『主役なんだね! よく合ってると思う。でも、大根役者なのに大丈夫?』
中学時代のひどい演技ぶりを蒸し返して、からかってやった。すぐに返事があって、短い間隔でやり取りをする。なにも言っていないのに、
『伏見がシナリオ作成手伝ったんだって? 郁人から聞いた』
郁人のことが話題に上がった。たぶん、私と言えば、でつながったのだろう。
『初めて作ったけど、伏見が監修だしたから大丈夫だって、胸張ってたよ』
『監修なんて大げさなものじゃないって。それに、ラストは私も知らないもの』
やり取りをするごとに、郁人と話したいことが溢れてしょうがなかった。
褒めてくれるのは嬉しいけど、私はなにもしてないよ。
むしろ私が行き詰まってるから漫画の脚本してほしいな。
うまくいったら、そのまま二人でデビューするのもいいね。
今日は懐かしい写真を見つけたよ、小さかったね、郁人。
毎日遅いけど体調崩したらだめだよ。体調崩す前に言ってね。
それから――たまには会いたい。
勝手に待ち伏せして、勝手にやめたくせに、私はどこまで勝手なんだろう。
でも、わいて出てくる。共有マンションの壁一枚、たったそれだけ先に伝えたい言葉がたくさんあった。
『好きだろ? 郁人のこと』
それがなぜか山田くんには届いたみたいで、笑えた。
そう、好き。
思うまま返事をしてから、まずったと思った。
山田くんは、いっちゃんの友達でもある。こんなことを言っても困らせるだけかもしれない。言い訳をしようともう一度スマホを手に取ると、小さく震える。
『最近、夜遅くまでやってるな。あんまり根詰めすぎんなよ』
予想もせず、それは郁人からだった。
衝動的にトーク画面を開く。しばらく眺めていたら、反応早いな、と継がれて、
『はるが頑張ってるから、俺もそれなりにやってるよ』
こう続いた。
山田くんが、連絡するように言ったのだろうか。
いいや、そこはなんでもよかった。
短い一文で、たったそれだけで全ての思いが報われた気がした。
少し会話をする。文化祭に来てもらう約束をして、一繋がりのやり取りが終わった。もう少しと思ったけれど、郁人が私を見てくれていた、その事実だけで私はもう満たされていた。
スマホを手離して、深呼吸をする。熱くなった胸の内を冷ますためだ。それから机を片して、埋もれていた日記をつけることにした。郁人から連絡があった、ようやく書ける出来事が起きた。
『九月三十日、郁人が私のことを案じてくれていた。久しぶりのメッセージだった、本当は声も聞きたかった。顔も見たかったな。でも、嬉しかった。今日も、私は郁人が──』
筆が止まる。
不意に文字の上に、しずくが落ちるのに気づいた。はっとして目元をぬぐう。
私は泣いていたらしかった。
なぜかは分からない、ただとめどなく溢れてきて、やまない。一滴、一滴垂れては日記帳のうえではじける。そのごとに、郁人への思いが溢れ飛んでくるようだった、流れれば流れるほど熱くなって。
好き。思いの分だけ落ちた涙は日記帳を湿らせ、小さな窪みを作る。たまったそれはやがて一筋の線になって、下に敷いていた紙ネームにも伝った。
原稿にインクがにじむ。
最悪、何日もかけたのに、やり直しだ。もうやめなければ。思っても、涙は滴り続けた。
スマホに通知がある。今度は山田くんからだった。
『俺も。俺も郁人のこと好きだ』『あ、友達としてな!』
泣きながら、笑えた。
負けない、山田くんにも、いっちゃんにも、誰にも。私の方が郁人が好きだ、それなら胸を張って言える。
少しすっきりとした。涙がやんでから、私は原稿に向かう。新しい用紙にまずは枠線を引いた。
もしかしたら、はたくさんよぎる。過去への憧憬も後悔も尽きない。
でも今ここは、私のいるこの環境は郁人が導いてくれた道だ、やりきらないでどうする。転んで泣いたって、憂鬱でも走り抜けてやる。才能のあるなしは関係ない。そうだ、それでいい。そして、思いついた。
言ってしまえ、いっそ。
作業がひと段落してから、私は決意を持って、迷わないよう努めてメッセージを打つ。一文字一文字に想いを乗せて、
『私は郁人が好き』と、そして送信した。
それから私は新しい紙に一筆目を下ろす。終わりの見えない渦のような思考に光が見えていた。