卒業式の日に、ここに挟んだのだった。我ながら雑、けれど一応学年ごとに束になっていて変な律儀さもある。

一枚目から、郁人ばかりだった。入学式に校門前で撮った写真は、まだ背の低かった郁人の頭に私が手を載せていた。一年生は別のクラスだったのに、何枚見ても郁人が写っている。部活のメンバーで、バーベキューに行った写真もあった。

私は本当は、テニスでもするつもりだった。けれど郁人が弟くんの世話もあるから、と週一回、活動の緩い家庭科部に入ったから私も同じものを選んだ。この頃には、すっかり好きだった。

郁人はもう浮くこともなく、みんなに溶け込んでいた。中学デビューだね、と揶揄いつつ、私の心中は正と負が入り混じった。いいことに違いない。でも私がいなくても楽しそうな郁人を見ると、心が痛んだ。

二年生は、私の切な思いが通じたのか同じクラスになった。今振り返れば、一番幸せな時期だ。学校が楽しくてしょうがなかった、早く明日にと家に帰るたびに思った。文化祭の時期はことさら。写真の中で笑う私も、輝いて見える。

文化祭はクラスでおばけ屋敷をやって、私も郁人も裏方だった。家庭科部だから、との理由だけで衣装班に回され、朝から夜まで一緒にミシン前で奮闘した。たかが週一なのに、と愚痴りながら夜道を二人帰るのが、なにより好きな時間だった。


付き合いたい、彼氏と彼女になって、誰の目もはばからずに二人でいたい。
好きだと伝えて、伝えられたい。

周りが色づきだして、誰が誰を好きとか信憑性があるかなきかの話がラインで飛び交う時期だった。もちろん郁人と私も噂の種。
それが追い風に思えて、何度も告白しようと考えた。けれど、結局できなかった。それ以上に私はこれまでを壊すのが怖かった。

確証が欲しかった。噂のような浮いたものではなく、十割の証。でもこれを欲しがったのが、すれ違いの始まりだったのかもしれない。

同じ二年の秋頃、私を好きな先輩がいるという話が耳に届いていた。

三年生のサッカー部、接点もなかったから妙だなと思ったら一目惚れされたらしい。興味はなかったのだけど、友達がお世話になっている先輩だからと連絡先を交換する。少しやり取りをしていると、すぐに告白された。

高身長、コンプレックスに思っていた容姿を褒められたのは嬉しかったけれど、答えはもちろん決まっていた。けれど友達の体裁もある。

保留にしておいて、その気もないのに郁人に相談をした。引き留めてくれたら、嫉妬でもしてくれれば、淡い期待を込めて。しかし、ただ真剣に話を聞かれてしまっただけに終わった。

それで私は意固地になった。当たり前に私がいるわけじゃない。ずっと好きで、隣にいる。気づいてくれないのなら、強引にでもと考え至った。私は面と向かったこともない先輩、赤田先輩と付き合うことにした。下の名前はもう忘れた。

いつも郁人より先に帰った。わざと宣言してから、先輩と帰る。休日も予定がなくても、会わないようにした。駆け引きの、引きのつもり。
けれど結局、郁人は私の偽の恋を応援してくれただけだった。

そして、そのすれ違いを決定づけたのは、同じ頃、郁人に彼女ができたこと。同じ家庭科部のおとなしい先輩とだった。相談もなく、事実だけを告げられた。郁人は理由は教えてくれなかったけれど、それが私と同じでないことは嫌でも分かった。

郁人と先輩はお似合いに見えなかった。好き合っているようにも映らない。でも、どうして付き合ってるの、言う権利が私にはなかった。

結局それからすぐに、私も郁人も別れた。また登下校を共にするようになって、仲良く遊びもした。「元どおり」になった。ただいつのまにかできた見えない、越えられない壁だけは、そのまま残った。

三年生は、別のクラスになった。

写真には郁人がほとんど写っていない。修学旅行も、合唱コンクールにも、なににも。二人で写っていたのは、卒業式の日、母が校門前で撮った一枚だけだ。その頃には、郁人の身長は私をゆうに越えていた。

好きなままだった。
近くにいても、触れても届かない距離が、もどかしくて悔しかった。

私が専門学校に進んだのは、もしくは漫画ならと思ったからだ。描き続けて、郁人が私を認めてくれたなら、たとえば越えられない壁でも壊せてしまえるかもしれない。


まぁそんなのは願望でしかなかったのだけど。

思い返していたら、一層煮詰まってしまった。