五
そんな間にも、私の文化祭の日は着々と迫ってきていた。
間に合わせなければならない。その使命感で、私は学校が終わるとすぐ帰宅して作業に取り掛かるようになった。決めた部分までをラフに描いて清書するのを繰り返す。
ラストがいつまでも決まらなかった。気持ち悪かったけれど、タイムリミットを思えば手を動かすしかない。どこにいても焦らされている気分だった。家でも、学校でも。
残り一週間に差し掛かる。
その頃には、弛んでいたクラスの雰囲気は、すっかり様変わり。全体に張り詰めた空気が教室を流れていた。緊張感はピークに差し掛かり、それが室内の大半を占める。授業中はもちろん、昼ご飯を抜いてまで休み時間を作業にあてる子も多くいた。
下手に雑談ができるような空気感でもなかった。
周りに倣って、とりあえず私もタブレットを取り出す。下書きはいつもこれでやっている。ペンを取り、既存のページに目を通してから白紙のページに向かった。そしてすぐに手が固まる。
だめだ、進まない。
つい友人に目をやる。絵画を専攻している彼女は、ノートに一心不乱にスケッチをしていた。下書きの段階なのに、線画に既に圧が感じられる。音楽を専攻している別の友人は、自作の楽譜を何度もピアノアプリでさらって、音を確かめていた。何度も消された跡が、その努力を物語る。
それに比べて、私のタブレットは、ペンをおろしたまわりが黒くなっているだけだ。まざまざと違いを見せられた気になった。才能だけの話ではない。
一緒に学校生活を送り、同じように笑っていても、そもそもクラスメイトたちと私とでは、根本が違うのだった。彼らの見据える未来には、夢が大きく鎮座している。
長い時間を与えられれば、気が弛むことはある。それでも、これと決めた夢を掴みたくてここにいるのだ。
私は、違う。そもそもクラスメイトみたいに、自分の純粋な欲求からここにいるのじゃない。
郁人が認めてくれたから、郁人と私の密かな、それでいて大きな繋がりだったから、やめずにここまできた。私がここにいる過程は全部、彼への想いというたった一つの、板の上に積み上げられてある。
最近、夜中に作業をしていてふと、もう描かなくてもいいかと思うことが、ままある。彼が見てくれないのなら。この努力にはなんの意味があるのだろう。
小学生から六年間、漫画を不乱に描いてきた。学校まで、親や先生の反対を押し切って芸術高等学校を選んだ。
でも、大がかりな本末転倒だったのかもしれない。もし、同じ学校に通えていたなら。選ばれていたのは、私かもしれない。
頭の中が混濁する。気分でさえなくなった。白紙のまま、保存しないで執筆アプリを閉じる。勝手に背景画に設定した、二人の写真が目に入った。郁人は、私に会えないことを少しは寂しく思うのだろうか。そうだといいな。私と同程度じゃなくても、少しくらいそうならいい。
目を瞑る。なにか、と物語の筋をまぶたの裏で洗った。
人に偉そうに講釈垂れていたくせに情けない。私は、始めたストーリーの終わらせ方が分かっていない。
六
あるところに、仲のいい同い年の男女がいた。
彼らは気づけば一緒にいて、この先もそうだろうとお互いに思い合っていた。これまでも幾多の時間を、出来事を二人で乗り越えてきた。当たり前に二人で一つだった。
けれどある日、その片割れ、男の子の方が突然に消息を絶つ。どこを探しても見つからず、女の子が男の子の部屋に入ると、机の上には子供の頃二人で組み立てた宇宙船の模型が置いてある。
触れると時間が巻き戻って、過去のある一日に彼女を連れて行った。そこでは彼女は、昔の彼女で、その日を終えるとまた別の日に移る。一日ごとに時間が現在へ近づいていきながら、繰り返されるのは二人にとって印象的な日ばかり。
途中で彼女は、そっくりそのまま同じ時間を過ごしていることに気づいた。
彼女なりに考えて行動しているつもりでも、結果は全く同じになっている。けれど心の中は全く別で、今が近づくごとに男の子への好意が膨れあがって──
これで規定の二十ページのうち、残り二ページまで物語を組んである。ただ、終わりだけが固まらない。ハッピーエンド、バットエンド、それとも。
なにをしていても、常に最後のひとくさりが頭を席巻した。成果はないまま、時間だけが過ぎる。提出期限まで残り二日になる頃には、いよいよ手を動かすだけのページは完成して、作業に逃げる手も失ってしまった。
その夜。私はテーブルランプだけをつけた暗い部屋で、タブレットや資料である漫画の山に向き合う。
これまで私に色々な答えをくれた数々の作品も、今度は黙りこみを決めるつもりらしい。ひっくり返すほど読んだけれど、最適解は見えてこなかった。もうしばらくこの調子だ。かかりきりの割に進歩がないから、毎日つけるはずの日記もここ二日はなにも書いていない。
手詰まり、とはいえ足掻くしかなかった。
自分の漫画を読み返す。何回もページをめくっては戻す。本当はもう台詞もシーンもすべて頭に入っていた。つまらなくなってしまうほど校正を繰り返してきたのだから。それでもなにかと、その間、綺麗なラストの映像を念じる。半刻以上同じことをし続けた。絵をなぞる、セリフを読み上げる。
ふと、私がこの女の子ならどうだろうと考えた。
型にこだわりすぎていたかもしれない。最後や構成を無視してもいいなら。私はもう一度読み返してから、ラックに立て掛けてあったアルバムを手にする。彼女と同じように、私の「特別」をなぞろうと思った。
幼稚園、小学校と見返して、中学時代のものに手をかける。カバーを外すと中から写真が散らばった。掬い上げると、私の大切な思い出のかけらたちだった。