四


それから私は来る日も来る日も、郁人といっちゃんの打ち合わせに顔を出した。

嘘の偶然から始まった話だ。それでもただの嘘だと割り切れないなら、いつかそれは奇跡になる、そう信じて。

その間、自分の原稿はろくに進まなかった。ストーリーが決まっている箇所までのラフを描くので精一杯。反対に、郁人たちのシナリオは、三人で掛かっているということもあるのだろう。とんとん拍子に、キャラクターができ、あらすじができて、骨組みが仕上がっていった。

「あとはラストだけだなぁ。どう終わらせるのがいいかな」
「うーん、告白するっていうのはいいと思うけど、あとは分からないよ」

 一週間もすれば、もう微調整だけという領域まで辿り着いていた。少なくとも二人でいい、私がいる必要はない。けれど、その事実には見て見ぬ振りをした。

「ラストは大げさなくらいがいいってよく言われるよね」

それらしいアドバイスをしては、紅茶をすすってすぐ空にした。結末を考えるのは、私も苦手だ。自分が見てこなかったものを、簡単には作れない。

 その日は、郁人たちが学校で遅くまで会議だから、とカフェでの打ち合わせはなかった。
私は迷った結果、初めのように、郁人を待ち伏せすることにした。奇跡にするには、毎日である必要があると考えたのだ。

花壇のへりに腰掛ける。秋分も近い、夜風はもう秋を知らせていた。薄手のセーターかベストくらいは必要だったかもしれない。肩を丸めていたら、ようやく来た。

「あ、また会ったね。はるちゃん、今帰り?」

けれど降りてきたのは、いっちゃん一人だった。
つい挨拶もなしに、郁人はと聞いてしまう。すると少しだけ目を伏せて、

「まだ会議中。一緒に帰るつもりだったんだけど、先にって」
「そっか。本当大変だ、二人とも」
「ううん、私は全然。……今宮くんに迷惑かけてるだけだよ、今日も委員長は私なのに先に帰ってきちゃった」

普段も彼女は明るい方ではない。あたりの暗さも通りやすくはない声も相待って、一層覇気なく映った。

「どうしたの元気ないよ、せっかく可愛いんだから笑わないと!」

にっと私は笑ってみせる。
ここまで分かりやすいと励まさないわけにもいかなかった。本当は私も、郁人が来なかったことで少なからず沈んでいたのだけれど。でも笑顔は絶やさない。

「うん、こうかな。あはは」見事な空笑いだった。
「うーん、全然だめ。二十点! どうしたの、なにかあったの」
「……ね、はるちゃん。ちょっとお話し聞いてくれる?」

私はうんと快諾をした。郁人を待つのだ、どうせ時間もある。

川沿いは風も強く、長居は難しそうだった。
いつものカフェに向かったのだが、たまたま定休日だった。仕方なく腰を落ち着けたのは、少し奥まった場所にある階段の上段。ここなら、風避けができそうだった。

道中、いっちゃんは落ち着かない様子で、周りを振り見ていた。この辺りは、全く慣れない場所らしい。そもそも郁人と帰るため、わざわざ歩き始めたのだとか。今日も、ゆっくり帰っていればもしくは、と思ったと言う。想像よりずっと健気だった。

「この辺でよく遊んだな、中学生の時。無意味にグリコとかやってた」
「えっと、楽しそうだね。何段あるの」

「たしか百ないぐらい。ぴったりの戦場でしょ~、独自ルールで勝ったら進んで負けたら戻る!」

軽く与太話をして場を温める。つもりだったのだけど、いっちゃんはその間もずっと俯き加減、曇りっぱなしだった。

「で、相談ってなに? お姉さんが話聞くよ」

切り替えて、めかしつつも本題に入った。いっちゃんは深刻そうに眉を寄せて、私の方は見ない。しばらくして、先の細い切り金から絞り出すように言った。

「……誰かと付き合うって難しいね」

その一言めで、私はそれまでの余裕を一息に失くした。
余裕が、小石と一緒になって階段下に転がり落ちていく。取りには行けない。

「私ね、恋愛とかしてこなかったんだ。高校生までもう全然。だから、どう付き合っていいか分からなくて。そもそも付き合うってなんなのかなって」
「それは郁人とってことだよね?」
「…………うん、今宮くん。初めてできた彼氏なんだ。私さ、二人の時間が増えたら色々分かると思って委員始めたんだ。でも仕事も多くて一杯一杯で、今はそれこそ、はるちゃんにまで迷惑かけてる。それなのに結局なにも分からないままで──」

こちら側から話を聞くのは、初めてだった。

相談に乗っているのは、いっちゃんの話。でも、聞いている間、私は常にその目線の先にいる郁人のことを考えていた。
付き合い方が分からない、なにをするもの? デートしてどうなるの? ただ話して楽しいだけなら、友達と変わらない。
同じところを旋回するように、話は続いた。私はそれでも頷きながら聞いていたのだけど、

「好きってどういうことなのかな。今宮くんと私じゃ釣り合わない、とかそんなことばっかり頭に浮かんで」

途中からは苛立ちが先行してきた。抑えるため、握った手のひらに爪が食い込む。

悪い風にしか捉えられなかった。相手を好きかも分からない半端な思いで付き合って、自分の未熟さのせいにして。
無理に思い出さなくても、郁人が中二の頃付き合った先輩のことが頭をよぎる。

私の方が、幾らも好きだ。なのに、どうして私じゃないの。

「釣り合いって?」
「えっと……私、今宮くんみたいに明るくない。ずっと影にいたから」
「別に郁人だってずっと順風満帆だったわけじゃないよ」

今に感情が溢れそうだった。
それをなんとか絞め殺して、もう遅いからと話を切り上げる。道に不慣れな彼女を、バス停まで見送った。

「じゃあまたね、いっちゃん。気をつけて」
あだ名で呼べてよかった。下手をすれば、栗原と荒げた声で呼び捨ててしまっていたかもしれない。

家までの夜道が憂鬱だった。寒い、帰ろう。思うのに気が重たい。

向かい風と上り坂がそれを助長して、いよいよ足は動き出さなかった。私は、バス停から数歩の花壇に再び腰掛ける。

もう七時も半まで差し掛かっていた。郁人はとっくに帰っているだろう。ついに会えなかった。やはり偽物は、奇跡に届かないらしい。

ため息が出る。さっきのいっちゃんの話が頭をよぎって、苛ついた。
彼女に、善人面を被り続けた自分に。笑わないとなんて人によく言ったものだ、私が一番できていない。鬱々とする。

「なにしてんだろ」

今だけじゃない、毎日一緒にカフェへ通って、それで私はなにがしたいの。するべきことは、こんなことなのだろうか。
とりあえず今やるべきは、なにより帰ることだった。力なく立ち上がる、けれど座る。

「……はる! 驚いた、不審者でもいるのかと思った」

それを思いがけず、郁人に見られていた。