一章  栗原一果


     一
 

無用に鞄の位置を変え、ピン留めの位置を下げる。

それからスカートのポケットを探って、スマホがあるのを確かめる。これはもう三度目。それもキーホルダーがついているから落とすわけもない。

つまりそれくらい、私、栗原一果(くりはらいちか)はどうにも落ち着けないでいた。

九月五日木曜日。
日付はスマホのロック画面で、無意味に何回も確かめていた。秋というにはまだまだ早い。夏はその姿をはっきり空気に残していて、学校帰り、日暮れとはいえ蒸し蒸しと暑い。

所在ないままの手が、ついシャツの胸元に伸びる。第二ボタンをつまんで空気を入れるけれど、入ってくるのもぬるいから、大して変わらない。

落ち着かなかった。ずれる歩幅と呼吸、不安定な間合い、エトセトラ。横を流れる逆瀬川のせせらぎが、やけに耳奥に届いていた。つまりはそれくらい、二人の雰囲気が半端だった。

「今日の山田の髪型、イメチェンだったらしいよ。前髪だけパーマあてたんだって」

隣の今宮郁人(いまみやふみと)くんが、私に笑いかけて言う。そう、別に会話がないわけじゃない。それなりにテンポだってある。

「生徒指導に怒られないのかな」
「大丈夫じゃない? お洒落というより、干からびたメンマみたいだったし」
「ふふっ、ひどい。でもちょっと分かるかも」

それでも確かに微妙な空気が漂っているのは、たぶん二人の関係性のせい。
彼は、私の彼氏だ。それもこの夏休みに告白されたばかり、付き合い始めてまだ二週間も経っていない。意識してしまうのも、仕方がないというもの。

同じクラス、同じ班で隣の席。
一学期早々から、ずっと似合いだとクラスメイトたちに噂されてきた。

明確な理由まで耳にしたことはないが、大体は分かる。

仲が良く、昼休みや放課後も一緒にいることが多かったからだ。二人とも朝早くに学校へ行くのも、噂に拍車をかけたのかもしれない。実際は同じ班で後ろの席の二人、青木茉莉(あおきまり)ちゃん、山田爽(やまだそう)太郎(たろう)くんも含めて四人で一組なのだけれど、隣の席というのは印象が強いみたい。

実際その二人も、いつがゴールインだとひっきりなしに噂されている。単純。けれど、それがゆえに誰も疑わない。夏休み前には、公然の事実みたくなっていた。

とはいえ噂は噂。

そう思っていたところへ今宮くんから告白されたのは、夏休み中、花火大会の帰りだった。

思ってもみない告白で、正直面食らった。はっきりした返答も浮かばず流されるままに受けて、今。自分の気持ちはもちろん、彼が本気なのかも正直いまいち不透明。なにせ会話も距離感も変わらず、

「栗原さん。なんか気になるものでもあった? ぼーっとしてるけど」

呼び名も変わらず。

どうして今宮くんは、私なんかに告白してきたのだろう? 

格好良くて、笑顔なんか抜けるように爽やかな彼が、私を選ぶ理由が分からない。
噂に合わせただけ? そんな気もしなくはない。

今日一緒に帰っているのだって、茉莉ちゃんに相談して私から誘った。茉莉ちゃんが言うに、帰り道が高校生一番のデート、らしい。恋愛沙汰に疎い私には分からないけれど。

「栗原さん? 大丈夫?」

今宮くんが足を止め、私を覗き込む。そこでようやく我に返った。

「えっと、ごめん。その……喉乾いてて」

咄嗟に出てきた言葉は、見つけた自販機からの単純な連想だった。
本当はそうでもない。

「あぁ分かるかも。暑いしなぁ、この照りつけ。残暑が酷暑」

けれど、今宮くんは、既にそっちへ歩き出していた。
揃いで緑茶を買って、また川沿いを進む。

「栗原さん。お茶でよかったの、レモンティーのイメージだった。昼はいつも飲んでるから」
「お昼は、そうだね。でも逆に喉乾いちゃう」
「たしかに甘いからなぁ。砂糖どれだけ溶けてんのって」
「うん。でも砂糖オフの市販のやつってそんなに──」

美味しくはないし。そう続けるつもりだったのが、近くを通りがかったトラックの轟音に掻き消された。一口だけ緑茶を含む。飲みながら今宮くんに目をやると、上目で思案顔をしていた。視線を悟られたくなくて、私はローファーの靴先を見る。

やっぱり、どうにもチグハグだ。

少し無言の間ができる。告白される前、友達だった頃には二人でいても、こんなことは滅多になかった。意識のしすぎって、それだけ? いずれにしても落ち着かない。

果たしてそれを打開したのは、二人のどちらでもなかった。