その後、俺は無事第一志望の都立音原(おとはら)高校へ入学した。中高一貫のアドバンテージのある風月学院には劣るが、都内では風月に次ぐ強豪校だ。高校に入って最初のクイズ大会で律の姿を見かけた。
「律!」
 反射的に呼び止めた。律が振り返る。俺は気づいてしまった。自分から連絡を絶ったくせに、もう一度会いたかったのだ。今更どの面下げて、と言われるだろうか。最後の会話は、死ねだの大嫌いだの暴言を吐き尽くした酷いものだった。
「あの時八つ当たりしてごめん」
 時間が俺を冷静にした。どう考えてもあの日のことは10:0で俺が悪い。引っ込みがつかなくなって謝れずにいたけれど、ずっと望み続けた律との勝負の前に許されたかった。
「謝んなよ。俺こそ約束破って悪かった。それより、今日は負けねえからな」
 震える声で謝る俺に対して律はキラキラした顔で宣戦布告をした。律は最初から怒っていなかったのだ。敵わない。
 その日、律は見事に優勝した。高校一年生での優勝は史上初らしい。俺と会っていない二年半の間に相当努力してきたのだろう。一方、初心者に毛が生えた程度の実力しかなかった俺は律と直接対決する前に敗退した。
 こうして、律の背中を負い続ける日々が再び始まった。三年間のディスアドバンテージは大きい。最初の一年は中学スタート組や上級生にボロ負けし続けた。運の悪さは相変わらずで、律に当たる前に一回戦で優勝候補の三年生に当たることばかりで、律と同じ舞台にすら立てなかった。
 二年生になってからも鳴かず飛ばずの日々が続いていた。組み合わせ表を見ては運の悪さを嘆いた。律はますます頭角を現して、中高生クイズ界どころか、大学のクイズ研究会や社会人のクイズ愛好家たちの間にもその名を轟かせていた。俺の同期は「僕たちの不幸は柏木律と同じ世代に生まれてしまったこと」とよく口にしていた。律は調子にムラのあるタイプだったが、「たとえ自分絶好調の時に絶不調の柏木律とあたっても柏木が勝ってしまうほどに実力差があるので、彼に勝てるビジョンが見えない」とみんなが言った。
 三年生になってようやく俺も多少は強くなってきた。練習試合ではまったく勝てないような相手にジャイアントキリングをかませることもできるようになった。遅咲きにもほどがある。しかし、所詮最高成績は準々決勝進出。雑草が咲いたところで準決勝の舞台で咲くことすらできなかった。元々勉強は得意ではなかったし、根本的に才能がなかったのだと思う。結局、律にはまったく勝てないまま今日にいたる。このままクイズを続けたところで律の目には映れない。だから俺は今日を最後に自称・律のライバルを競技クイズと共にやめることにしたのだ。