俺は中一の夏休みに交通事故に遭い、選手生命を断たれた。退院してからもショックでしばらく引きこもっていた。サッカー部の連中に会うのが嫌で、外に出たくなかった。何よりも、近所に住んでいる律に会いたくなかった。俺の家は律のジョギングコース上にあって、外に出たら鉢合わせる可能性があった。
「俺、スタメンになった!」
「俺も。都大会で会おうぜ!」
 そう連絡し合った履歴を見るのが嫌で、スマートフォンから人と繋がる類のアプリをSNSから何から何まで全部アンインストールした。
 二学期になっても学校に行かなかった。退部届にサインをしたら本当に全部終わってしまうような気がした。周囲から同情の目を向けられるのも怖かった。

 どこから噂を聞き付けたのか、放課後の時間帯に毎日のように律が家に押しかけて来た。
「部活、どうしたんだよ。レギュラーになったんなら練習忙しいんじゃねえの」
「今試験前で部活禁止なんだよ」
「二学期始まったばっかりだろ」
「それがさあ、風月って学期に四回試験あるんだよ。やばくね?」
「はあ、さすが名門進学校様は公立とは違うな。帰って勉強しろよ」
「何だよ、冷たいなー。久々に会ったんだし、巡のクラスの可愛い女子の話でも聞かせてくれ。男子校のむさ苦しさ舐めんなよ。こっちは深刻なんだよ」

 今考えると、学期に四回も試験があるなんて嘘だと分かるし、サッカーと無関係な話題で俺の気を紛らわしてくれていたのだと思う。

「暇してんなら、風月の文化祭来いよ」

 日常生活には問題ない程度には歩けるようになっていたし、何より律があまりにもしつこかったのでしぶしぶ行った。高等部と合同開催だからなのか、規模が大きく非常に盛り上がっていた。なかでもクイズ研究会のブースがやたらと賑わっていた。そこでは早押しクイズ体験会をやっていた。
「柏木、せっかくだしお前も押していけよ」
 列を整理していた律の友達に声をかけられ、俺たちも列に並んだ。ただそれだけの偶然が競技クイズを始めたきっかけだった。
「巡、勝負しよう!」
 列に並びながら、律が言う。無理矢理連れ出したかと思えばいきなり勝負を仕掛けて来るなんて、本当に鬱陶しい。しかし、どんな理由や事情があっても売られた勝負から逃げるなんてことは男として恥ずかしいことだ。
「負けた方が出店で奢りな」
「それでこそ巡!」
 俺が勝負を受けると律は嬉しそうにしていた。順番は思ったよりすぐ回ってきた。律の制服のデザインとは少し違う制服の眼鏡をかけた男性、おそらく高等部の生徒が注意事項を説明する。
「早押しボタンは精密機械なので、よくクイズ番組で芸能人の皆さんがやっているような連打はしないでくださいね」
「はーい!」
 受験生らしき小学生と、その妹らしき女の子が元気よく返事をしている。妹の方は母親と一緒に解答席についていた。
「目の前のボタンを押して、ランプが光ったら答えてください。二問正解で勝ち抜けです。お手付き、つまり間違えたり分からなかったりした場合は一問お休みです。ボタンから手を離して少しだけお待ちください。それでは、楽しんでいきましょう!」
 最初に正解したのは律だった。もう忘れてしまったけれど、当時流行っていたアニメの主人公の名前を問う問題だったような気がする。
「問題。出会い算と追いかけ算の二種類がある」
 聞き覚えがある単語だったので、反射的にボタンを押した。目の前のランプが光っている。俺が解答権をとった。中学受験の時、俺の得意分野だった旅人算には出会い算と追いかけ算二種類の問題があったはずだ。
「えっと、旅人算」
 俺が答えると、「ピンポーン」という機械音が鳴った。
「素晴らしい! すごく早い段階でボタンを押して見事に正解です!」
 司会の人に褒め称えられ、列に並んでいる人たちからも拍手が起こる。照れくさいけれども嬉しい気持ちになった。
 とにかく、これで律と並んだ。次の問題をとれば、律に勝てる。運命の問題が読まれた。
「問題。ずばり、現在の風月学院の校長の名前は何でしょう?」
 そんなもの知るわけがない。受付で渡されたパンフレットには書いてあったような気がするけれど、そんなもの覚えているわけがない。俺はお手上げだったが、律が当たり前のようにボタンを押して解答権をとった。そして知らないおっさんの名前を答えて正解した。
「三番の席のお兄さんが見事な勝ち抜けです! 中等部の生徒さんかな? これはうちのクイズ研究会にぜひ入ってほしい逸材ですねー!」
 このタイミングで風月生しか知らない問題がでるなんて、ついていない。しかし、それも当然のことだろう。神に愛された律と世界で一番不幸な俺が勝負したらそうなるのも自然の摂理だ。
 運が悪いのは慣れっこだ。負けたからと言ってふてくされて醜態をさらすわけにはいかない。律の前で律以外に負けることは恥だ。俺は次の問題に耳を傾けた。
「問題。サッカーの」
 サッカーという単語を聞いた瞬間、胸が痛んだ。気分転換の場に連れて来られたこんな場所で傷口に塩を塗り込まれるなんて、やっぱり俺は運が悪い。最悪の気分だ。でも、サッカーの問題で負ければ、俺がサッカープレイヤーだった過去まで否定することになるような気がした。俺は問題に集中した。
「PK戦といったときの『PK』とは何という英語の頭文字をとったものでしょう?」
 俺はボタンを押した。サッカーをやっている奴ならみんな知っている簡単な問題だ。今から俺はサッカー用語を口にする。
 律に連れられてやってきた場所で傷口を抉られた。優しい律のことだから勝手に責任を感じて謝ってくるのだろうか。冗談じゃない。律に同情されるくらいなら死んだ方がマシだ。
 俺は堂々と大きな声で答えてやった。
「ペナルティーキック」
「正解! 続いて四番の席のお兄さんも勝ち抜けです! 素晴らしい正解でした!」
 司会の賞賛と大きな拍手が、俺のモヤモヤを洗い流してくれるような気がした。
「ママー、あのお兄ちゃんたちすごいね!」
「ねっ、かっこいいね」
 隣の解答席の親子に褒められる。こんなにスポットライトを浴びると、クイズ番組に出ている芸能人になったような気分だった。何より、どうやら俺は根っからの勝負師気質らしい。久しぶりに勝負の高揚感を楽しいと感じた。

 約束どおり、俺は中庭の出店でチュロスを奢る羽目になった。並んでベンチに腰掛けて、ぼそりと呟いた。
「俺、クイズ研究会入ろうかな」
「いいじゃん! さっき高等部のクイ研の人も巡のこと褒めてたし、巡ならクイズ王になれるって!」
 律が大声を出して身を乗り出してきた。
「うちの学校にあるのか分からないけど」
 部活は最初からサッカー部に決めていたので部活一覧が載った冊子には目を通さなかったし、新入生歓迎会の部活紹介もろくに聞いていなかった。しかし、偏差値七十の名門校ならともかく、普通の公立中学校にクイズ研究会があるとも思えない。思い付きで言ったはいいが、そう都合よく物事が運ぶのなら俺は怪我なんてしていない。
「無かったら作ればいいんじゃね? 巡なら何でもできるよ」
 律は溢れんばかりの笑顔を俺に向けた。目から鱗だった。神に愛され豪運を味方につけた律。恵まれた環境にいる彼だけれど、たとえどんな逆境に置かれたとしても自分で運命を切り開いていくのだろう。
 そんな彼だから心から尊敬できる。もう俺は彼とサッカーをすることはできないけれど、いつかお互いに大会で優勝したと報告し合えたらそれでいい。俺は律のライバルでいられて幸せだった。誰より練習熱心だった律。雨の日も台風の日もランニングを欠かさなかった律。涼しい顔をしているように見えて実は誰より熱い闘志を燃やしている律。敵にするとこれほど手ごわい相手もいないが、味方にすると心強いことこの上ないやつだった。
 競技は違えど、そんな彼に誇れる自分になりたいと思った。なんて、悔しいから言ってやらないけれど。
「もう一度頑張ってみっかな」
 目標が出来た。クイズ研究会を作り、一年間修行する。そして、来年は律を完膚なきまでに倒してやろう。
 そんな決意を胸に帰り際もう一度クイズ研究会のブースを覗いた。先程は気づかなかったが、列の壁のところに模造紙が貼ってあることに気づいた。
「早押しクイズ体験会! 風月学院に関する問題もあるよ! パンフレットを読んでおくと何かいいことがあるかも?」
 今更気づくなんて、やっぱり俺は運が悪い。来年はパンフレットを読み込んだうえで挑もうと強く思った。