小一の春、クラスメイトだった律に誘われてサッカークラブに入った。とはいっても、俺だけが誘われたわけではない。昼休みに校庭でサッカーをすることが多くて、せっかくだから地元の少年サッカークラブにみんなで入ったら楽しいのではないかと提案した。何人かが乗った。
「誰が一番最初にレギュラーになれるか競争しようぜ!」
競争の言い出しっぺは俺だった。
「賛成!」
律が真っ先にそう答えたのを今でもよく覚えている。
「じゃあ俺たち、全員ライバルだ!」
アニメによく出てくるかっこいいフレーズを言ってみたくて俺はそう宣言した。
律だけがメキメキと上達した。幼稚園の頃からやっていた生え抜きのメンバーを追い抜き、俺たちの世代では一番うまくなった。上級生にも律は一目置かれていたし、俺たちの間でも律は別格だという空気が流れ始めた。
それでも、律はチームメイトであると同時にライバルだった。紅白戦、レギュラー争奪戦、リフティング対決、その全てで律に負けたくないと思った。
「無理だろ。律は天才なんだから」
「あいつは俺たちとは体のつくりが違うって」
成長するにつれて律と張り合うなんて無謀だと周りは言うようになったが、律にお前はライバルだと宣戦布告した以上、勝負を降りるのは男としてのプライドが許さない。
五年生になると、律はサッカーの練習がない日に塾に通い始めた。他にも塾に通っているクラスメイトはいたが、律はクラスで一番頭が良かった。
俺は面白くなかった。サッカークラブのない日は下校時刻までみんなで遊んでいた。律がいないと心に穴が開いたような気持ちになった。
「いいじゃん。律いたら律のいるチームが勝つに決まってんだからさ」
「巡はどんだけ律と一緒にいたいんだよ。どうせ明日は律と一緒にサッカーやるんだろ?」
「本当に巡は律のこと好きだよな」
天才に憧れる凡人。それが俺の評価だった。違う。俺は律と対等なライバルだ。俺は激しく主張した。
「違う! 俺は律と勝負したいんだ!」
「まーた言ってるよ。律に勝てるわけねえじゃん。律だぞ、律」
周囲は俺に呆れていた。これは鬼ごっこで俺が鬼になると律を捕まえることに執着して結局律に追い付けず、周りのみんなが暇になってゲームが崩壊するからだ。“弁えている”みんなは初めから律にタッチすることなんて諦めていた。
「律の百倍努力すれば、いつかは勝てるに決まってるだろ」
俺は諦めなかった。体育の五十メートル走はいつもボロ負けしているけれど、一度あと少しで律に勝てるところまで迫ったことがあったから。四年生の運動会の徒競走のぶっつけ本番は俺が勝手に“第一小学校史上最高の名勝負”と呼んでいる。
「なあ、律。なんでお前塾なんて行ってんの。お前百点しかとったことねえじゃん。塾行かなくても勉強なんて余裕だろ」
我慢できなくなって律に文句を言った。俺は律と遊ぶ放課後が好きだったのに、律にとってはそれは簡単に捨ててしまえるものなのかと腹が立っていた。律は困ったような顔をして答えた。
「俺さ、中学は風月学院に行こうと思ってるんだ」
風月学院。「文武両道」を校訓に掲げる中高一貫の男子校だ。偏差値70の進学校かつ、サッカーの強豪校でもあるらしい。家から一番近い公立中学も都大会の常連だったけれど、風月学院はそれよりさらに強い。
「なんだよ、何でそんな大事なこと俺に黙ってたわけ?」
「ごめん」
今考えれば志望校なんて大々的に吹聴するようなものではないし、ましてや今後の成績がどう転ぶか分からない五年生の段階で人に言うことはそうそうない。
「律が風月学院行くなら、俺も行こうかな」
中学受験なんて今まで考えもしなかったのに、自然にその言葉が口をついた。
「本当に?」
律は目を輝かせて俺を見た。
「当たり前だろ。男に二言はねえよ」
「やったあ! 中学でも巡とツートップ組めるなんて最高すぎ!」
俺も同じ塾に通い、風月学院を目指した。中学生になっても律と同じチームでサッカーをするために。勉強は嫌いだったが、律とテストの点数を競うのは楽しかった。当然のようにボロ負けしてばかりだった。算数は得意の旅人算の単元でも律に大差をつけて負けた。理科だけは、得意の天文の単元だけは律と一点差まで迫った。
律の一番の得意教科は国語だった。学校のテストよりはるかに難しいテストで何度も満点を取っていた。
「まーた満点取ったのかよ」
「偶然だよ。最後の四択問題、勘が当たったんだ」
「いいなー。俺、今回三問鉛筆転がしたけど全部外れたんだけど」
運の悪い俺は、勘で適当な記号を書けば当たるような選択問題も当たらなかった。律は頭がいいだけでなく、運も良かった。神様に愛されているとはこういうことを言うのだろう。
「次は負けねえからな! 家帰ったら、漢字ドリル十ページやるわ」
「じゃあ俺は二十ページ!」
「は? じゃあ俺は三十ページ!」
塾で一番頭がいい律に、戦いを挑み続けた。模試の判定は芳しくなかったが、大嫌いだったはずの勉強も律と一緒なら苦痛ではなかった。
受験本番、運の悪い俺はインフルエンザに罹って別室受験をした。そのため、当日は律とは会っていないので、手応えなどは知るよしもない。けれども、誰もが予想したとおり律だけが合格し、俺は落ちた。併願校も全滅だったので、地元の公立中学に進学することになった。
律に明確に負けたことは悔しかったし、律と同じチームでプレイできないことは残念に思った。しかし裏を返せば、今まで同じチームでプレイし続けた律と公式戦という舞台で勝負できるようになったということだ。こっちの方が、ライバルっぽい。負け惜しみに思われるのも嫌だったのであえて口にはしなかったが、大してショックは受けなかった。
三月の終わり、送別会で行われた紅白戦を最後に俺たちはサッカークラブを卒業した。紅白戦は律のチームが勝った。帰り道、それが悔しくてリベンジとばかりに河原で競走を持ちかけた。桜の木まで先にたどり着いた方が勝ち。俺たちは河原を上流に向かって駆け抜けた。ゴールの桜の大木に先にタッチしたのはやはり律だった。その差は体感0.01秒くらいのものだったと思う。全力疾走に疲れ切った俺たちは同時にその場に寝転んだ。
「危なかった。今度こそ負けるかと思った。やっぱり、巡は最高のライバルだよ」
「律には結局一回も勝てなかったけどな、それでもライバルって言えるのかよ」
俺は悔しくて憎まれ口を叩いた。空を仰げば、三月の日差しが眩しくて涙が滲んだ。情けない顔を律に見られたくなくて、目を腕で覆った。
「ライバルの定義は分からないけど、お互いがライバルって思ってたらライバルだろ?巡はライバルの定義、知ってる?」
「知らない。そういえばライバルってなんでライバルっていうんだろうな」
この疑問の答えを知るのは、中学生になってからのことだった。
「分からなくて良いじゃん。巡と俺は一生ライバル、それでいい。なあ、中学行ってもサッカー、続けろよ」
律が俺の方に腕を伸ばし、律の小指が俺の小指に触れた。空を見上げたまま、指切りをする。
「ああ、次は絶対俺が勝つ。覚悟してろよ」
あの日の馬鹿みたいに青い空とアホみたいに冷たい風を今でも俺はよく覚えている。
この約束は果たされなかった。
「誰が一番最初にレギュラーになれるか競争しようぜ!」
競争の言い出しっぺは俺だった。
「賛成!」
律が真っ先にそう答えたのを今でもよく覚えている。
「じゃあ俺たち、全員ライバルだ!」
アニメによく出てくるかっこいいフレーズを言ってみたくて俺はそう宣言した。
律だけがメキメキと上達した。幼稚園の頃からやっていた生え抜きのメンバーを追い抜き、俺たちの世代では一番うまくなった。上級生にも律は一目置かれていたし、俺たちの間でも律は別格だという空気が流れ始めた。
それでも、律はチームメイトであると同時にライバルだった。紅白戦、レギュラー争奪戦、リフティング対決、その全てで律に負けたくないと思った。
「無理だろ。律は天才なんだから」
「あいつは俺たちとは体のつくりが違うって」
成長するにつれて律と張り合うなんて無謀だと周りは言うようになったが、律にお前はライバルだと宣戦布告した以上、勝負を降りるのは男としてのプライドが許さない。
五年生になると、律はサッカーの練習がない日に塾に通い始めた。他にも塾に通っているクラスメイトはいたが、律はクラスで一番頭が良かった。
俺は面白くなかった。サッカークラブのない日は下校時刻までみんなで遊んでいた。律がいないと心に穴が開いたような気持ちになった。
「いいじゃん。律いたら律のいるチームが勝つに決まってんだからさ」
「巡はどんだけ律と一緒にいたいんだよ。どうせ明日は律と一緒にサッカーやるんだろ?」
「本当に巡は律のこと好きだよな」
天才に憧れる凡人。それが俺の評価だった。違う。俺は律と対等なライバルだ。俺は激しく主張した。
「違う! 俺は律と勝負したいんだ!」
「まーた言ってるよ。律に勝てるわけねえじゃん。律だぞ、律」
周囲は俺に呆れていた。これは鬼ごっこで俺が鬼になると律を捕まえることに執着して結局律に追い付けず、周りのみんなが暇になってゲームが崩壊するからだ。“弁えている”みんなは初めから律にタッチすることなんて諦めていた。
「律の百倍努力すれば、いつかは勝てるに決まってるだろ」
俺は諦めなかった。体育の五十メートル走はいつもボロ負けしているけれど、一度あと少しで律に勝てるところまで迫ったことがあったから。四年生の運動会の徒競走のぶっつけ本番は俺が勝手に“第一小学校史上最高の名勝負”と呼んでいる。
「なあ、律。なんでお前塾なんて行ってんの。お前百点しかとったことねえじゃん。塾行かなくても勉強なんて余裕だろ」
我慢できなくなって律に文句を言った。俺は律と遊ぶ放課後が好きだったのに、律にとってはそれは簡単に捨ててしまえるものなのかと腹が立っていた。律は困ったような顔をして答えた。
「俺さ、中学は風月学院に行こうと思ってるんだ」
風月学院。「文武両道」を校訓に掲げる中高一貫の男子校だ。偏差値70の進学校かつ、サッカーの強豪校でもあるらしい。家から一番近い公立中学も都大会の常連だったけれど、風月学院はそれよりさらに強い。
「なんだよ、何でそんな大事なこと俺に黙ってたわけ?」
「ごめん」
今考えれば志望校なんて大々的に吹聴するようなものではないし、ましてや今後の成績がどう転ぶか分からない五年生の段階で人に言うことはそうそうない。
「律が風月学院行くなら、俺も行こうかな」
中学受験なんて今まで考えもしなかったのに、自然にその言葉が口をついた。
「本当に?」
律は目を輝かせて俺を見た。
「当たり前だろ。男に二言はねえよ」
「やったあ! 中学でも巡とツートップ組めるなんて最高すぎ!」
俺も同じ塾に通い、風月学院を目指した。中学生になっても律と同じチームでサッカーをするために。勉強は嫌いだったが、律とテストの点数を競うのは楽しかった。当然のようにボロ負けしてばかりだった。算数は得意の旅人算の単元でも律に大差をつけて負けた。理科だけは、得意の天文の単元だけは律と一点差まで迫った。
律の一番の得意教科は国語だった。学校のテストよりはるかに難しいテストで何度も満点を取っていた。
「まーた満点取ったのかよ」
「偶然だよ。最後の四択問題、勘が当たったんだ」
「いいなー。俺、今回三問鉛筆転がしたけど全部外れたんだけど」
運の悪い俺は、勘で適当な記号を書けば当たるような選択問題も当たらなかった。律は頭がいいだけでなく、運も良かった。神様に愛されているとはこういうことを言うのだろう。
「次は負けねえからな! 家帰ったら、漢字ドリル十ページやるわ」
「じゃあ俺は二十ページ!」
「は? じゃあ俺は三十ページ!」
塾で一番頭がいい律に、戦いを挑み続けた。模試の判定は芳しくなかったが、大嫌いだったはずの勉強も律と一緒なら苦痛ではなかった。
受験本番、運の悪い俺はインフルエンザに罹って別室受験をした。そのため、当日は律とは会っていないので、手応えなどは知るよしもない。けれども、誰もが予想したとおり律だけが合格し、俺は落ちた。併願校も全滅だったので、地元の公立中学に進学することになった。
律に明確に負けたことは悔しかったし、律と同じチームでプレイできないことは残念に思った。しかし裏を返せば、今まで同じチームでプレイし続けた律と公式戦という舞台で勝負できるようになったということだ。こっちの方が、ライバルっぽい。負け惜しみに思われるのも嫌だったのであえて口にはしなかったが、大してショックは受けなかった。
三月の終わり、送別会で行われた紅白戦を最後に俺たちはサッカークラブを卒業した。紅白戦は律のチームが勝った。帰り道、それが悔しくてリベンジとばかりに河原で競走を持ちかけた。桜の木まで先にたどり着いた方が勝ち。俺たちは河原を上流に向かって駆け抜けた。ゴールの桜の大木に先にタッチしたのはやはり律だった。その差は体感0.01秒くらいのものだったと思う。全力疾走に疲れ切った俺たちは同時にその場に寝転んだ。
「危なかった。今度こそ負けるかと思った。やっぱり、巡は最高のライバルだよ」
「律には結局一回も勝てなかったけどな、それでもライバルって言えるのかよ」
俺は悔しくて憎まれ口を叩いた。空を仰げば、三月の日差しが眩しくて涙が滲んだ。情けない顔を律に見られたくなくて、目を腕で覆った。
「ライバルの定義は分からないけど、お互いがライバルって思ってたらライバルだろ?巡はライバルの定義、知ってる?」
「知らない。そういえばライバルってなんでライバルっていうんだろうな」
この疑問の答えを知るのは、中学生になってからのことだった。
「分からなくて良いじゃん。巡と俺は一生ライバル、それでいい。なあ、中学行ってもサッカー、続けろよ」
律が俺の方に腕を伸ばし、律の小指が俺の小指に触れた。空を見上げたまま、指切りをする。
「ああ、次は絶対俺が勝つ。覚悟してろよ」
あの日の馬鹿みたいに青い空とアホみたいに冷たい風を今でも俺はよく覚えている。
この約束は果たされなかった。