「誰しも考えたことある質問していい？」
突然、柿谷が変な前置きを入れて、何かを質問しようとする。
「あんまそそらない前置きだな、早く言えよ」
「え、なんか今日機嫌悪い感じ？」
「いいから言えよ」
「え……お前、生理？」
瞬間、バコーン！と、軽快な音を屋上に轟かせた。我ながら、イイ音を鳴らしたと思う。
柿谷が苦痛な顔を浮かべて、俺が思いっきり叩いた頭を撫でている。
「叩くことないだろ！」
「お前が変な事言うからだろ」
「俺はいつも変こと言っているぞ！お前が今日ずっと機嫌が悪いだけだ！俺のせいにするなよ！」
自分が変だという自覚があったことに多少は驚くが、いつものようなツッコミは入れられない。俺は昨日の夜に母親と喧嘩してから虫の居所が悪いんだ。
「で、なんだよ。誰しも考えたことある質問って」
「えぇ、ちょっと討論になったこの空気で言うの？」
「じゃあいいや」
「あー！言う言う！」
だったら早く言え。
柿谷は少しでも俺がピリつかせた空気を柔らかくしようと、ゴホンと一咳払いした。
「───次生まれ変わるなら何になりたい？」
思わず、人のゲロっている瞬間を見てしまった、みたいな顔で柿谷を見る。
「お前、その顔を向けるのだけはやめよう？」
「どんな顔してる？」
「一番前の席のクラスメイトがプリントを貰おうと手のひらを向けたまま、指舐めてプリントを数えているおじいちゃん先生を見ている時と同じ顔をしている」
細かいな。
「現国のおじいちゃん先生な」
「ベロベロ舐めるのきついよな」
「みんな、なるべく真ん中のプリントを取ろうとするんだよな」
「そんなことしても全部刻印付いているのにな」
「唾を刻印って言うなよ」
「じゃあ、浅見なら何て名づける？」
「……紋章？」
「ここはカタカナにして、エンブレムの方がカッコイイぞ」
「確かに」
いや、カッコイイネーミングを付けようとしていたわけじゃないから。
つい、しょうもないことに花を咲かせてしまった。柿谷と話すと、本当に調子が狂う。
「俺の顔で大喜利しなくていいから」
「浅見が失礼な顔するからだろ」
「前置きで散々話を伸ばした後に、くだらねえ質問してくるからだろ」
「この質問のどこがくだらないんだよ」
「死んだらみんな〝無〟になるんだよ。なにも残らない、無。だから、そんな話したところで……」
柿谷が、俺の声を遮り膨大なため息を吐く。
「お前、もしもの話がどれだけ盛り上がるか知らないのか？もしもヒーローになれたらどんな能力が欲しい？とか、もしも過去と未来行けるとしたらどっちに行きたい？とか、もしも総理大臣になったらどんな国にしたい？とか、そういうもしもの話をしている時って、ここじゃない宇宙に行っている気分になるんだよ！」
「……宇宙って、話飛躍しすぎ」
「飛躍しない自分の今の日常に飽き飽きしているくせに」
図星を突かれ、喉が変な音を鳴らす。
だから、飛び込んでみようと思ったんだよ。この屋上から。それを止めたのはお前だろ？
昨日の夜から気に食わない俺は、自殺の邪魔をした柿谷の半分の横顔を睨みつける。
「俺は」
柿谷は、空を見上げながら口を開く。
「俺は、生まれ変わったら雲になりたい」
……雲？
柿谷の視線を辿り、揺蕩っている雲を見つめる。
こんなつまらなそうに浮いている雲になりたいのか？今の柿谷よりもつまらなそうに浮いている雲にか？
「浅見は？」
なんで？と聞く前に、柿谷が俺のほうを向く。
次に生まれ変わるなら、俺は何になりたいのだろう。
顎に手を当てて考え込む。さっきまであんなに柿谷のこの質問をバカにしていたのに、愚直に考え自分なりの一番の答えを見つけようとしている。それでも、いくら考えても答えを見つけられないでいる。だが、これだけは言える。
「俺は、もう二度と人間にはなりたくない」
もしもの話に、切実な願いを乗せた。
「人でなければ、なんでもいいよ」
なんでもいい。どうでもいい。なんなら、無でもいい。
また柿谷のため息が返ってくるかと思いきや、「一度人間になっているわけだし、次も人間は選ばないよな」と言って相槌を打ってくれた。
結局、柿谷が雲を選んだ理由は聞けずじまいで、昼休憩は終わってしまった。
そう、ずっと柿谷は聞かずにいる。俺が一人になった理由も、母親のことも、俺達が出逢ったあの日屋上で何をするつもりだったのかも。
その深く干渉してこないところが、柿谷といる一番の理由だった。柿谷しかいないこの屋上が心地よかったんだ。誰の目にも映らないし、変に気を遣ったりもしない。
俺は自分の話を頑なに話そうとしないが、柿谷はペラペラ話す。全くの正反対な俺達のこの関係性にこそ名前を付けるべきなのではないかと思う。おじいちゃん先生の唾にカッコイイ名前を付ける前に。


帰宅すると、母親が真っ赤な口紅を薄い唇に塗りたくっている最中だった。
鏡越しで母親と目が合い、どちらからともなく目を逸らした。昨日の口喧嘩が後を引き、気まずい空気に耐え兼ね、自分の部屋に逃げ込もうとする。
「三者面談、お母さん行くからね」
昨夜、母親と揉めた原因はこの三者面談のことだった。
離婚してから仕事ばかりで、自分だけが頑張ってますみたいな疲れた顔で帰ってきて、アルコール臭を充満させるだけさせて、すぐにまた家を出て行く母親を俺は死にたくなるくらい見てきた。なのに、今更母親ぶるなよ。
テーブルの上に置かれた三者面談希望時間のプリントを一瞥して、俺は何も言わず部屋に逃げ込んだ。
「今更、干渉してくんな」
サッカー部を突然辞めた時も何も聞いてこなかったくせに。息子の学校生活は気にならないくせに、息子の将来には一丁前に口を出すのか。知らねえ男に色目使って、金稼いでいる大人が何をアドバイスできるっていうんだ。
雑然とした心の内に苛立ち、手に持っていた鞄を壁に叩きつけた。僅かに口が開いていたのか、床に落ちた拍子にペンケースやスマホが飛び出て散らばった。
───「俺達はいずれ死ぬんだから、ここぞって時に残しておかなくては」
柿谷が言っていた言葉に、今がそのここぞって時なのではないかと過った。
その時、床に横たわっているスマホが珍しく着信を鳴らしている。今の俺に、電話をしてくる奴はいないのに。億劫だが、スマホを拾い上げる。知らない電話番号だった。知らない番号はいつもなら無視を徹底しているのに、妙に爛々とした着信音に聴こえて、俺はなぜかその着信に出ていた。
『あ、出た。俺。柿谷』
「……は、なんで俺の番号知ってんの？」
驚いた。連絡先さえも交換していない柿谷からだった。
『クラスメイトに浅見の番号聞いた』
「あー、なるほど」
確か、以前資料集を柿谷に借りにクラスに行った時、見覚えのあるサッカー部員がいた。ソイツに聞いたんだろう。
『明日、少し早く学校来られる？』
「は？」
『いつもの、屋上集合な』
「え、いや、なんで」
『じゃあ、また明日───プツン』
柿谷は一方的に電話を切り、プープーと小馬鹿にするような機械音だけが鳴っていた。
「……んだよ、説明少なすぎんだろ」
舌打ちをかましてスマホをベッドの上に乱暴に投げた時、玄関扉の閉まる音が耳に入った。この家に挨拶が交わされなくなってから、母と子の関係は意味を為さなくなった。現在、俺と話をして、ちゃんと向き合ってくれるのは、あの地味眼鏡の柿谷だけだった。


翌日、柿谷に言われた通り、いつもより三十分前に家を出た。テスト期間に入る一週間前なので、全部活動は今日から休みに入る。そのせいか、いつもより学校は静寂に包まれていた。俺は、自分の存在をこの学校に知らしめようとわざと足音を立たせながら階段を上る。人がいたら絶対にやらない。足音が反響して耳触りがよかった。
階段を上りきると、屋上の扉を開ける。扉からはいつも通り今度は耳障りな音が悲鳴みたいに鳴く。
「柿谷、来たぞ」
扉を閉めながら呼びかけるが、柿谷はまだ屋上には来ていなかった。
おいおい、嘘だろ？人を呼び出しておいて、当の本人がまだ来てないってなんだよ。
「おい！柿谷！どっか隠れてんのか！？」
柿谷の声は返ってこない。
「……ふざけんなよ、せっかく早起きして来てやったのに」
苛立って、鞄をそこらへんに投げ捨てる。
まだ虫の居所が悪いっていうのに、柿谷も俺をイラつかせるのか。
ブツブツ文句を垂れながら、朝の景色を視界に入れる。秋特有の静かで薄い雲が、青い空の海を泳いでいる。今日の晴れた空にはふさわしくない、不誠実な考えを過らせた。
もしかしたら、今が死ぬチャンスかもしれない。
幸い、柿谷もまだ来ていないし、今度は誰にも邪魔されない。このフェンスを飛び越えた先に、俺の自由な幸せが待っている。
俺のイカれた思考回路が俺自身を急かす。死に急ぐように、フェンスに手をかけ、さらに右足もかける。アスファルトを強く蹴って左足を宙に浮かせ、腕力の力でフェンスを飛び越える。
……が、またアイツに止められた。
宙に浮かせた左足はフェンスを飛び越えずに、アスファルトにまた着地する。ただ、フェンスに寄り掛かったままジャンプをしただけだった。右足もアスファルトの心地よさを求めるようにフェンスから下りた。
俺は、屋上から見えるグラウンドを見下ろしながら呟く。
「……なにやってんだ、アイツ」
広々としたグラウンドの真ん中を贅沢に使って、柿谷がラインカーで何かを模写していた。白い線が、右や左へと移動しながら、テトリスみたいに角張った四角が合わさったり、違うグループで形成されたりして、何かを作り上げようとしている。それが何かは大体予想がついた。でも、まだ出来上がっていないみたいだから、俺は出来上がるまで屋上から柿谷の作品を見守る。
柿谷が頑張っている姿を見ていると、文化祭の浦島太郎の寸劇を思い出す。亀役の背中に乗った人の形をした甲羅が「コウラ」と鳴き声を発する。あの時の柿谷の爛々とした目の輝きと、打ち興じた観覧者の笑い声を思い出して、思わず笑ってしまう。
そういえば、面白い話をするときの柿谷の思い出し笑いキモかったなぁ。山賊みたいな笑い方して、話よりも柿谷の笑い方のほうが印象に残っている。
せっせとラインを引いている柿谷の真上を、カラスが応援するように二匹飛んでいる。恋人同士だろうか。だとしたら、柿谷発狂するかもな。カラスも恋人ができるのに、俺には一向にできないって不貞腐れるだろう。アイツすぐ不貞腐れるから。
結局、心に余裕を持った人に生まれ変わるって宣誓しておきながら、俺なんかのことでキレて、すぐに宣誓裏切っていたな。優しいんだか、バカなんだか。
気づいたら俺は、柿谷とこの屋上で過ごしたしょうもないことばかりを思い返していた。母親のこととか、サッカー部のこととか、いつも浅瀬で浮いていた嫌な記憶は、柿谷のしょうもない話で遠くの方へと流されていたのだ。
「ははっ……」
俺の頭の中、いつの間に柿谷との思い出で埋め尽くされていたんだろう。こんなしょうもない話を、一つ一つ引き出しにしまうみたいに大事に保管している俺は、柿谷の性癖の話より気持ち悪くて、その恥ずかしい気持ち悪さが生きているって感じがした。
「おーい！あーさーみー！」
柿谷が屋上を見上げ、手をブンブン振りながら呼ぶ。
「できたぞ！」
その許しを受け取り、俺はさっき投げ捨てた鞄からスマホを取り出した。カメラ機能を起動させ、柿谷が完成させた作品にスマホをかざす。
「おお、すげぇ……」
思わず感激の声が洩れた。
柿谷が完成させた絵は、QRコードだった。そのQRコードは正確に描かれていたのか、すぐに読み込まれた。QRコードの行き先は柿谷のブログのようなサイトへと飛ばされた。
この記事の表題なのか大きい文字で起こされている文を読んで、あっけなく相好を崩された。

【浅見の嫌いな100のこと】

その先をスクロールすれば、箇条書きで俺の嫌いなところが本当に100個書かれているようだった。
「ふざけんなよ」
100個書くのにどれだけ時間がかかると思ってるんだよ。それに、わざわざグラウンドにQRコード描かなくても直接言えよ。ホント何してんだよ。
暇な奴だな、と呆れながらも、俺は一つ一つ目を通していく。

・マイナス思考なところ。
・無駄に顔とスタイルがいいのに、それをひけらかさないところ。
・俺よりもモテるところ。
・いつも座るとき右足だけ伸ばして、左足は曲げて肘置きにしてカッコイイ座り方をしているところ。

「僻みがすごいな」

・何も悪くないのに逃げるようにサッカー部を退部したところ。
・後ろ指さされても、何も気にしてないふりして立ち去るところ。
・全く自分の意見は言わないし、理不尽を言い返さないところ。

「……お前、本当は全部知っていたのか？」

・毎日一緒にいるのに連絡先を聞いてこないところ。
・毎日一緒にいるのに俺を頼らないところ。
・毎日一緒にいるのに教室戻るときは俺を置いて先に帰ってしまうところ。

「そんなこと、思っていたのか……」


俺は、100個目最後に目を通す。

・すぐに、死にたくなるところ。


「っ……」
張っていた糸が、プツンと切れた。
快晴の空なのに、スマホの画面に滴がポツポツと落ち、画面を滑って俺の親指に溜まる。
柿谷は全てわかっていたんだ。わかっていて、あえて何も言わずずっと俺のそばにいてくれていた。しょうもない話をして、俺がここから飛び降りないようにとどまらせてくれていた。
ホント、すげぇ奴だよ。
100個目を読み終わったのに、どうやら文章はまだ続いているようだった。
俺は、目元を拭い、濡れた画面も制服で拭って、恐る恐るスクロールした。新たな表題が顔を出す。


【その100個をなし崩す浅見の好きな1のこと】


・毎日、毎昼休憩、俺の隣で話を聞いてくれるところ。


「おい誰だ！グラウンドにらくがきしている奴は───！！！」
その時、体育担当の教師がグラウンドに罵声を飛ばしながら現れる。
「すいませーん！」
「おい待てコラ！逃げるなー！」
「ごめんなさーい！」
ゴリラのような体育教師に追い掛け回されながら、柿谷はせっかく描き上げたQRコードを踏みつぶして逃げ回っている。
「あはははっ！」
最後まで締まらない柿谷に、俺は上から大笑いしながら柿谷の勇士（説教）を見届けた。



今日も今日とて、俺は屋上の扉を開ける。
屋上のアスファルトを踏み鳴らしながら、もう既に来ているソイツに近寄り、挨拶すらせずにソイツの隣に当然のように腰を下ろした。
持ってきた弁当はしばらく地面に置かれたまま、俺達は微かだが確かに動いている雲を目で追う。柿谷が眼鏡を掛け直す。そのしぐさが合図のように、珍しく俺が先に口を開いた。
「お前、雲になりたいって昨日言ってただろ？」
「うん」
「なんで雲なんだよ」
「……言わない」
「はあ？」
「まぁでも結局は、俺は生まれ変わっても俺になりたいけどな。俺になって、今度は浅見を見つけた瞬間から浅見に声をかける」
は、恥ずかしいことをこんな堂々とよく言えるなぁ……。
「……俺達の関係って、何なんだろうな」
友達の関係だとあっけらかんとしすぎて物足りないし、親友にしては過ごしてきた年数が浅い気がする。でも、その代わり親友の関係だけでは得られないものを俺達は互いに得ている。この関係性に名前はあるのだろうか。
「名前の付く関係性ほど脆いんだよ。だから、要らないよ。名前なんて要らないんだ！」
「……名前のない関係性」
「ただ浅見の隣には俺がいて、俺の隣には浅見がいる。今はそれだけの確かな事実だけでいいだろ」
「……それも、そうだな」
「そうそう！」
柿谷は満足げに笑って、白いおにぎりを手にする。包み紙を丁寧に剥がしている柿谷を横目で見ながら、俺はお前に貰った分をほんの少しだけ返そうと言葉にした。
「俺も、生まれ変わってもきっと俺の人生をもう一度選ぶよ。生まれ変わっても柿谷がいるなら、人間を選んでやる。柿谷のしょうもない話を聞く役目は俺しかいないからな」
「ははっ、しょうもないってなんだよ。しょうもない話なんか一度もしていないだろ！」
「お前の人生全部しょうもねぇよ」
「おい！雲に生まれ変わってお前のとこだけ雨降らしてやってもいいんだぞ！」
「そしたら、俺は太陽に生まれ変わってサンサンに照らして眩しい思い毎日させてやる！」
「なんだそれ！エモいな！」
よっぽど俺の返しが気に入ったのか、柿谷は足をバタバタさせて体全身で笑っていた。
今日はどんなしょうもない話をしてくれるのか。
しょうもないと言いながら、期待している自分が可笑しくて、俺も柿谷と一緒になって笑った。
俺は、柿谷が俺の隣にいてくれるのであれば、このクソみたいな世界でも生きていける気になっていた。───いや、生きたい。
いつの間にか死にたいという気持ちが、この地味眼鏡に捻じ曲げられていた。
「もうすぐ三者面談だな。柿谷のお母さん紹介してくれよ。お前を産んだんだからさぞかし美人なんだろ？」
「……俺の母親でもお前の恋愛対象に入るのか？キモっ」
「さすがに対象外だわ！いや、でも専業主婦よりは夜の世界に飛び込んで働いているって、空を飛び回る蝶々って感じがして魅力的だな……」
空を飛び回っている蝶々か……お前って、ホントに可笑しな解釈をする奴だよ。
「いやいやっ、さすがにないわ！ない！あまり俺を舐めるなよ！」
「グラウンドにQRコード描く奴を舐めれねぇよ、さすがに」
「朝の五時から描いていた」
「相変わらずしょうもないな」
「浅見も大概だろ」
……そうだな。

俺達の青春は、しょうもないくらいがちょうどいい。



[完]