「柿谷のクラス、文化祭の出し物何に決まった?」
一か月後の文化祭を控えている今日、クラスの出し物が正式に決まった。俺は、真っ白なおにぎりを食べている柿谷に聞く。
「劇」
と、答える柿谷。
「え、お前のクラスも?」
「ってことは、浅見もそうなのか?」
「おう。劇ってどんなやつ?」
「浦島太郎」
「まじか、日本おとぎ話か。そんで、お前は何やるんだ?大道具とか?」
俺は、この学校に入学して一年経っていても柿谷のことを全く認識していなかった。言い方は悪いが、柿谷は顔も存在も地味だ。眼鏡をかけているから尚更地味だ。茶色と鼠色と黒色の靴下三足セットを買ってくるじいちゃんより地味だ。……さすがに言い過ぎた。ごめん、柿谷。
そんな地味イコール柿谷の方程式が出来上がってしまうくらいの地味な柿谷は、鼻息でろうそくの火を消しきる勢いで鼻を鳴らした。
「馬鹿か、主役だ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……は?」
「タイムラグが凄いな」
嘘だろ?柿谷が主役?ってことは、浦島太郎?
あーでも、思い返してみれば、浦島太郎も眼鏡をかけていた気がする。眼鏡みたいな、そんな感じの……いや、かけてなかった。自分を納得させようと無理に浦島太郎に眼鏡をかけさせたが、絶対にかけていなかった。
「お前が、立候補したのか?」
「是非に演じてみたくてだな」
「えっ」
「……なんだよ、雪女が鶴だって知った時くらいの驚きの目をして。なんか心外だ」
「いや悪い。そんで、見事選ばれたってわけか。……お前クラスでいじめられてないよな?」
「ホント失礼だな、お前」
「いじめをいじられていると認識して頑張って無理に笑う奴もいるから。お前はそうじゃない?」
「いじめられても、いじられてもいない」
「台本とかねぇの?」
「ある」
「おー、見して見して」
柿谷は鞄から台本を取り出し、俺に手渡す。確かに台本の表紙には【浦島太郎】と明記されている。台本を持っているってことは本当に浦島太郎を演じるんだな。
俺は、その台本をペラペラと捲る。既に台本には黄色いマーカーで線が引かれていた。おそらく、自分のセリフにわかりやすくマーカーを引いているのだろう。
「……ん?」
マーカーを引いているセリフを読む。読んだが、なんというか、意味がわからなかった。
「柿谷」
「なに?」
「この引いている部分がお前のセリフじゃないよな?」
「そうだが?」
「この、甲羅役っていう奴のセリフしかマーカーで引かれてないんだけど」
「それが俺のセリフだからだ」
これが、柿谷のセリフ?
「亀の甲羅役だ」
AIよりも理解が遥かに遅い俺の脳が、何度か柿谷の言葉を反芻してやっと俺が大いなる勘違いをしていることに気づく。いや、柿谷の方が勘違いをしていると言った方が正しい。
「おまっ……亀の甲羅役ってモブ級のモブじゃねーかよ!」
「なっ……!」
「なんなら要らねぇし、甲羅役とか聞いたことねぇよ!なんで甲羅役にセリフついてんだよ!意味わかんねぇよ!」
絶対あれだ。思わぬ人が立候補したせいで、断れないクラスメイトが仕方なく柿谷のために急遽役を無理やり増やした結果の成れの果てが亀の甲羅役だったのだろう。向上心と好奇心がはた迷惑だ。
「しかも、なんだよ!この同じセリフは!」
「甲羅の口癖なんだって」
マーカーで引かれたセリフは「コウラコウラ……」だけだった。柿谷の言い分では、この甲羅は喋るらしく、それも「コウラ」しか喋れないようだ。
バカにしているのか?柿谷は人間だぞ。プログラミングされたロボットAIでも遥かに喋っているぞ?!
「これのどこをどの角度から見たら主役だと豪語できるんだよ」
「何言ってんだ、主役だろ。俺から見た世界はいつだって俺が主役なんだよ。甲羅役だろうと、浦島太郎役だろうと、主役だボケがアホが」
「ちょっと口悪くなってるってことは、あんま納得いってねぇんだろ」
「うるせぇよ、役ないお前よりはマシだろ」
「一応あるわ」
「えっ?何の役?」
俺は鞄から台本を取り出し柿谷に手渡す。
「お前のクラス白雪姫やるのか、いいなぁ」
「その、一応王子様役」
「え?は?り、立候補したのか?」
「いや推薦で。どうしてもやって欲しいって頼まれたから。死ぬほど嫌だったけどあまりにしつこいから俺が折れて……」
役なんてもらう気はさらさらなかった。大道具小道具の作業につきたかったのに。
これから始まる劇練習を考えると憂鬱で死にたくなる。
そんな時、隣から物凄い冷めた視線を感じた。顔を向ければ、柿谷が白目をむき出しにして俺を睨んでいた。
「これだからイケメンは……」
鼻をほじりながら、ブツブツと文句を垂れている。汚ねぇな。
「大丈夫だ、お前の世界ではお前はいつだって主役なんだろ?」
「なんだそのバカ回路。誰だそんなこと言った奴は!モブはどの角度から見てもモブなんだよ!イケメンがしゃしゃり出てくんな!」
「めちゃくちゃいじけてるじゃん」
その後、一週間、柿谷はご機嫌斜めだった。


文化祭当日、柿谷は舞台上で亀役のクラスメイトの背中に乗った状態で姿を現し、唯一のセリフである「コウラコウラ」を恥ずかしげもなく鳴いていた。その時の柿谷には地味な雰囲気は出ておらず、物凄い存在感を放っていた。結果、観客にめちゃくちゃウケた。なにより柿谷自身がとてつもなく楽しんでいた。
「コウラコウラ!」
柿谷が今日一番大きい声を発した瞬間、体育館内が湧き上がり、大歓声の中垂れ幕は下ろされた。本当に柿谷が主役みたいで、俺は堪えきれず声を出して笑った。
「アイツ、心臓に毛でも生えてんな」
どんな役をもらったとしても、柿谷は主役になっていただろう。
やっぱ面白いな、アイツ。
自分の世界だと認識してやりたい放題やっている柿谷が羨ましくもあり、誇らしかった。
俺は、王子の恰好をして柿谷の勇士を最後まで見送った。
こうして文化祭二日間が無事に終わり、休みが明けた日の月曜日、学校に着くと柿谷は一躍有名人となっていた。だが、既にキラキラした存在感で無双していた柿谷は地味な生徒に戻っていて、柿谷が演じた甲羅役を真似て盛り上がっている生徒はいたが、柿谷に声を掛けてくれる生徒は一人もいなかったそうだ。
その後、柿谷は一週間、ご機嫌斜めだった。