絃の宝物──。毎月一通、欠かさず送られてきていた、あの匿名の文である。
(……ああ、そっか。そういうことだったのね)
すとんと腑に落ちると同時、急激に呼吸がしやすくなった気がした。詰まりに詰まって滞っていたものが、ようやく抜け道を見つけて一気に流れ出たような。
「やっぱり……士琉さま、だったのですね」
「ん?」
「わたしに、文を送ってくれていたでしょう? 十年間、ずっと」
士琉が双眸を瞠り、しかしすぐに気恥ずかしそうな顔で苦笑してみせる。
ばれたかと言わんばかりに首を傾げられ、絃は小さく笑って返した。
さきほどまで支配されていた過去の記憶からは、不思議と解放されていた。気づけばあれだけ激しく訴えかけてきていた痛みも引いている。
『ようやく約束を果たせる』
最後に送られてきた文に綴られていた一文。
ずっと意味がわからなかったけれど、この約束は十年前に幼い絃が士琉と交わした約束のことだったのだ。
そして、いつか必ず迎えにという言葉通り、士琉は絃を迎えに来てくれた。
「挟まれていた千桔梗の花弁は、ここで育てていた千桔梗ですか?」
「ああ」
絃の手のなかでほろんと揺れた青光は、柔らかく月桂に反応していた。
一度蕾を咲かせた千桔梗は、たとえ摘んでも枯れることはない。
そのため、千桔梗の花弁をお守りとして持っておく月代の民もいるという。
失くさないように、と大切に仕舞っていたけれど、絃も持ち歩くようにしてもいいかもしれない。士琉が絃を想って育ててくれた千桔梗だと思えばそれ以上に特別なものはないし、肌身離さず持っていた方が、ご利益はあるような気がするから。
「っ……絃? なぜ泣くんだ。やはり、なにか嫌だったか?」
ぽとり、ぽとりと。
雨粒のように落ちる涙を、士琉が指先で拭ってくれた。
(ああ、もう本当に)
耐えようと思ったのに、やはりどうしたって零れてしまう。士琉が絃を大切に想ってくれていることを実感するたびに、心がぎしぎしと軋んだ音を立てるのだ。
「嫌じゃ、ないです。でも、わたし……っ! 士琉さまがこんなに、わたしのことを考えて想い続けてくれていたのに、憶えてもいなかった……っ」
「当然だろう? あのときの絃は、完全に自我を失っていたしな。その後はすぐに気絶してしまったし、目覚めた絃が記憶を失っていることも早いうちに弓彦から聞いていた。だから、絃が俺を──あの約束を憶えていないのは百も承知だったさ」
士琉は困ったような顔で笑みを滲ませる。
「俺が勝手にやったことだからな。絃はなにも気にしなくていい」
「っ……どうして、そんな」
こんなときでさえ優しいから、絃はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
遠く離れたこの地で、曖昧に交わした約束を片時も忘れることなく十年。
たった一度の邂逅。自分を憶えていない相手を心に留めておくだけですら難しいのに、そんなにも長い歳月を士琉は一途に想い続けてくれたというのだろうか。
「もう、わかりません……。どうして士琉さまは、そんなにもわたしを想ってくださるのですか……っ。わたしなんて、生きている価値もな──」
「絃」
言葉を遮り、片手で口を覆うように塞がれた。止まらない涙を流しながらも驚いて士琉を見ると、士琉は強い痛みを堪えるような表情で顔を歪ませている。
「それ以上はだめだ。命を蔑ろにするのは、いくら俺でも許しきれない。また同じことを言おうとすれば、次はたとえ絃が嫌がってでも口で塞がせてもらうぞ」
「し、士琉さま……?」