それでも、確かにこの文は、絃にとって毎月の心の支えとなっていた。
 この文だけが、いつも絃の存在を無条件に肯定してくれていたから。

「嫁いだら、この文も受け取れなくなってしまうのね……。もしこれからも届くようなら、兄さまに頼んで転送してもらうのも手かしら」

 文を風呂敷に包みながら、絃はひとり頭を悩ませる。
 そうして最後の文を仕舞おうと手に取ったとき、折られた紙の間からぽろりと一枚の花弁が落ちた。
 部屋に差し込むひと筋の月明かりに反応し、その花弁は淡く青い光を放ち出す。
 雪洞(ぼんぼり)(ともしび)にも及ばない、蛍の光のようなそれ。意識せぬまま拾い上げた絃は、傷つけぬよう丁寧に手のひらに乗せて、伏し目がちに呟く。

「千桔梗の、花弁」

 この文は、ちょうど先日届いたものだ。
 綴られていたのは『ようやく約束を果たせる』という短い一文。
 そっと一緒に挟まれていたのは、千桔梗の花弁だった。

「どうして、わたしにこれを……」

 これまでも桜や紅葉などの葉が挟まれていたことはあった。けれど、それは粋な季節のお裾分けだろうと、とくに疑問を持つことなく受け入れていた。
 だが、千桔梗となれば話は変わってくる。
 なにしろこの千桔梗は、絃が生まれた月代州にしか自生しない花なのだから。

(文の送り主は、月代一族の誰かってこと?)

 しかし、そうだとして、この『約束』とはいったいなんのことだろうか。
 結界に引きこもって十年。兄弟と侍女のお鈴以外との関わりを持たない絃に、約束を交わすような相手などいるはずもない。
 だからといって、弓彦たちがこんな回りくどいことをするとも考えにくいし、なんとなく、この文の送り主は近しい者ではないような気がするのだ。
 もっと、ずっと遠く。どこか手の届かない場所にいるような──。

(そもそもわたしは、家族とお鈴以外の一族の者には(うと)まれているはずだもの。やっぱり月代の誰かとは考えにくいわよね。なんにせよ、これが大切な宝物のひとつであることに、変わりはないのだけれど……)

 花弁を文に挟み直して、風呂敷に仕舞う。(まと)めた荷物に風呂敷を添えて、聚楽壁(じゅらくへき)()め込まれた染煤竹(そめすすだけ)の丸窓のそばへ。
 格子の外には、小池の周りに千桔梗が溢れ咲く粋美(すいび)な中庭が設えられている。月影(つきかげ)に反応して光る千桔梗にそっと視線を落とし、絃は悄然(しょうぜん)として唇を引き結んだ。

(千桔梗ももう見られなくなってしまうし、なおさら大切にしなくちゃ)

 中心の紫から外側に向けて、次第に青く変化していく淡色の花。
 一度花を咲かせれば千年は枯れることはないという千桔梗は、月明かりを浴びるとこうして花弁が優しく発光するため、満月の夜にもっとも映える花らしい。
 実際、かつて一度だけ見たことがある千桔梗の天の川は、本当に美しかった。まるでこの世のものとは思えないほど幻想的で、幼心に感動した記憶がある。
 忘れられない、忘れたくない光景だ。

(あの悪夢も同時に蘇ってしまうから、複雑なのだけれど……)

 それでも絃は、千桔梗を嫌いにはなれなかった。
 いつでもあの光に、希望を追い求めてしまう。
 もしも生まれ変わることができるのなら、千桔梗になりたいと思うほどに。

 ──ああ、こんなところに月代一族らしさが現れるなんて、なんて皮肉だろう。

 いっそ絃の方から、月代のすべてを拒んでしまえたらよかったのに。