ご飯とお風呂が終わった九時過ぎ、祖母が消灯と就寝を促した。翔が同じ部屋にいるのに、電気をつけて勉強をしたら迷惑だろう。参考書ではなく、スマートフォンの単語帳を布団の中で覚えることにした。
慌ただしかったせいかまたしてもスマートフォンを車から回収し忘れていたことを思い出す。取りに行こうとしたところ、翔に呼び止められる。
「なあなあ、清正くん。ぶっちゃけ、今好きな人いる?」
突然何を言い出すのかと面食らったが、普通に返事をする。
「いないよ」
「嘘だろ? 中学行ったら綺麗なお姉様がたくさんいるだろ?」
「僕、三年生なんだけど」
「あー、そうだった。清正くん受験生だもんね。ヤバイ、今のは俺がドジだった」
何が面白いのか、翔は手を叩いて笑う。
「本当にいねえの?」
「いないってば」
「往生際悪いなー。分かった。先に俺が言う。これ、清正くんにだけにしか言わないから絶対誰にも言うなよ」
翔が布団から這い出て、僕に耳打ちする。
「吉岡(よしおか)みなみ」
「誰?」
それ以外に反応のしようがない。
「四年生からずっと同じクラスの女子。いつも一緒にドッジボールしてんだけど、いつも楽しそうでさ。今回のトロイメライランド計画も吉岡が言い出しっぺ。滝川が中学生になったら名古屋に行っちゃうから、最後に仲いい四人で行こうって計画してくれたんだ。行くっきゃねえだろ」
ここに来てから終始大騒ぎしていた翔がはにかんでいる。しかし、滝川という新しい固有名詞が出てきても、どちらの顔も知らないので感情移入できなかった。
「俺も言ったから、約束どおり清正くんも言えよ」
「だからいないって」
「今はいないんだったら、前に好きだった人でもいいよ」
「いないよ」
僕は恋を知らない。恋をするほど女子と会話する暇はなかった。クラスの女子は僕のことをつまらないがり勉だと思っていることだろう。
「じゃあさ、ババ抜きしようぜ。俺が勝ったら教えろよ」
翔は暗い中、鞄の中にガサゴソと手を突っ込んでいる。「ちょい待ち」を連呼した後、ようやくトランプを取り出した。何も言わずに、黙って一枚抜くとカードを配る。
「ババ抜きって二人でやるゲームじゃなくない?」
僕は苦笑する。二人のババ抜きは序盤のフェーズが完全に時間の無駄だ。
「確かに。修学旅行って言えばババ抜きとかウノだけど、二人じゃつまんねえか」
「ウノは持ってきてないの?」
本当は早くスマートフォンを取りに行きたかったし、それよりも翔がまだ寝るつもりがないなら電気をつけて問題集を解きたかった。しかし、修学旅行という言葉を出されると翔への同情心が勝ってしまった。二人でやるウノなら一ゲームはせいぜい五分で終わる。それくらいだったら、付き合ってあげても罰は当たらないだろう。
「ウノ持ってねえわ」
翔は一人っ子だから、僕の家と違ってウノをする機会が無いのかもしれない。
「しゃーない。スピードやるか」
ババ抜きならまだしも、カードを凝視する必要のあるスピードを暗い中で遊ぶのは不可能に近い。翔は電気をつけると、元気よく挨拶をしてきた。
「対戦、よろしくお願いしまーす!」
「お願いします」
軽く頭を下げると、試合が始まる。スピードで遊ぶのは久しぶりだ。カードを次々に出していく。時々、翔と手がぶつかった。
「あっ、ごめん」
僕はそのたびに謝るが、翔はその隙にカードを出していく。出せるカードがなくなると、祖父母がもう寝ている時間だと言うことも忘れて叫ぶ。
「くそっ! 出せねえ!」
戦局がほぼ互角のままゲームも終盤になった頃、部屋に祖母がやってきた。集中していた僕たちは祖母の足音に全く気付かなかったので、二人でびっくりした。
「起きてるの? 夏休みだからってあんまり遅くまで起きてると体に良くないわよ。電気消しますからね」
「はーい。おやすみなさーい」
暗くなった部屋に祖母の去って行く足音が響く。不完全燃焼とはいえ、一応翔の遊びにも付き合ったことだし早いところスマートフォンを取りに行こうとすると、翔にパジャマの裾を引っ張られた。
「清正くんやるじゃん。賢正くんに鍛えてもらったの?」
「最後にやったの、もうずいぶん前だよ」
小学生の頃は、よく兄や姉にトランプで遊んでもらった。兄はスピードが得意で、僕も姉も一度も勝ったことが無い。兄はスピードだけでなく、ありとあらゆるゲームのセンスがあった。手加減してギリギリの戦いを演出したうえで、綺麗に勝つのが美学らしい。
「ノーゲームになっちゃったし、仕切り直そうか。電気点けたらまたばあちゃん来ちゃうからスマホのライトあればできるやつな。トランプがウノの代わりになる方法ねえかな」
「ページワンってゲームがあった気がする」
ルールはうろ覚えだが、絵札をドローカードの扱いにしてカードを七枚ずつ配った。結局これはウノなのかページワンなのか決めていない。残り一枚になったらどちらの掛け声を言うべきなのだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にかゲームも終盤になり、四枚ドロー扱いのキングを出される。僕は温存していたキングでカウンターをすると、翔は悔しがりながら山札を上から八枚数え始めた。
「清正くんの学校って修学旅行は春? 秋? 東京みたいに人多いところだと今でも中止になったりすんの?」
戦略を考えていない時間は喋っていないと気が済まないらしい。いきなり答えづらい質問をしてくる。
「秋。行かない」
「中止ってこと? 休むってこと?」
せっかくぼかした言い方をしたのに、詳しく聞かれてしまう。
「中止じゃないけど行かない」
修学旅行が中止になって悲しんでいる翔にとっては無配慮かもしれないが、嘘をついてもどうせ後でばれると思い、正直に答えた。
「ふーん。なんで?」
翔は怒った様子もなく、カードを出しながら尋ねてきた。
「勉強しないといけないから」
答えると同時に二枚の五を出して場札をダイヤからハートに変える。
「受験ってそんなに大変なんだ。頑張ってね」
その返答にほっとした。翔は良識がある。修学旅行は絶対に行くべきだとか、行けない人に失礼だとか価値観を押し付けたりしない。安心した僕はカードを出して一息つく。
「ウノって言ってないー!」
その瞬間、翔が僕を指差して叫んだ。
「ウノ言い忘れだから十枚ドローな! はははっ、バーカ、バーカ!」
まるでお笑い番組でも見ているかのように笑い転げている。
「そんなに引くの?」
まさか言い忘れるなんて思っていなかったので、ペナルティの枚数を取り決めておかなかった。翔はおそらく気分で枚数を決めているのだろう。僕はそれに従った。
翔がいつまでもゲラゲラと大声で笑っていたので、また祖母が来て翔を注意する。
「翔くん、清正くんは疲れてるんだから寝かせてあげないとだめよ」
「疲れてんのはばあちゃんだろ。清正くんも若いんだから、十時なんてまだお昼だよ。なっ、清正くん」
同意を求められたので、一応フォローする。
「うん、僕は大丈夫だよ。おばあちゃん」
「清正くんは病み上がりでしょう? 早く寝なさいね」
祖母はトランプを片付け始めた。
「あー、何すんだよばあちゃん! もうちょっとで勝てそうだったのに」
「明日にしなさいな」
翔は抗議したが、祖母はトランプを回収して電気を消すと、部屋から出て行った。
「トランプ没収されちまった。本当の修学旅行みたいじゃね?」
試合を中断され、遊び道具を没収されたと言うのに、翔は楽しそうに笑っている。
「こうなったらもっと本格的にやりたいよな。修学旅行ごっこ!」
慌ただしかったせいかまたしてもスマートフォンを車から回収し忘れていたことを思い出す。取りに行こうとしたところ、翔に呼び止められる。
「なあなあ、清正くん。ぶっちゃけ、今好きな人いる?」
突然何を言い出すのかと面食らったが、普通に返事をする。
「いないよ」
「嘘だろ? 中学行ったら綺麗なお姉様がたくさんいるだろ?」
「僕、三年生なんだけど」
「あー、そうだった。清正くん受験生だもんね。ヤバイ、今のは俺がドジだった」
何が面白いのか、翔は手を叩いて笑う。
「本当にいねえの?」
「いないってば」
「往生際悪いなー。分かった。先に俺が言う。これ、清正くんにだけにしか言わないから絶対誰にも言うなよ」
翔が布団から這い出て、僕に耳打ちする。
「吉岡(よしおか)みなみ」
「誰?」
それ以外に反応のしようがない。
「四年生からずっと同じクラスの女子。いつも一緒にドッジボールしてんだけど、いつも楽しそうでさ。今回のトロイメライランド計画も吉岡が言い出しっぺ。滝川が中学生になったら名古屋に行っちゃうから、最後に仲いい四人で行こうって計画してくれたんだ。行くっきゃねえだろ」
ここに来てから終始大騒ぎしていた翔がはにかんでいる。しかし、滝川という新しい固有名詞が出てきても、どちらの顔も知らないので感情移入できなかった。
「俺も言ったから、約束どおり清正くんも言えよ」
「だからいないって」
「今はいないんだったら、前に好きだった人でもいいよ」
「いないよ」
僕は恋を知らない。恋をするほど女子と会話する暇はなかった。クラスの女子は僕のことをつまらないがり勉だと思っていることだろう。
「じゃあさ、ババ抜きしようぜ。俺が勝ったら教えろよ」
翔は暗い中、鞄の中にガサゴソと手を突っ込んでいる。「ちょい待ち」を連呼した後、ようやくトランプを取り出した。何も言わずに、黙って一枚抜くとカードを配る。
「ババ抜きって二人でやるゲームじゃなくない?」
僕は苦笑する。二人のババ抜きは序盤のフェーズが完全に時間の無駄だ。
「確かに。修学旅行って言えばババ抜きとかウノだけど、二人じゃつまんねえか」
「ウノは持ってきてないの?」
本当は早くスマートフォンを取りに行きたかったし、それよりも翔がまだ寝るつもりがないなら電気をつけて問題集を解きたかった。しかし、修学旅行という言葉を出されると翔への同情心が勝ってしまった。二人でやるウノなら一ゲームはせいぜい五分で終わる。それくらいだったら、付き合ってあげても罰は当たらないだろう。
「ウノ持ってねえわ」
翔は一人っ子だから、僕の家と違ってウノをする機会が無いのかもしれない。
「しゃーない。スピードやるか」
ババ抜きならまだしも、カードを凝視する必要のあるスピードを暗い中で遊ぶのは不可能に近い。翔は電気をつけると、元気よく挨拶をしてきた。
「対戦、よろしくお願いしまーす!」
「お願いします」
軽く頭を下げると、試合が始まる。スピードで遊ぶのは久しぶりだ。カードを次々に出していく。時々、翔と手がぶつかった。
「あっ、ごめん」
僕はそのたびに謝るが、翔はその隙にカードを出していく。出せるカードがなくなると、祖父母がもう寝ている時間だと言うことも忘れて叫ぶ。
「くそっ! 出せねえ!」
戦局がほぼ互角のままゲームも終盤になった頃、部屋に祖母がやってきた。集中していた僕たちは祖母の足音に全く気付かなかったので、二人でびっくりした。
「起きてるの? 夏休みだからってあんまり遅くまで起きてると体に良くないわよ。電気消しますからね」
「はーい。おやすみなさーい」
暗くなった部屋に祖母の去って行く足音が響く。不完全燃焼とはいえ、一応翔の遊びにも付き合ったことだし早いところスマートフォンを取りに行こうとすると、翔にパジャマの裾を引っ張られた。
「清正くんやるじゃん。賢正くんに鍛えてもらったの?」
「最後にやったの、もうずいぶん前だよ」
小学生の頃は、よく兄や姉にトランプで遊んでもらった。兄はスピードが得意で、僕も姉も一度も勝ったことが無い。兄はスピードだけでなく、ありとあらゆるゲームのセンスがあった。手加減してギリギリの戦いを演出したうえで、綺麗に勝つのが美学らしい。
「ノーゲームになっちゃったし、仕切り直そうか。電気点けたらまたばあちゃん来ちゃうからスマホのライトあればできるやつな。トランプがウノの代わりになる方法ねえかな」
「ページワンってゲームがあった気がする」
ルールはうろ覚えだが、絵札をドローカードの扱いにしてカードを七枚ずつ配った。結局これはウノなのかページワンなのか決めていない。残り一枚になったらどちらの掛け声を言うべきなのだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にかゲームも終盤になり、四枚ドロー扱いのキングを出される。僕は温存していたキングでカウンターをすると、翔は悔しがりながら山札を上から八枚数え始めた。
「清正くんの学校って修学旅行は春? 秋? 東京みたいに人多いところだと今でも中止になったりすんの?」
戦略を考えていない時間は喋っていないと気が済まないらしい。いきなり答えづらい質問をしてくる。
「秋。行かない」
「中止ってこと? 休むってこと?」
せっかくぼかした言い方をしたのに、詳しく聞かれてしまう。
「中止じゃないけど行かない」
修学旅行が中止になって悲しんでいる翔にとっては無配慮かもしれないが、嘘をついてもどうせ後でばれると思い、正直に答えた。
「ふーん。なんで?」
翔は怒った様子もなく、カードを出しながら尋ねてきた。
「勉強しないといけないから」
答えると同時に二枚の五を出して場札をダイヤからハートに変える。
「受験ってそんなに大変なんだ。頑張ってね」
その返答にほっとした。翔は良識がある。修学旅行は絶対に行くべきだとか、行けない人に失礼だとか価値観を押し付けたりしない。安心した僕はカードを出して一息つく。
「ウノって言ってないー!」
その瞬間、翔が僕を指差して叫んだ。
「ウノ言い忘れだから十枚ドローな! はははっ、バーカ、バーカ!」
まるでお笑い番組でも見ているかのように笑い転げている。
「そんなに引くの?」
まさか言い忘れるなんて思っていなかったので、ペナルティの枚数を取り決めておかなかった。翔はおそらく気分で枚数を決めているのだろう。僕はそれに従った。
翔がいつまでもゲラゲラと大声で笑っていたので、また祖母が来て翔を注意する。
「翔くん、清正くんは疲れてるんだから寝かせてあげないとだめよ」
「疲れてんのはばあちゃんだろ。清正くんも若いんだから、十時なんてまだお昼だよ。なっ、清正くん」
同意を求められたので、一応フォローする。
「うん、僕は大丈夫だよ。おばあちゃん」
「清正くんは病み上がりでしょう? 早く寝なさいね」
祖母はトランプを片付け始めた。
「あー、何すんだよばあちゃん! もうちょっとで勝てそうだったのに」
「明日にしなさいな」
翔は抗議したが、祖母はトランプを回収して電気を消すと、部屋から出て行った。
「トランプ没収されちまった。本当の修学旅行みたいじゃね?」
試合を中断され、遊び道具を没収されたと言うのに、翔は楽しそうに笑っている。
「こうなったらもっと本格的にやりたいよな。修学旅行ごっこ!」



