ローテーブルに突っ伏したまま、眠っていたようだ。居間の方が騒がしくて目が覚めた。テキストの進捗はすこぶる悪い。ご飯を食べたらまた勉強しなければ。
 居間に行くと祖父母の姿はなく、かわりに真っ黒に日焼けした従弟の翔が、寝転がって独り言を言いながらゲームをしている。
「清正くんだ! 久しぶり!」
 ゲームを一時中断して、翔が座って僕に向き直る。
「賢正(けんせい)くんと優美(ゆうみ)ちゃんは?」
「兄貴はサークル、姉貴は免許合宿」
「えー。賢正くんとレイドバトルやろうと思ってたのに」
 翔は心底残念そうにしていたが、少し考えてゲーム画面を僕に見せた。
「清正くん、レイドやろうぜ」
「僕、そのゲーム持ってない」
「ちぇっ」
 翔が再びゲームを始める前に聞いてみる。
「おばあちゃんは?」
「里山(さとやま)祭りの集まりだってよ。夕方まで帰って来ねえんだって。昼飯は冷蔵庫」
 里山祭り。僕は行ったことはないが、夏の終わりに行われる伝統のお祭りだ。地元愛溢れる住民たちの気合の入れ方は尋常ではない。そのため、規模はかなり大きく、実行委員会の人数も会合の回数も単なる夏祭りとは一線を画す。地域に愛された定食屋を営む祖父母は当然ともに役員として名を連ねている。
「去年クラスター起こしたくせによくやるよ」
 翔たち叔父家族はこの近所に住んでいるため、こういった裏事情にも詳しい。
「俺の学校のやつら、みんな言ってるよ。大人は会議にかこつけてお酒飲みたいだけだって。はあ、これだから老害は」
 僕が小学生の頃より、今の小学生の方が大人に対して冷めた目を持っているようだ。
「修学旅行、トロイメライランドに行く予定だったんだけど中止になっちゃったんだ」
 トロイメライランドは東京の人気テーマパークだ。姉がトロイメライランドのキャラクターが大好きだったので、昔は毎年夏休みに家族で行っていた。最後に行ったのは小学三年生の時だ。姉は中学に入ってから、家族ではなく友達と行くようになった。
「だからさ、代わりに俺達だけで行こうって、友達と計画立てたんだよ! なのに、親父とお袋がダメだって言いやがった! ひどくね? ジンケンシンガイだよな」
「ひどいね」
 翔に同調したけれど、小学六年生が保護者抜きでしていい遊びの限度が分からなかった。六年生の時は受験勉強に必死でそれどころではなかった。
「だから、家出してきてやった! 親父とお袋が許可出すまで絶対帰らねえから!」
 翔は一度言い出したことは引っ込めない。
「清正くんと久しぶりに遊べるの嬉しいなあ。ゲーム持ってきてないならさ、スマホで出来るゲームやろうぜ。貸して。アプリ入れてやるよ」
 先ほどまでの怒った口調から一転して、急にはしゃぎだした翔に言われて気づく。スマートフォンは祖母の車に忘れたままだ。そして、祖母は車で会合に出かけてしまった。
「おばあちゃんの車に昨日スマホ忘れた」
「えー、清正くんドジっ子じゃん。男のドジっ子は需要ねえよ」
 翔が笑い飛ばした。しかし、スマートフォンが無いのは死活問題だ。祖母は今日の朝一緒にスーパーに行く予定だったのに寝過ごした。帰りにコーヒーを買ってきてほしいと頼もうにも、祖母に連絡するためのスマートフォンは車の中だ。
 このままでは今日もコーヒーはお預けになってしまう。かといって、地図アプリが無ければ自力でスーパーに行くのも不可能だ。
「ここからスーパーって歩いて行ける?」
 口頭で翔に道を聞いて覚えるか、翔に連れて行ってもらえないかと尋ねてみる。
「えー、こんな暑いのに外出たら熱中症になっちゃうだろ。やめといた方がいいって」
 車社会の田舎で僕の発言は酷く非常識なものだったようだ。
「清正くん起きたよって連絡したけど、既読つかねえや。これは酒飲んでやがるな」
 翔が呆れたようにスマートフォンをソファに投げ、大人への不信感をあらわにした。
「里山祭り実行委員会、一昨年まではオンライン会議やってたらしいよ。せっかく爺ちゃん婆ちゃんばっかりなのに頑張ってハイテク化したんだから、ちゃんと続ければいいのに」
 一通りの業務連絡が終わり、サンドイッチを食べた後は、翔はゲーム、僕は問題集にかじりついた。
「清正くん集中力やばいね」
 僕が一息ついて氷が溶けた後の麦茶に口をつけたタイミングで、翔に声をかけられた。
「今年受験だから。翔は受験しないの?」
「しねえよ、めんどくさい。もし東京住んでたら、させられてたかもしれないけど。あっぶねー! 田舎でラッキー!」
 翔は僕の五倍は地頭がいい。翔なら本気を出せばきっと王緑に受かるのだろう。身勝手な嫉妬と劣等感まみれ。どうして僕はこうなってしまったのだろう。

 六時前に祖母が帰って来た。翔が玄関に向かって走って行く。
「ばあちゃん! おなかすいた!」
 玄関からは翔の大声。僕も様子を見に行くと、お酒の臭いがして少し不快だった。受験とは無関係に僕はお酒が嫌いだ。
「じいちゃん酒くせえ! どんだけ飲んだんだよ!」
 ハンドルキーパーの祖母と対照的にすっかり顔を赤くした祖父を翔が笑っている。
「おばあちゃん、コーヒー買ってくれた?」
 一応聞いてみるが、祖母は一瞬間をおいて気まずそうに答えた。
「あら、嫌だ忘れてたわ。ごめんね、朝は翔ちゃんが来てバタバタしてたからお買い物に行く暇がなかったのよ」
「じゃあ、今から行けない?」
「ごめんね、おばあちゃん晩御飯作らないといけないから。また明日ね」
 それが金科玉条だとでも言うように、祖母は必ず夕方六時半までに晩御飯を作る。
 ハンバーグとマカロニサラダ、昨日の残りの餃子が並ぶ食卓で、祖母が夕食後の過ごし方について翔に説明する。
「清正くんと一緒に離れで寝ることになるけど、お布団自分で敷ける?」
「あったりまえだろ! ガキ扱いすんなよ。親父とお袋にも、ちゃんと翔は大人だってばあちゃんから言ってよ」
 酔いから覚め切っていない祖父が歯に衣着せぬ物言いをする。
「そういうところがガキなんだ。あんまり子供っぽいことしてると中学で舐められるぞ。今晩頭冷やしたら明日はちゃんと家帰れよ」
「今時は親の言いなりになってる方が舐められるんだよ。じいちゃんの頃とは時代が違うっての。お袋がトロイメライランド行っていいって言うまで居座り続けるからな!」
 売り言葉に買い言葉で翔が応戦する。気が強いところは祖父そっくりだ。