大叔母が切ってくれた西瓜は味がしなかった。年季の入った鳩時計の音が、中学三年生の八月を浪費している事実を可視化して焦燥にかられた。ただただ息苦しかった。
「清正(きよまさ)くん大きくなったねえ。ほら、そこの柱のところにちょっと立ってみておくれよ」
 曾祖母に促され、父や叔父の成長の痕が刻まれた柱との背比べをする。もう三回目だ。高校受験が終わったらいくらでも曾祖母孝行をするから、今は勉強をする時間が欲しいと心の底から願った。
「清正くん、この三年間色々大変だったでしょう? 翔(しょう)くんの学校も修学旅行直前に学級閉鎖になって中止になっちゃったみたいでねえ。本当に今の子は気の毒だわ」
 大叔母がコロナ禍で制限のある学校生活を送る従弟の翔や僕の心情を慮る。根っからのアウトドア気質にもかかわらず抑圧されている翔を気の毒に思う。今でこそ外に出ただけで自粛警察に糾弾されることはなくなったが、彼がどうやってステイホームの時代を乗り切ったのか想像できない。一方僕は、この三年間感染状況の波がどういう状況にあっても変わらず勉強しかしてこなかったので正直コロナ禍とは無縁だ。自由を制限された翔と、今この瞬間に地球上のすべてのウィルスが死滅したとしても部活動に励んだり友達と遊び尽くしたりする予定が無い僕はどちらが気の毒なのだろうか。
「清正くんは学校楽しい? 何かあったらいつでもおばちゃんが相談に乗るからね」
「大丈夫です。ありがとうございます」
 作り笑いを浮かべたものの、「楽しいです」とは決して言えなかった。
 同じ話を何度も繰り返す曾祖母相手には可愛らしい曾孫らしくにこにこと笑っていればそれでよかったが、大叔母相手の会話は骨が折れた。早くこの会話が終わることを願いながら、顔じゅうの筋肉を愛想笑いの形状に固定した。

 ようやく解放された頃には夕方で、来た時より何倍も影が長く見えた。僕は何かに追い立てられるように急いで車に乗り込んだ。
 祖母の運転する車の後部座席で、単語帳アプリをひたすら回す。通信制限でオンラインの勉強アプリが使えないので、ギガを使わないアプリしか使えないのがもどかしい。
「清正くん、携帯ずっと見てると酔っちゃうわよ」
 バックミラー越しに祖母が僕を心配する。車酔いしていたのは小さい頃の話だ。小学校三年生以降の遠足では、酔い止めの薬を飲まずにバスに乗っても具合が悪くなることはなくなった。
「大丈夫。窓開いてるし。ありがとう」
 刺々しい口調にならないように努めたが、内心はそんなことを言うくらいなら連れ出さないでほしいと思った。本心を隠すために、「ありがとう」の言葉を添えた。
 突然表示されたスマートフォンの上部のポップアップ通知をタップする。
「キヨ本当に修学旅行来ないの?」
 友人の勇樹からのメッセージだった。僕の学校の修学旅行は学級閉鎖にでもならない限り、九月に決行される予定だ。もう班も決まっている。混じりけのない善意が今は疎ましく感じられた。
 返信するのが億劫だ。トークルームを閉じて単語帳に戻ったが、「修学旅行」の四文字がチラついて、うまく頭に入らない。ストレスが許容値の限界を超え、僕はスマートフォンを投げるように座席に乱暴に置いた。
「キリがいいところまでやったから、終わりにした」
 祖母に対して適当な言い訳をして、窓の外を見る。のどかな田舎町の風景を夕日が照らしている。途中、学校の前を通り過ぎた時に、少しだけ涙が出た。